ヲタク、研究計画書を書く②

ヲタク、研究計画書を書く①。の続き。

さて、自分の事業計画をまず作って見ましたが、正直に言えば、この順序で1つ1つ考えていませんし、適当に埋めた項目もあります。とにかく重点をおいたのは、2.ビジョン,4.強み,5.市場環境,7.仕入れ先で、ここから「3.事業の概要」を創作していきます。何を信念とし、何が得意で、他と差別化でき、何を継続的に得ることができるのか→それを活かしてやれることは何か。

ここにプラスして、新規事業の立ち上げ時に考えた方がいいとされる「自分は何に困っているのか」「何を解決したいのか」も自分に問いかけます。こうして、強みであり、蓄えである「人とコミュニケーションを取って得た情報」を思い出しながら、自分は何がしたいのか、何ができるのかを箇条書きにしていきました。

(メモそのまま)
・社会の幸せに繋がることがしたい→大きすぎる、もっと絞れ
・地方の知り合いたちの話は新鮮でおもしろい。
・地方の飲食経営の知り合いたちは、観光客以外の集客がどんどん減っていて、平日の経営が苦しい話をしていた。→私の行きつけが無くなる、困る。
・漁業界の高齢化、陶芸家は後継者見つからず→好きなものが手に入らなくなる、困る。
・夏に行ったK県もN県も、黒字倒産、後継者不足、UターンIターンの低迷、地方に人が足りないと言ってた。
・でも、AIの登場で失業リスクも地方は増加が悩みらしい→これ、地方だけの問題か?むしろ都会の方が問題では?
・最近の個人的に困っていること:ノマドワーカーが増えててカフェの席が取れない→地方に拠点を置いて都会と同じ仕事ができるのではないか?
○都会から地方への人口分散。UターンIターンの促進。インフラも関われる。

私利私欲にまみれた困りごとであることは、置いておいて。

こんな箇条書きメモから、私の研究計画書の草案である「都心の人口分散による地方創生」が生れました。そして、キャリアゴールも「今の会社のアセットを使った地方創生をしたい」をベースに、そのために具体的に習得したいスキルや勉強したい分野を書いて肉付けすると、それなりのものが出来上がりました。
この作業をしていたのが、9月の1週目から2週目にかけて―出願の始まる2週間前くらいです。もう本当に時間もないという中、ここでまさかの「平成最後の夏」シリーズ最終章の北海道旅行にでかけます。しかも、新千歳から稚内まで車で往復するという3泊4日、走行距離1,000キロの旅。さすがに、両親にも上司にも呆れられ、私も前期の試験は見送ろうかと考えましたが、この旅行がまたいろんな出会いを結んでくれました。

時期としては、北海道胆振東部地震が起きた10日後。やっと道央・道東に住む方の生活が戻り始めた頃、私と友人は新千歳空港から5時間かけて日本最北端へ向かいました。途中、いくつもの道の駅でソフトクリームとトウモロコシを食べ、オロロンラインから日本海を眺めるドライブ。道路も市内も混雑していないので、すいすい行動できて快適。「シルバーウィークだというのに、こんなに行動が楽なんて!」と感動するほどでしたが、そもそも、それがちょっと異常なことだったんです。
稚内で泊まった宿近くの小料理屋で女将さんに話を聞いて曰く、やはり震災の影響で大部分のお客さんが旅行をキャンセルしてしまったんだとか。特に海外の団体客のキャンセルは打撃が大きく、泣く泣く休業にしたお店も出ているとのこと。人口が減り、町の経営が観光頼りになると、こういうとき大変だと女将さんは苦悩を打ち明けてくれましたが、確かに周りを見渡すとシャッターの下りているお店が目につきました。
同じような話は、翌日泊まった富良野でも聞きました。どこに行っても「こんなときに北海道へ来てくれてありがとう」と言われます。観光で成り立つ村や町は、災害が起きると存続が危ぶまれるとも。

それを聞いて、私の中の信念に火がつきます。
こんなにおいしいものを食べさせてくれた、素晴らしい花畑や自然の維持に力を入れてくれた人たちに何かを返さねば、と。
これら現地での体験を踏まえ、人口分散と合わせて、観光だけに頼らない町興しや地方創生に関する研究計画書を書き上げることができました。

こうして出来上がった3つのエッセイを、父とキャリコンの資格を持つ上司の2名に添削して貰いました。今にしてみれば2人に見せたのは妥当でしたが、当時はどちらかにすればよかったとすごく後悔しました。
何せ文の書き方に正解はありません。修正の多くは、赤ペンを入れる人の文に対する好みです。2人に見せたことで、私はそれぞれの好みの板挟みになり、結構ここの直しは苦しかったです。特に、上司は単語や表現を丸々直してくるので、それを取り入れると私の言葉ではなくなるため、二版、三版は父から「前後の文とテイストが変わって、全体的に読みにくくなった」と言われる始末。しかし、父のアドバイスもあまり具体的ではなく、後の面接対策を考えると上司のコメントの方が役立つものも多かったので、今となっては2人に頼んで結果オーライですが、やり直すならば添削は受験校の卒業生にお願いしようと思います。

そして、2018年10月1日の大安の日に書類一式を郵送、数週間後に受験票が届きました。次はいよいよ筆記試験。そう、ここまで読んでくださった方はもうお分かりかと思いますが、私、対策としてダイヤモンドと小論の本一冊読んだだけです。一本も小論文を書いていません。
いったいどうなるのでしょうか?
それは次回に。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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