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出し切ったつもりで出し切れない日

突然ですが、

歯磨き粉の最後、こういう時ありませんか?↓↓↓


歯磨き粉のチューブって、少なくなってきて普通に押しても出てこなくなったら、フタを閉めて逆側をもって振り回して、中身を出口に寄せるじゃないですか。

それで、最後まで出し切ろうと頑張ってフリフリして、
振り絞っていざ出そうとしたら、
思いのほか飛び出す勢いが強くて、
歯磨き粉は歯ブラシを通り越しあらぬ方向へ...。



...なんてことたまにありません?

僕は、これをやって歯磨き粉に天寿を最後まで全うさせてあげられなかったことが今までに何度もあります。ごめんよ。



こういう時、どんな気持ちになるでしょう。

なんで普通に出ないんだとイライラするでしょうか。急いでる朝とかはつい思っちゃいそうですね。

落ちた歯磨き粉を掃除しなきゃいけなくなって、めんどくさいなと思うでしょうか。こびりついたら嫌ですもんね。



僕はこの前、また同じことをやった時、それがその時の自分の心境とマッチしてたなとふと思いました。それをつらつらと書いてみます。



***



ちょっと前まで、(なんなら今も)
ずっと胸に何かつっかえたまま日々を過ごしているような感覚がありました。

自分はこれからどこに向かって進むのか、その目指す所が見えない目隠し状態で歩いているような心もとなさがあったんです。


「それ、ゴールは?」
「目的からの逆算思考で~」
「君は何したいの?」

など、ことあるごとにいろんな人から言っていただき、その度に「そうだそうだ」と思うんですが、なかなか難しいものでちゃんとした結論が出ません。
ゆくあてのない旅もそれはそれでいいと思うんですけどね、決めるべきところはちゃんと決めないと。






ずっと教育分野に興味があり、その実践として去年の9月から今年の3月まで取り組んでいた活動がありました。都内の高校で金曜日の授業の枠を一つもらって、あるクラスの高校生とキャリアを一緒に考える活動です。

エネルギッシュな高校生はやりたいことにあふれています。

海外で働いて日本と外国を繋ぐ人になりたい。
レトロな雑貨を扱う自分のお店を持ちたい。
祖父母の家のある地域を盛り上げたい。

どれもかけがえのない尊く大切な夢で、それら一つ一つについて、どんな道筋で叶えていけばよいか、叶えた先に得たいものは何か、僕らもあーだこーだ言いながら真剣に考えます。



取り組んでみて実感したことですが、やはり簡単なことではありません。
まず、その授業は高校の年間カリキュラムに組み込まれている授業なので、「教育」の過程を計画的に練らなければいけません。〇〇月の授業では何を目的に何をやって、という経験のないスケールの話をメンバーと試行錯誤しながらします。その他、授業で使用するスライド作成や、授業時間外の生徒からの相談、授業運営にあたっての先生とのやり取り、外部の団体との交渉などなど、力を入れるべきところはたくさんありました。

約半年間、駆け抜けました。一つ一つのやるべきことに真剣に向き合った期間だったと思っています。


だから、終わってみたらさぞ達成感に満ち満ちた時間が来るのかなと思っていたんですが、実際終わってみるとそうはなりませんでした。


最後の授業日、みんなで集合写真を撮って、余韻に浸りながらそれぞれの授業での思い出を語り合って、とってもきれいな形で授業が締めくくられたあと、
僕はというと、帰りの電車で言葉にならないモヤモヤにぼんやりと頭を包まれていました。

モヤモヤしながらその日が終わり、歯を磨いて寝ようかとした時に、冒頭のあれが起こったんです。


***


プスッという気の抜けた音がずっと耳に残って、こっちの力まで抜けてきました。イライラもめんどくさいなと思ったりもしません。

ただ、自分と同じだと思いました。


この歯磨き粉は、自分の持てるものをすべて振り絞って出したわけです。
それなのに、その帰結は無為なものになってしまった。(それは僕のせいなんですけど。)

同じだと思ったのは、半年間、時間と労力をかけて生徒に向き合うことをやり切ったのに、終わってみたらどこか手応えのない空虚なものしか残っていない自分がいたからです。


何か教訓めいたものがあるわけではありませんが、
出し切ったつもりで出し切れてなかった、
頑張ったのに空振りだった、

そんなことが最近多いような気がして思い出したこれを残しておきたくなりました。



目的ってなんだろうなぁ。

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