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自分とうちの子たちを守るためにも、私はひたすら、祈るのみ。

年末年始、我が家のインコたちは、どうも落ち着きがない。

ことに、コミドリコンゴウインコのピポナをはじめとした、中型インコたちは、往々にして、壁に向かって吠えたてていることが多い。

オカメ軍団にしても、夜中に暴れる子もいたりして、どうもざわついている感じ。

こういう時、何も視えない私は途方に暮れる。ピポナたちが騒ぎ立てているときというのは、何らかの異変を彼女たちが見つけたからなのだが、それが何なのか私にはわからない。

それで、ホワイトセージで、部屋のクリーニングをしてみるのだが、その時は落ち着いても、また翌日などに騒ぎ始めるので、異変の根本は解決していないのだろう。

年末、千葉県は小さく揺れていたこともあったし、私も相方も妙な振動を感じていたので、鋭敏な彼女たちは落ち着かなさを感じていた部分はあったのだろう。

しかも、この冬の寒暖差の大きさが堪えている子もいる。その子は、27歳だし、彼の兄弟は10年以上前に先に旅立っているので、その兄弟が「もう、いいだろう。迎えに来たよ」と、やってきたのかな、などと考えていた。実際、ピポナが壁に向かって甘える声を出していたりもしたので、こういう面もあるのかもしれない。

ただ。さっきお風呂に入っていた時、突然頭に、知らないインコたちの姿が浮かんだ。彼らは、言っている。

「寒いよ、怖いよ、おなかが空いたよ」
「ここの子たちは、良いなぁ。暖かいおうちもごはんもあって」

どうやら、石川県の地震で被災した子たちらしい。

私は、今回の震災のような災害が発生した時、被災された方々のご無事を祈りながら、人と暮らしている命たちのことがどうしても気になる。

13年前の東日本大震災の時、私は愕然としたのだ。人の命も軽く扱われたものだが(犠牲になった方々の”数”で、災害の規模を測る態度が、人命軽視の態度でなくて何だろうか)、それ以上に人以外の命が路傍の石のように扱われていたから。

やがて、被災した動物たちの保護活動の情報もあったが、伝わって来るのはすべて犬と猫の話。

「鳥たちは? ネズミやウサギは? ほかの生き物たちは???」

報道されなかっただけで、実際にはこうした命たちの保護活動をされている団体もあったと後年知ったのだったが、当時SNSをほとんどやってなかった私に伝わってくるものはなかったのだ。

しかも、当時、鬱の療養中で、打ちのめされることを恐れた私は、極力、自分から情報を取りにはいかなかった。無力感の虜になり、自分に絶望して現実に背を向けることがないようにするためだった。余計な負荷を、自分に掛けないで、ともかく日常生活を送ることを、心掛けた。そうすることで、私は今でも、東日本大震災の時のことを、忘れていない。ギリギリのところで、絶望しなかったことで、あの大災害を記憶しておく余力ができたのだ。

こういう私の思考が、何処かで石川県の震災へとつながっているのかもしれない。しかも、かの地に具体的な知人・友人がいない私なので、どうしても被災した動物たち、とくに軽く扱われがちな鳥たちへの思いが、助けを求める子たちの思念を拾ってしまったのかもしれない。

鳥さんたちの保護活動をしている方のTwitterをフォローしている相方から、その方が石川県に入った、という話を聴いていた。私は、いささかその行動に危惧の念も抱いたが、その方はいろいろ経験もあるようだから、いくらかは人への支援物資なども持っていって、かの地の人々の負担になるようなことはしないだろう、と、考え直すことにした。もちろん、その方は被災した方々の愛鳥たちを一時預かりなどの形で、保護するために向かったのだ。

私に今できることは、被災地で今を懸命に生きている方々のご無事を祈ることだけ。様々な救助の手が間に合うことを祈るばかりです。

私に助けを求めてきた子たちが、なんとか生き延びられるように、粗塩を入れたお風呂の中で祈りました。今、うちの子たちは落ち着きましたから、少しは祈りが届いたのかもしれません。


感受性が豊かな方は、日々の被災地からのニュースだったり、様々な事件の情報で、ダメージを受けやすいです。それらを遮断して、ご自分を守ることは極めて自然なことなのです。大人であれお子さんであれ、こんなにとんでもない状況では、ダメージを受けるのは当然でしょう。どうぞ、ご自分を責めることなく、ご自愛ください。お子さんが動揺しているときは、優しく抱きしめて、情報から隔離してあげてください。

ダメージが強すぎて、思考停止を起こし、現実に無関心になること。それこそが、被災地と被災された方々への残酷な仕打ちなのですから。

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