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第1046号『映画館の闇はあたたかい』

映画をどう観るか?TVモニター・携帯・PCの画面・映画館のスクリーンと、様々なフォーマット(形式)が存在する。当然、どの形式で観ても、映画のストーリーや俳優たちのセリフや動きは変わらない。それでも、やっぱり映画は映画館で観たい。なぜだろう?と、自問してみた。
この半年、様々なフォーマット(形式)で観た映画は51作品。そのなかで映画館での鑑賞は17本。劇場鑑賞至上主義の猛者には、鼻で笑われるような数であるが、それでも月3本ペースで鑑賞している。自分としては頑張っているほうだ。

どんな形式で観ようが良い映画への評価は変わらないが、映画館での鑑賞の方が、より印象深くしっかりと記憶にも残るように感じる。なんといっても、暗闇の中で没入感を得ることが出来ることは魅力である。もちろん、大型のスクリーンや大きな音量での視覚や聴覚など身体的に感じる効果も外せない。例えば、先月観たジョナサン・グレイザー監督作品『関心領域』は、映画館で観なければ味わえない音での演出が、観客の心の不安感を引き出すための効果を発揮している作品だった。

ちなみに、僕が映画館で観た最初の作品は『ベン・ハー』ウィリアム・ワイラー監督作品、チャールトン・ヘストン主演だった。
7,8歳の時、洋画封切館だった弘前国際劇場に父が連れて行ってくれた。いまでも覚えていることがある。それは、画面いっぱいに、チャールトン・ヘストンがいまにも馬車から落ちそうになりながら、馬が観客席に向かって疾走してくるシーンで、思わず怖くなって父の大きな手を握った。すると、父がしっかりと握り返してくれた。なんだか、とても安心した。親がしてくれたことは、子にもする。長男の最初の映画体験は、横浜東宝で上映された『E・T』だった。次男は『ネバーエンディング・ストーリー』を。二人とも、同じように立ち上がり、僕の手をギュッと握りしめた。

映画館の話で、思い出したことがある。高校2年の冬だった。学校に遅刻していった。下駄履きで靴から校内履きに変えるため、靴を脱いでいた。その時、生徒指導の先生から叱責の声を掛けられた。僕は、無視して教室に行こうとしたその時、髪の毛を掴まれた。とっさに先生の手を振り払った。しかし、勢い余って先生の顔面にあたった。そばにいたもう一人の女性の先生が、金切り声で叫んだ。僕は、その場から逃亡した。雪が降っていた。ウロウロと街を歩き回り、たまり場の喫茶店に行ったが、まだ閉まっていた。

寒さのあまり、仕方なく映画館に入ることにした。そういえば、ミケランジェロ・アントニオーニ監督作品『欲望』が上映中だと思いだした。僕はこの映画を観たいと親友の佐(たすく)くんに話していた。映画館は父が連れてきてくれた弘前国際劇場だった。

午前に入場し、夕方までいた。当時は今とは違い、入れ替え制ではなかったので何回でも観れた。イケてる映画だった。ところが2回、3回と観ているうちに、だんだんと不安な気持ちが芽生えてくる。寒いし、お腹も空いていた。父と母になんと言えばいいだろうと思うと、ますます不安になった。思案したものの、いつまでも映画館のいられない。意を決して劇場を出た。すると、降りしきる雪の中、見慣れた車が止まっている。運転席に父がいた。導かれるままに助手席に座った。父は、静かに僕の言い分を聞いてくれた。話終わると、「分かった」と頷いた。続けて、「人を、まして先生を殴ったことは許されない。だから、罰を受けなさい。」と言った。僕は、無言で頷いた。そして何かが溶けたように、溢れでる涙を止めることができなかった。

どうして映画館にいることがわかったのか。父は、学校から連絡が来て、半日以上探し回り、僕の親友から映画館にいるかも、との情報を聞いたからだと、後で教えてくれた。余談だが、運良く退学にはならず、こうしてこの年の冬休みは謹慎処分のため、一ヶ月間、毎日、絵を描き、詩を書いていた。そんな映画館にまつわる記憶が蘇った。

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