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苦しい時に前を追う
僕は、駅伝とか、マラソンとか、長距離走が好きです。
自分が走るのも、人が走っているのを見るのも。
6月初旬、陸上の日本選手権がありました。
1年に1度の日本一を決める大会であり、今年は世界選手権の代表選手が決まる重要な大会でもあります。
個人的に注目してた男子5000mの部では、遠藤日向選手がスパートに競り勝ち優勝しました。
なんていきいきと走るんだろう。トラックで一番輝いてました。
強かったなぁ。
長距離のレースって、とってもシンプルなんですよね。
先頭のペースについていけなくなった人が集団から一人、二人と落ちていく。最後まで1番速いペースを保てた人の勝ち。
超簡潔に言ってしまえば、これだけなんです。
シンプルだから、目指す所も分かりやすくて、やった分だけ自分の走りに返ってくる手応えがあります。
ここに僕は魅力を感じて走ることが好きになりました。
ただ、時折「非情さ」も身に染みて味わいました。
どんなレースを見ていても、前の集団から一度離れてしまった選手がもう一度前に追いつく展開はほとんど見ることがありません。
それは、一度離れてしまった理由を考えればよくわかります。
前の集団のペースがキツくて離れてしまったのに、もう一度追いつくためには自分がキツイと思ったそのペースよりもさらに速く走らなければならないのです。
現実的に無理なんですよね。それができたら離れてないって。
つまり、一度前から離れてしまうことは、レースが終わってもないのにその選手にとって「レースの負け」を意味することになります。
サッカーや野球などの球技のような、試合終盤での大逆転勝利なんてことがめったに起こらないのが長距離レースです。
だから、苦しい選手たちは、
「絶対離されんなよ!」
「ここしっかり粘れ!」
なんていう強い言葉で鼓舞されます。
聞きたくなったら、お正月に箱根駅伝を流しておくといいでしょう。風物詩にもなりつつある各大学の監督の怒声がたまに響いています。
***
本当に苦しい時に、自分より先を行く人を追いかけることなんてできるんでしょうか。
これって長距離レースに限らず、他の生活のあれこれに置き換えても考えられると思うんです。
苦しい時にもっと頑張って状況を改善させようとするのって無理があります。なんで今苦しくなっているかというと、そこまで頑張ってそれでも対応できない問題や障壁があるから。限界が来たから苦しくなっているんです。
「頑張ろう」では通用しない次元なんです。
ただ、長距離レースと、僕たちの日常とでは、
「追いつくためのアプローチに自由度があるかないか」という点で異なるとも思っています。
レースでは、前に追いつく方法は正攻法しかありません。
今よりも脚を動かしてペースを上げる、苦しくなっているその上を超えていく、それによってのみ前との距離を縮めることができます。(Plus Ultra...!)
それが他のことだったらどうでしょうか。
例えば、受験。
毎日10時間机に向かって勉強しても模試の判定がよくならない。
「じゃあ、一日12時間に増やすか」というのも打開策の一つですが、やれることはそれだけではありません。
疲れて勉強の質が落ちていると感じるなら、一定期間休むこともアリでしょう。
参考書に原因があるかもしれないなら、使う教材を変えてみるのも一つ。
勉強する場所を変えたら、人と一緒に勉強したら、メインの勉強の時間帯を変えてみたら。
いろんなやり方があって、あるやり方ではもっと楽に状況をよくすることができるかもしれない。
正攻法だけじゃない、自由に解決の道を探ることができるのが僕たちの生活なんだなーと。
最近の走ったりレースを見たりしながら思ったことでした。
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