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愚民で何が悪い。その先には素晴らしい世界が待ってる

·        日本人は魚の群れ。何も考えずただ大きな流れについていくだけ。
·        トップは忖度で物事を決め、末端は文句を言うばかりで変えようとしない。
·        非合理だとわかっているのに変えられないやり方は戦時中と一緒。
·        それどころか、江戸時代で意識が止まっている。
·        日本は合理性や知性が尊重されない社会。

宮台真司と大塚英志の対談動画「愚民社会」を観た。
散々な言われようだが、どれも心当たりがあるので反論が難しい。

ただ一点、引っかかる表現があった。
「合理性が尊重されない社会」

彼の言う合理性とはどんな意味なのか。

頭のいい連中は、「合理性」という言葉を
非常に都合よく、さまざまな場面で使い分ける。

合理的な経営判断。
事業目的、社会的意義、責任、顧客利益、従業員満足、環境的役割など、それらすべてを総合的に判断したかのような印象をもたらすために「合理的」という言葉を使う。

でもその実、だいたい「儲かる方を選んだ」ってだけのこと。

障害者に対する合理的配慮。
そんな言葉もある。
初めて聞くと、なにそれ?一瞬困惑する。

そもそも合理的・合理性ってどんな意味だっけ?
調べてみると、「理屈に合ってること」らしい。

え?ただそれだけの意味?
じゃあ「合理的配慮」をわかりやすく言うと
「偏見のない思いやり」ってだけのこと?

どうして合理的・合理性が
こんなにわかりづらい言葉になったのだろう。

それはひとえに、ほとんどの場合「経済的合理性」を示す使われ方をされるようになってしまったからだ。

経済的合理性。効率よく稼ぐこと。
おれたちは、どんな事柄に対しても、
その視点でしか物事を判断することができなくなってしまった。
資本主義の考え方にどっぷり浸かっている。

「合理的だ」と言われると、
とたんにその方法が唯一絶対に正しい答えのような気がしてくる。

合理的であることの本来の意味は、
ただ「理屈に合ってる」ってだけなのに。

世の中にはいろんな理屈がある。

そして宮台氏の言う「合理性が尊重されない社会」。
果たしてそんなことがありうるのだろうか。

彼がこの場面で使う「合理性」はどんな意味が含まれているのだろう?
おそらくそれは「西洋的発展」を意味するものと思う。
そして西洋的発展とは、経済的成長と同義だ。
ここで彼が言いたいのは、「西洋人のように経済成長することが理屈に合っている」ってこと。そうしない日本人はバカだってこと。

それはおまえの理屈だろう。

もし、日本人が西洋的発展を潜在的に望んでいないとしたらどうだ?

宮台氏は言う、「日本人は魚の群れだ」と。
おれは思う。
魚の群れとは何なのか。魚はなぜ群れをつくるのか。

調べてみた。
「運動コストを抑えるため」と出る。

先頭の位置を順に交代して、少ない労力で移動するためとある。
省エネ、節約。確かにおれたちが日常的に行なっていることだ。

彼の言うことは正しい。たしかに日本人は魚の群れだ。

アメリカ人のようにたくさん稼いで、
たくさんのエネルギーを消費するような、
大雑把で無駄な生活なんかやりたくない。

もう理解した。おれたちは元々、西洋的発展なんか望んじゃいない。

黒船が来て、強制的に開国を迫られ、
欧米列強へ対抗するために倒幕せざるを得ず、
結局戦争に負け、
また経済発展こそが幸せの道と信じ込まされた挙句バブル崩壊。
そして今の格差社会。

おれたちは何度も何度も、
西洋人のやり方は自分たちと合わないって現実を味わされてきた。

それでもこの道を進むのを止めようとしない資本主義にも、
民主主義にもうんざりしている。

宮台氏は言う。「日本人は江戸時代で意識が止まっている」

江戸時代?最高じゃんか。
今、西洋人たちがSDGsを掲げている。
自分たちでなければ思いつかなかった、
みなさんには難しい高尚な理念です。
それでもあなたたちは私たちについてきてください。みたいな顔して。

江戸時代の日本人は、そのどの項目も
ダントツ世界一で実施していたはずなのに。
それを今更、散々奪い、破壊してきたおまえらが
おれたちにまた押し付けようとしてるなんてほんとに図々しい。

100年後に日本は、新しい江戸時代を獲得するだろうとおれは考えている。

おれたち庶民は今、声を上げず、静かに西洋的発展を拒絶している。
それでも政治家連中は、この道を避けることができない。
であれば、おれたちは政治も拒絶する。
政治に参加しない、おまえらの存在自体を無視する。

子どもを産まないことによって
人口増加による発展なんて馬鹿げた計画を拒絶する。
西洋的発展、経済的発展を拒絶する。

そんなやり方で、頭のいい連中が未だに信じる、
西洋的発展主義の政治にNOを突きつけ続けている。
失われた30年、ずっとずっとその態度を示し続けている。

資本主義にも、民主主義にも絶望した、投票もせず、デモもしない。
ただそれでも、頭のいい連中が示す道に賛同しないという空気をつくり続けている。

この上なく、時間がかかる方法だが、
それでも定着した際は、だれも覆すことができない。
非常に日本的なやり方で抵抗し続けている。

そんな抵抗をあと100年続けて、
日本が完全に経済大国の地位を手放したとき、
やっと、おれたちは自由になることができる。

諸外国から経済的な要求をされなくなってやっと、
自由になることができる。

新しくゆるい鎖国だ。
日本人は元々、諸外国に影響を与えようなんて思っちゃいない。

江戸時代、あれだけ諸外国との交流を制限していたのに、
浮世絵は欧米諸国へ大きな影響を与えた。

今の時代に置き換えると、浮世絵はアニメだ。
見せたいものを強調し、見せたくないものを省略するディフォルメの表現。

世界はそれを賞賛する。

そして江戸時代にある素晴らしい芸術で、
高度すぎて世界が理解できなかったものに、
茶の侘び寂びがある。

今の時代に置き換えるとそれは、Kawaiiカルチャーになると思う。

私たち日本人は誰でも心の中にKawaiiを住まわせている。
生活のあちこちにKawaiiが存在する。

道路工事の看板も、わざわざ愛らしいマスコットキャラクターにお辞儀させる。

Kawaiiによって我々の生活は円滑で豊かになる。
Kawaiiは文化であり、風習であり、作法であり、信仰であり、思想だ。

これから手に入れる新しい江戸時代が、
貧乏になった日本の清貧社会だなんて考えちゃ困る。

世界の誰も到達できない高みにいこうとしているのだ。

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