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第1048号『ユートピアorデストピア』

去年の秋のことである。銀座で得先との打ち合わせがあった。無事、商談もまとまった。さて、夕暮れ時、刺し身か煮魚で一杯やりたくなった。打ち合わせ場所が銀座一丁目に近いところだったので、久々に三州屋銀座一丁目店に行くことにした。店の前まで行って驚いた。建物の建て替えのため閉店との張り紙が貼られていた。「えっ!」と、おもわず声がもれ出た。そして、悲しくて寂しい気分になった。ちなみに銀座にはもう1店、三州屋がある。三州屋銀座本店、こちらは営業している。

この三州屋銀座一丁目店、僕が初めて入店したのは高校2年の時だった。この年、原宿に在る桑沢デザイン研究所の夏季研修ゼミに参加するため、上京していた。青山には石津謙介のVANジャケットがあり、渋谷並木橋では寺山修司が主催する天井桟敷で「時代はサーカスの象にのって」が上演され、新宿西口広場では岡林信彦や高石ともやなど、フォークゲリラの集会で、警察官と小競り合いを繰り返していた。どの街もギラギラとしたエネルギーに溢れていた。

宿泊先は、僕を弟のように可愛がってくれた従兄弟の工藤哲兄貴のアパート。哲兄はそのころ、京橋に本社のある主婦と生活社で月刊「主婦と生活」の編集部に席を置いていた。僕が桑沢デザイン研究所での授業が休みの時など、何度か会社に連れて行ってくれた。そして、仕事の様子など側で見ることを許してくれた。デザイナーやカメラマンへの指示。ライターやイラストレーターや印刷会社の担当とのやりとり。どれも、初めて見聞きすることばかりで途轍もなく面白かった。そして、その流れで、外で、しかも酒を飲みながらの打ち合わせ場所が、この三州屋だった。驚いたが、会社の会議室でのミーティングよりも、喧々諤々、見るからに活気に溢れたもののように思えた。そんな思い出が脳裏を過ったが、残念ながら三州屋銀座一丁目店という、居心地のいい店がまた1つこの街から消えた事実は変わらない。

ここのところ、東京の街から居心地の良い居酒屋や隠れ家のような喫茶店や個人経営で頑張っていたお店が消えていく。そして、そのスピードが以前にも増して速まっているように感じる。コスパ、タイパ、合理的でないもは淘汰される。それは時代の趨勢であり、もはや止めることができない。さらに、市場が高度に成長し、成熟すると、あらゆる業態が寡占化する。そして、概ね2社か3社に集約してしまう。例えば、コンビニ、「セブンイレブン」「ファミリーマート」「ローソン」。100円ショップ、「ダイソー」「キャンドゥ」「Seria」。宅配、「ヤマト」「佐川急便」「日本郵便」。牛丼、「吉野家」「すき家」「松屋」。ファッション、「ユニクロ」「GU」「無印良品」。ショッピングモール、「楽天」「アマゾン」「ヤフーショッピング」。携帯、「ドコモ」「au」「ソフトバンク」(4番手の「楽天」はこの牙城を切り崩すことに苦戦している)。まだまだ事例はあるが、共通することは、差別化が難しく、参入障壁が高い。多様性のタの字もない。こうして、よほどのこだわりが無い限り消費者は「どこでも、どれでもよい」ことになる。要するにお客はこれでご満足なのだ、となる。

そして、その結果、一握りの金持ちや政治家を除き、日本国に住む選択肢しか持たない大半の人びとが、ユニクロの洋服を着て、すき家で食べて、ダイソーで買い物をして、ソフトバンクの携帯を使う。こうして、街も人もどこもかしこも同じような形状に象られ、ピカピカでツルリとしていて、でこぼこな窪みもなければざらざらした引っ掛かりもない。周りは、いつか観たSF映画のような漠とした景色が広がっている。ユートピアを求めて来たはずなのに、気がつけば、僕たちはいまデストピアのど真ん中にいるのか。


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