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最愛のコンビは、やはり私には最強だった!

先週の木曜日の夜、夜行バスで仙台に向かいました。5年ぶりです。
最大の目的は、最愛のオーケストラ・仙台フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会を聴くことでした(ほかにも、目的はあったのですが、それはまた別の記事にすることにします)。

今年、仙台フィルは創立50年目のアニバーサリーイヤー。それを記念して、定期演奏会を指揮する方々の顔ぶれは、これまで仙台フィルのスタッフとして活躍してこられた方々ばかり(おひとり、? が付く方がいらっしゃってますが)。昨年の今頃、仙台フィルの事務局からSNSで、指揮者のラインナップが発表されたのでしたが、そこには、最愛のマエストロ・山下一史の名前がありました。

何度も仙台フィルを聴くために仙台に行くことを試みながら果たせないでいた私は、その時固く決心したんです。

「何があっても、来年10月には、仙台に行く! 絶対必ず、仙台フィルと山下さんの演奏を聴くんだ!!! それができなかったら、一生後悔する!!!!!」

しかも、今年の6月の仙台フィルの東京公演を、チケットを買い損ねるという大ポカで聞き逃しているものですから、決意はほとんど呪文のようになってすらいました。この呪文が、いろいろ浮き沈みの激しい私の日々を支えていたと申し上げても、過言ではありません。

私の記事をいくつも読んでくださっている方でしたら、思われるかもしれません。

「でも、山下さんが指揮しているコンサート、いくつも聴いていて、それで感動味わってもいるんでしょう? 何故、そこまで仙台フィルとのコンビにこだわるの?」

実際、このコンビでの演奏を6年聴けないでいる間、私の中でも、千葉交響楽団への愛情みたいなものも生まれていますから、揺らいでいる部分はありました。”遠くの親戚より、近くの他人”ですね。

でも、今も千葉響のコンサートで山下さん以外の方の指揮は、聴きに行く気がしません。仙台フィルだと、山下さん以外の方でも、食指が動くことがあるのとは、決定的に違うんですね。

それでも・・・・。もし、今回の演奏に何かしらの齟齬を感じた場合は、仙台フィルへの思いに距離ができるかもしれない、という危惧はありました。我知らず、見守ってきた千葉響への愛情が上回っているかもしれない、なんて、考えていたんです。

結果は・・・・。すべて、杞憂でした。タイトルにもした通り、仙台フィル&山下一史は、私には最高にして最強のコンビだと、再認識することになったのでした。

ともかく、息の合い方の濃密さが違うんですね。もちろん、千葉響とのそれも、良い感じなんです。観ていて、実に微笑ましい。ただ、仙台フィルを指揮している山下さんの雰囲気は、レヴェルが違います。仙台フィルとともに、安心して演奏されているのが明白です。

千葉響の時は、どうしても山下さんが船頭になって、オーケストラを引っ張っていらっしゃる感じですが、仙台フィルとだと、お互いの意思疎通ができているので、力みがないんですね(まぁ、立場が違うだろうと言われれば、そうかもしれませんが)。その或る種の脱力が、余裕となっている感じです。

今回は、ソリストがいない形でしたので、仙台フィルと山下さんとのコンビネーションを存分に楽しむことができました。

オープニングは、外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」。

外山さんは、本来仙台フィルの音楽監督も務められた方でしたが、何らかの事情で今回ご登場ではなかったのです。私自身はあまり気にも留めてなかったのですが、そうしたら今年の7月にお亡くなりになられたので、おそらくは体調の関係でお断りになられたんだろうと勝手に推測しています(実際、東京のオーケストラの定期演奏会に登壇されたものの、途中で指揮続行不能になられたのだとか)。結果として、外山さんへの献奏になった形ですね。

日本のいくつもの民謡を、オーケストラが演奏できるようにアレンジした作品です。普段のオーケストラ作品ではお目に掛かれない打楽器が大活躍する、なかなか楽しい作品でもあります。仙台フィルには”外山セット”というものがあって、この作品の演奏の時には、登場します。私は、実は11年前この作品の演奏を、初めて仙台で聴きました。この”外山セット”でね。

その時の指揮者は、山下さんではなかったのですが、良い演奏でした。それでも、今回の山下さんとの演奏で、私の記憶は当然上書きされました。打楽器の勢いだったり、全体の音色の明るさだったりが、全然違うのです。聴いていて、身体が演奏の楽しさに反応します。許されるなら、演奏に合わせて踊りたくなるほどでした(それぞれの振り付け知りませんので、身体を揺らす程度でしょぅけれどね(^^;)。

7分ほどの演奏で、客席に明るい雰囲気をもたらした後、演奏されたのが、ハチャトゥリアン(「剣の舞」で有名な方ですね)の、組曲「ヴァレンシアの寡婦」。吹奏楽では有名で人気もある作品だそうですが、私は全然知らない作品です。

にも拘わらず、実際の演奏を聴いたら、「あ、このフレーズ、知ってる!」となったから、不思議です。私の勘違いだろうとは思うんですけれどね。でも、全然知らなくても、とても親近感を持って、楽しんで聴かせる明るさや人懐っこさが、演奏にあるんですね。それは、舞台の仙台フィルと山下さんが、実に楽しそうに演奏してらっしゃるところに負う部分が大きいでしょう。

私が12年前、初めて仙台フィルと山下一史との演奏を聴いた時、何に驚いたって、舞台上の演奏家が笑顔で幸せそうに演奏している姿でした。クラシック音楽と言ったら、なんだか生真面目に難しそうな雰囲気で演奏されるものだと思っていた私には、まさに青天の霹靂!!! 聴き手に作品の素晴らしさを伝えるために、まず演奏家が演奏を楽しむ。その姿に、私は一目ぼれしたのでした。

その基本は、やはり変わるものではなかったのですね。作品の明るさや華やかさ、あるいは、コミカルな部分だったり、ちょっと深刻な雰囲気など、様々な表情を、軽快にテンポよく表現してゆきます。”ヴァレンシア”という名詞からの連想か、私は演奏からオレンジ色の雰囲気を感じ取っていました。演奏自体に、夏を感じさせるエネルギーもあって、いささかくたびれてもいた私ですが、すっかり元気になりました。

前半の2曲が、エネルギッシュで、パワフルだったのに比べて、後半のメインのシベリウスの交響曲5番の演奏は、対照的でした。

穏やかだけれど陰鬱な部分もある、静けさを持っています。前半での興奮を鎮めるかのようです。重く沈む感じもあるけれど、所々からほっとするような明るさも顔を出します。でも、その明るさは、長くは続かないんです。けれど、決して消えもしない。

私はシベリウス好きですが、このシンフォニーの演奏を聴くのは、初めてです。シベリウスには比較的明るい2番という名曲もあるんですが、何故、山下さんがこの5番にしたのか? 聴きながら、それも考えていました。

今の世相の中で、クラシック音楽を演奏するなら、きれいごとを語る作品など、意味がないだろう。それでも、自分たちの演奏を聴きに来てくれる方たちに寄り添うためにも、様々な表情を持った作品が良い。仙台フィルとなら、この作品の複雑さも存分に表現できるはずだ。

上記は、私の妄想にすぎません。山下さんからお聴きしたわけではないですし。けれど、重くて暗い様相の中に、わずかに暖かさが差し込むという(しかも、何度も)構造は、息苦しさや生きづらさを感じることが多すぎる今の時代に聴くと、”決して、希望を棄ててはならない”という作曲家のメッセージを聴きとった気がするんです。それは、12年前、あの東日本大震災を経験した両者だからこそ表現し得た高みのようにも、私は感じられたのでした。

アンコールは、メインと同じシベリウスの「アンダンテ・フェスティヴォ」(祝祭のアンダンテ、と訳されることが多いです)。山下さんがここ数年好んでアンコールピースに使われる作品ですが(もちろん、私も大好きです)、弦楽器が奏でる響きのなんと涼やかで温かいこと! そして、本当に最後に響いてくるティンパニの静かだけれど、聴く人をしっかり励ます強さ! 静かに高まって来るティンパニの響きに合わせて、私の胸も熱くなったことです。

もう何年も聴いてなかったことがウソのように、私の心身に隙間なく、親しい演奏として、存分に降り注いできたのでした。千葉響と比べる暇もなかったです。この演奏を千葉響で聴けるとは思えなかったし、聴きたいとも思っていない私がいました。まさに唯一無二! 

仙台に行った甲斐がありました。後悔もせずに、済みそうです、ハイm(__)m💕💛

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