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タイトルが出てこないので、つらつらと・・・・・(T_T)

なんだか、今日も妙に暑かった。まぁ、雲が多かったけれど、晴れたから、お布団も干せたし、買い物も無事済んだ。ただ、徒歩民族の私は、荷物を持っての帰りは、大汗かいて、ばてていたりする。

体力落ちているのはもちろんだけれど、やはり、10月も下旬がこようというのに、25度を超えるというのは、しんどい。それは、一度涼しくて心地よい気候を心身が覚えたら、もう後戻りができない、ということなのだ。

今年は、金木犀が本当にあっという間に、終わった気がする。咲き始めも早かったが、芳香が漂い始めたら、台風がやってきたし、秋の長雨にもあたった。二番咲きもあったが、我が家の周りの樹木は、勢いがなかったのか、私を楽しませてくれるまでにはいかなかった気がする(ちなみに、我が家には金木犀はない。大家の相方の母親と相方が、この花の香りが嫌いだからだ)。いささか、寂しい私である。

今日、駅前に買い物に行って、驚いた。いやはや、人の多いこと! いや高齢化が進んで、寂れる一方の団地の街で、都内ほどの人出があるはずはない。だが、この1年半、コロナ騒動と緊急事態宣言の影響で、ひっそりとしていた感じに慣れていた分、スーパーでもコンビニでも、人が列をなしている、というのが、私には驚きなのだ。

もともと人混みが苦手な私は、ひっそりとした人出を寂しいとは思いつつ、内心いくらか快適な気分でもあった。だから、戻ってきた人の波に、酔っている側面もある。

おそらく、買い物帰りに、少なからぬ疲労感を覚えているのは、この人出の復活もあるのだろう。マスクによる呼吸の浅さもあるかもしれない。

加えて、やはり、孤独、かなぁ。親しい人と会って、話が、おしゃべりができない、ということが、人付き合いが悪い私にも、堪えてきているような気がする。親しいとはいかないまでも、何気なく人と会話する、ということが本当に激減してしまった。

私は、電話を気軽にかける、というのは苦手なのだ。何か用事がないと、電話を使えない。実家にいた頃、友人との長電話を親が嫌っていて、良く叱られた、という事情もある。

今思い返せば、親は、友人と夢中になっておしゃべりしている私が、別世界の人間にみえたのだろう、と思う。両親は、貧しい家に育ち、友人と遊ぶことも許されなかったし、もちろん、家に電話もなかった。そんな自分の子供のころと比べて、まったく違う私の様子が理解できなかったし、受け容れることができなかったのだと思う。潜在的な嫉妬もあったかもしれない。

つくづく、私は面倒なたちだなぁ、と、思ったりする。もう少し、いろんなことを気楽に考えられれば、自分も楽になれるのに。

noteで、私よりはるかに若くて、まじめで優しくて、頭もよい人たちが、真剣に悩んでいるのを拝見することがある。読んでいるうちに、息苦しくなってくるのは、やはり、自分に似た部分を見出すからだろう。

「もっと、肩の力を抜いて! 深呼吸して、自分に優しくしましょうよ♬」

なぁんて、コメントすることがあるけれど、あれは、実は自分にも言っているんだろうなぁ。無意識に。

ここまでつらつら書いていたら、あらら、なんだか、おかしくなってきた。書いているうちに、少し、張りつめていたものが抜けたのかも。

今度の日曜日は、久しぶりに最愛のマエストロの指揮が観られる! なんか、急に寒くなるようですが、対策して、楽しむ予定です❤

皆様も、良い夜を♬


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