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禍話リライト「湿った家」

 大学生のA君には、母親のいとこにあたる、親戚のおばさんがいた。

 その夫や一人娘とも、昔から家族ぐるみの付き合いがあった。特に娘のKちゃんとは年も近く、幼い頃はよく遊ぶ仲だったという。

 その親戚が、10年ほど前から金貸しに手を出した。金貸しとは言っても、同じ団地の高校生や主婦に少額だけ貸し付けるというものだった。
 ところが、取り立ての仕方が悪かったらしく、金を貸していた高校生が死んでしまったのだという。自殺なのか事故なのか分からない、そんな死に方だったそうだ。

 彼に金を貸していたことが判明すると、親戚は周囲から白い目を向けられるようになり、その団地には住めなくなってしまった。
 親戚一家は、次の家を見つけるまでのとりあえずの繋ぎとして、その団地の近くの古い公団住宅に引っ越したのだという。

 A君の家は、彼らが金貸しを始めてからは多少疎遠になったとはいえ、以前は親しく付き合っていた間柄である。
 母親から「おばさんのとこに顔を見に行ってやってよ」と言われ、A君はその公団住宅に出向くことになった。


 その公団は、ただ古いというだけでなく、やたらに暗い感じのする建物だった。
 人の気配もあまりなく、片隅に放置されている三輪車も、壊れてから長い年月が経っていることが窺えて、侘しさを醸し出している。

 引っ越した部屋は3階だと聞いていた。エレベーターなどはないので、階段で上がっていく。

 その途中で気づいたが、なぜか建物全体がやけに湿った感じがする。コンクリートの壁や床がじっとりと濡れ、触ると手に水気が残る感触があった。

 最近雨なんか降ってないのに、変だな、と思いつつ、A君はインターホンを鳴らした。

「A君、今日はわざわざありがとうね」
 と、すぐに親戚夫婦が出迎えてくれた。A君は母親から持たされたお菓子を渡して挨拶をする。

 ふと足元を見ると、その部屋の玄関もやたらに湿っている。自分が来る前に水を撒いて掃除でもしたのかな、と思った。

 家に上げてもらって、夫婦と話をするが、娘のKちゃんが一向に顔を出さない。
「あのー、Kさんって今日は出かけてるんですか?」
「Kね、今日いるんだけど、具合悪いんだよね」
「あ、そうなんですか、短大に行ってるって聞いてましたけど」
「うん、最近こっち引っ越してきてからなんかずっと具合悪くてね……」 

 確かに、奥の部屋から咳払いが聞こえてくる。かなり具合が悪そうだ。

「また今度来たときにでも会ってやってね」
 そう言う夫婦も、(こんなにテンション低い人たちだったっけ……)と違和感を覚えるほど、暗い印象だった。

 金貸しなどやっているだけあって、2人とも良くも悪くも明るくて強引な人柄だったはずだ。2人も少し具合が悪いのか、筋肉痛がひどいときのように動き方がモサッとしている。

(まぁ団地を離れることになった理由も理由だしな……。今日は早々に帰るか。)


「あ、じゃあKさんが元気になったらまた顔を出しますんで、どうもお邪魔しましたー」
と話を切り上げ、帰ることにした。

 公団の出入口へ向かうと、空は晴れているのに、この周辺一帯だけ妙に沈んで見える。少しばかり落ち込んだ気分になって、A君はとぼとぼと歩いていった。

 公団を出たところで、近所に住んでいるらしい、主婦の2人組とすれ違った。
 すれ違うこと自体には問題はなかったのだが、通りすぎる時にその2人が同時にA君の方を向いた気がした。

 気のせいかな、と思いやり過ごしたが、後ろから
「あそこね、井戸が○○で……、」
という言葉が耳に入った。振り返ったが、話している2人は自分の方は見ていなかった。


 それから1ヶ月くらい経った日のこと。自宅にいたA君は、母親からこんな話を聞いた。

「あそこの娘さん、なんか引きこもってるみたいだね、身体は良くなったらしいんだけど」
「Kちゃん、そうなの? 引きこもっちゃってるんだ」
「あんた今度バイト終わりとかに見に行ってやってくれない?」

 別にA君は行ってもよかったのだが、あの公団の湿った陰鬱さと、親戚一家の暗い雰囲気が思い出されて、あまり気が進まなかった。

「えー、お袋が自分でいけばいいじゃん……」
「いやー、なんか私が電話しても変な感じなんだよね……。あんたKちゃんと仲良かったじゃない。前は会えなかったんでしょ、行ってあげてよ」

 しぶしぶながら、A君は再び公団へ向かうことにした。


 前回行ったときは夕方だったから、それで暗く感じたのかもしれない。そう思ってこの時は明るい昼間に行ったという。 

 ここしばらく雨は降っておらず、その日も太陽が燦々と輝いていた。
 ところが、件の公団に入ると、やはり雰囲気が重い。しかも、今回も明らかに壁が濡れている。例えて言うなら、水をぐっちょりと含んだスポンジのような質感だ。

(いくら水はけが悪いって言ったって、こんな風になるか?)
 頭の隅でそう考えながら、親戚宅のインターホンを押した。

  ピンポーン

 音は鳴ったのに、なかなか家の人が出てこない。
(あれ、ひょっとして留守なのか?)
と思ったところで、インターホンから「はい」と返事があった。

「おばさん、こんにちはー。Aです。」

と言ったか言わないかくらいのタイミングで、玄関ドアがガチャッと開いて、おじさんの方が顔を出した。

 どうやら、親戚夫婦は2人とも玄関に待機していたらしい。玄関からインターホンまでは少し距離があるので、それで返事が遅れたのだろう。

 なんで玄関に待機してたんだろう、とは思ったが、あまり深く考えずに家に上がった。

「Kさん、最近どうなんですか?」
「ご飯は食べるんだけど、バリケードみたいなの作って、出てこないんだよね」
「はあ…」
「A君あの子と仲良かったし、ちょっと話してみてくれない? 私たちじゃちょっとダメだわ、なに言ってるかわかんないのよ、自分の娘が。」

(親が何言ってるかわからないって、それ俺が聞いてもダメじゃね……? まぁとにかく様子を見てみるか。)
 A君はリビングを離れ、Kちゃんの部屋の前に移動した。

 Kちゃんの部屋のドアは、少しだけ内向きに開いていた。確かにドアの内側には、バリケードのように物が積み上げられているのが分かった。

 A君は不安を払拭しようと、努めて明るい声で話しかけた。
「Kちゃん、ひさしぶり。俺だよ、Aだよ。前来たとき会えなかったけどさ、具合はどう? 今度さ、一緒に飯とか食いにいこうよ!」

 しかし返事は来ない。

(ひょっとして聞こえなかったかな、バリケードもすごいし……。)
 そう思ってもう少し部屋の前へ近づいてみた。

 それで気づいたのだが、バリケード代わりに床に積まれている布団が、ビシャビシャに濡れている。一瞬粗相したのかとギョッとしたが、匂いはせず、そうではないようだ。
 
 「Kちゃん、大丈夫?」と少しだけ開いているドアをさらに開けようとしたが、バリケードが邪魔でそれ以上は開かない。

 それでも少しでも様子が見られれば、そう思って「Kちゃん?」と部屋を覗こうとした。

 と、奥から怒気をはらんだ「ウー、ウー!」といううなり声が上がった。

(怖い怖い、あんな声出す子じゃなかったのに)

 A君はKちゃんの変容に驚いたが、すかさず謝った。
「ごめんごめん、プライベートエリアを侵しちゃったんだね。ごめんね。まぁ今度さ、ね、飯でも、」

 そう言い募ろうとした時だった。

 それまでうなるだけだったKちゃんが、急に

  「息が詰まるだろうが!

と怒号を発した。

 どう考えても中年男性の声だった。

 怖い。これは手に負えない。

 A君はKちゃんとの接触は諦め、とりあえず「ごめん」と言って引き下がった。

(引きこもり生活で太って声が変わるにしても、急に中年男性の声にはならないよな……)
 そう思ったA君は、Kちゃんの両親のところに戻って、
「これは医者の領域だから、ちゃんと専門の医者に見せた方がいいと思います。短大でいじめとかあったのかもしれないし…」
と伝えた。

 ところが親戚夫婦は、
「それはちょっと体面が、世間体がね……」
などと言って乗り気ではない様子だ。

(そもそも自分たち夫婦のやらかしたことを考えたら、体面なんて気にしても今更だろ……)

 A君は前回よりも暗い気持ちで帰路についたという。


 それから1週間くらい経ったころ。A君が自宅にいると、固定電話が鳴った。

 母親がその電話をとると、「え! そうなの?」となにやら驚いている。
 電話を終えた母親に、「どうしたの?」と聞いてみた。

「おばさんのとこからだったんだけど、Kちゃん、いなくなっちゃったったんだって」
「え? Kちゃん引きこもってたのに?」
「それがなんだか、部屋をみたら居なかったんだって、失踪しちゃったんだって」
「ええ……、なにそれ」
「さすがに警察には行ったらしいんだけど、あんた何も知らないよね?」
「知らないよ……。大体引きこもってた子がなんで急に失踪なんかするんだよ」
「そうだよね……」

 以降もおばさんとは連絡をとり続けていたが、それから1ヶ月経っても、Kちゃんは見つからなかった。


 そんなある日、A君は自転車で出掛けた帰りに、たまたまその公団の前を通ることがあった。

(あ、ここおばさんの住んでる公団だよな。Kちゃん帰ってたりしないかな)

 公団を見上げると、ここからはKちゃんの部屋が見える。窓のカーテンが開いていて、部屋の中が目に入った。

 A君は思わず目を疑った。部屋の中に、みっしりと人が立っている。

 Kちゃんが行方不明になって結構経つし、警察の人が捜査のために上がってるのかな。

 そう思うと気になってきて、A君は自転車を止めて、親戚宅に向かってみた。
 やっぱり建物は以前と変わらず、びちょびちょとした感触がある。

 A君は玄関の前まで行き、インターホンを鳴らした。

  ピンポーン

 ところが、誰も出てこない。

(あんなに奥の部屋に人がいたのに……?)
 思わずドアノブをひねってみたら、鍵が開いていた。

「すみません、Aですけど、ちょっと寄ってみたらなんか人がいるみたいで……」
 ドアを開けてそう呼びかけてみたが、やはり誰も出てこない。
 しかし、奥のKちゃんがいた部屋から話し声がした。

(あの部屋にみんな集合してて、捜査とかに夢中で気づかないのかな?)
 遠慮なく家に上がることにした。

 奥のKちゃんの部屋からは、全然知らない中年男性の声が聞こえる。

「つまりその……、この建物ができるまえに、井戸があったわけですよ。井戸の上に建物を作るときには、その前に色々しなきゃいけないわけです、ね? その時に正しい方法を取らなかったためにね、
 淀んではいけないものが、淀むだけ淀みきっちゃったみたいなことなんですよ

(なんだこいつ……、警察じゃないな)

 思わず足を止めると、親戚夫婦の声がした。

「あー、なるほど、もう住む前からね……」
「そうそう、それに、この部屋が一番方角的にも悪いんですよ」
 知らない男は、まさに立て板に水といった口調で言い立てている。

それで今回の場合は、娘さんから順番に、井戸に引っ張られる形になっているわけです

(ちょ、何言ってんだこの人!?)

 バッとドアを開けたら、奥の部屋には誰もいない。
(え?! そういや玄関に靴なんかなかったな、え、どういうこと?)

 A君が混乱を来したちょうどそのとき、

  ガチャ

 玄関のドアが開いた。

 振り返ると、親戚夫婦がスーパーから帰ってきたところだった。
「あれ、A君来てたの?」
「あ、はい、すみません勝手に上がって。ちょっと近くまで来たので……」

 ついでだったので、Kちゃんはどうなっているのか尋ねたが、
「あー、Kね、なーんか見つかんないんだよねー」
 娘が行方不明になっているというのに、妙に切迫感がない反応だ。
 以前はそんな感じではなかっただけに、気持ちが悪かった。

 A君は、さっきの中年男性が言っていた言葉がどうしても気になったので、もうすぐ帰るというタイミングで聞いてみた。

「あの、変な話ですけど、ここって昔井戸があったんですかね……?」

 すると2人の態度が一変した。

「それ誰から聞いたんだ? え? そういうことを軽々しく言っていいと思ってんのか!? 帰れ!!」

 A君は激昂した2人に半ば追い出される形で部屋を出た。

(怖ええ、おじさんたちどうしちゃたんだよ……)
 公団を出て、ほうほうの体で帰ろうとした時、何気にフッとあの部屋の方を見上げた。

 やっぱり、部屋の中にめちゃめちゃ人がいる。

 しかも全員自分の方を見ている。 

(あ、ダメだこれお化けだ。)

 A君は自転車をかっ飛ばして、逃げ帰ったという。

 無事に帰宅できたA君は、母親に「帰りがけにおばさんの家に寄ってみたんだけどさ……」と話し始めたところで、言葉に詰まってしまった。

 おばさんたちがおかしくなっている。しかも、公団の部屋に明らかにお化けがいる。そんなことは、母親にはとても言えなかった。

 それでも、あの家はなんかよくない、ということは伝えたかった。

 A君はこう言葉を続けることにした。
「あー、あのさ、あそこなんか水はけ?が悪いのかな。すごい湿ってるんだよね」
「あ、知らなかった? あそこの近くの公園の名前がさ、『水神』って書いてなんて読むんだっけ……。ともかく、そういう名前の公園があるし、土地柄なんじゃない?」

 そう母親に返されて、A君はますます禍々しいものを感じたという。



 それから数日ほど経った、日曜日の朝。

 母親が電話で、「ちょっと、何言ってんの? ちょっとねぇどうしたのよ?」ともめている。
 電話は向こうから一方的に切られてしまったようだ。

「A、おばさんの家、ヤバいかもしれない」
 A君は(あれ、お袋には言ってないのにな)と思いつつ、「どうしたの?」と尋ねた。

「いや今、おばさんが急を要する電話だっていうから何?って聞いたのね……」

 おばさん曰く、おじさんが娘の部屋に陣取って、『私はここから動かないよ』と言い続けているのだという。

 おばさんは、『あの人、一人称は「私」じゃないのに、どうしよう』とおどおどしている。

 母親が返答に窮していると、おばさんの後ろから、確かに『私はね、ここから動かないよ!』という声が聞こえてきた。

 おばさんはその声の近くまで移動しているらしく、
私はね、こっから動きゃしないって言ってるんだよ、順番ってもんがあるからね』と声が大きくなる。

 すると、おばさんが何かに気づいた様子で、『あんたどうしたの、おしっこもらしたの? ねぇ』とおじさんに聞いている。

「何? どうしたの?」と母親が尋ねると、

『お父さんが座ってるところから、どんどん水が出てくる、おしっこじゃないなこれ、どうしよう何、えっ?、、、』


「……おばさんがそう言ったとこで電話が切れちゃったのよ、かけ直してみようか?」

「うん……」

 母親が電話をかけ直した。出てきたのはおじさんの方だった。

「もしもし、どうしたんですか? さっきの電話……」
「いやいや、電話なんてしてませんよ」
「いや、今リダイヤルしてるんですから、そちらから電話があったんですよ」
 母親がそう切り返すと、
「だから電話なんかしてませんよ」と切られてしまったという。

 それから何回かけても、その家の電話は通話中になってしまい、繋がることはなかった。


 A君はそこで、前回公団に行ったときのことを告白した。父親とも話し、親戚一家がおかしくなったのは、どうやら人ではない存在のせいらしい、という結論に至った。

 曲がりなりにも付き合いのある親戚である。なんとかしないといけない。

 つてをたどって霊能力者を探したら、かなり料金は取られるが腕は確かだという評判の拝み屋が見つかった。
 相談だけでも5000円もするというが、矢も盾もたまらず、電話をした。

 しかし、事情を少し説明しただけで、
「すぐに済まないとかの話じゃなくて、もうその家はダメだ。その一家が前からしてきたことも重なって、もう取り返しがつかなくなっている。放っておきなさい」
と言われ、相談は打ち切られてしまった。

 拝み屋が頼りにならないなんて。

 藁にもすがる気持ちで、今度は公団の管理人にも相談したという。

 管理人曰く、その棟に元々いた数少ない住人も、具合が悪くなったりして出て行き、今はその夫婦しか住んでいないらしい。

 管理人はなおも言葉を続けた。
「それで、非常に申し上げくいんですが……。ご親戚のお部屋に、誰かが出入りしているのは確かです。それが、どう考えても入居のときに見たあのご夫婦じゃないんです。でも、私はとても確かめられなくて……」

「いや、確かめてくださいよ」

「それがですね、その人たち、なぜか着てるものがグシャグシャに濡れてるし、そんな人が出入りしているし、」

  私、もう怖くてあの棟に行けないんですよ。 



──もはやA君の親戚ではなくなってしまった人たちは、今もまだその公団に住んでいる、という。



著作権フリーの怖い話をするツイキャス、「禍話」さんの過去放送話から、加筆・再構成して文章化させていただきました。一部表現を改めた箇所があります。ご容赦ください。

震!禍話 第二十七夜より、「湿った家」
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/497957941
(1:40:00ごろから)

▼「禍話」さんのツイキャス 過去の放送回はこちら
https://twitcasting.tv/magabanasi/show/
(登録などは不要で聞くことができます)

▼過去配信分のタイトル等をまとめてくださっているページ
 禍話 簡易まとめWiki
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