見出し画像

フィクションの世界には入れない

一昨年、2020年の6月下旬から、
全国の映画館でジブリ映画4作品がリバイバル上映されていました。

そのころと言えば、一回目の緊急事態宣言が解除され、全国の経済活動が徐々に戻り始めた時期。映画館も再開しますが、今よりも外出がはばかられる状況で客足は遠のき、映画業界全体が窮地にあった時期でした。


そんな中のジブリ旧作品の再上映です。
上映されたのは、『千と千尋の神隠し』『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『ゲド戦記』。


一連の広告で使用されたキャッチコピーは、

一生に一度は、映画館でジブリを。

これはもう観に行くしかないでしょ。


僕はどれも金曜ロードショーでしか見たことがありません。というか、どれも僕が子どもの時、もしくは生まれる前に公開された作品なので、映画館で観ているはずもありません。

と思うと、このコピーは、ジブリの名作が公開された時代を生きていなかった若者をメインターゲットに置いて書かれたのかなとも想像します。だとしたら、ここにちゃんと刺さっていた人がいます。ありがとう。


Twitterで回ってきたこれを見て即決しました





僕は『風の谷のナウシカ』と『ゲド戦記』を観に行きました。久々の映画館です。高校1年生の時に、バクマンを観に行った以来でした。




感想はいろいろと持ちました。

ナウシカでは、理不尽や不条理に対する無力感とか、ナウシカの人間性に対するリスペクトがありました。ゲド戦記も、ハイタカやテナーの寛容さに心打たれ、「ことばは沈黙に 光は闇に…」という言葉がずっと心に残りました。

とりあえず、どちらも上映中一回は涙が出てきました。
とってもいい映画です。




ただ、「あー、よかった」と帰れるかと思いきや、そうではありませんでした。終わりに近づくにつれて、強い寂しさと虚無感に襲われました。



ナウシカとゲド戦記は、どちらもハッピーな締め方で終わる映画です。
クライマックスで大きな困難を乗り越え、訪れた平和な世界の中で、主人公たちの希望あふれる新しい生活が始まる。

それなのに、そこで映画は終わります。
映画が終われば、僕たちが観ることのできる彼らの姿はそこで終わりです。
スクリーンが暗転して映画館のライトが点いて、僕らは現実に引き戻されます。

映画の中で、彼らの生活はその後も続く。
その世界を僕にも見させてほしい。
でも、それはできません。フィクションである以上、終わりが必ずあります。

映画館で感じるエンドロール後の余韻の正体は、寂しさできゅうっとなる胸の痛みをなだめて折り合いをつける時間だったんだと知りました。




この感覚、初めてではありません。
一番古い記憶では、子どもの時、ポケモンの『裂空の訪問者 デオキシス』を観終わった後も同じ感覚がありました。伝説のポケモンとの激しいバトルを終え、街に平和が戻った後、主人公のサトシ一行は街で出会った人たちと別れ次の旅へと向かいます。

エンドロールで、映画のシーンを切り抜いてダイジェストで流されると、自分が観ていた場面が一部でしかないんだなと。それしか彼らの見て聞いて感じた世界を知ることができないんだなと思うと、無性に悲しくなっておんおん泣きました。当時はこんな言葉にできないので、振り返ったらそうだったというだけですが。


その他、絵本、小説、マンガ、実写映画など、架空の世界を舞台にしたフィクションなら同じ感覚を味わった経験が少なからずあります。

優れた作品ほど、終わった後のこの感覚が強いんじゃないでしょうか。それだけ没頭できるほど、作品の世界が作り込まれているということなのだと思います。


人気作品のスピンオフやグッズなどが根強く求められるのもこの感覚があるからでしょうか。主人公たちの世界をもっと知りたい、フィクションと現実の溝を少しでも埋めたいという気持ち、たしかに分かる気がします。




こういう感覚を、「エンタメを楽しむジレンマ」として僕は捉えてしまうんですが、ちゃんと前向きに捉えられる日が来るといいなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?