初めて生きてる赤ちゃんを出産できました不育症の治療をして、早産で救えた命

なかなかPCに向かえず遅くなってしまいました。
先日、緊急帝王切開で男の子を出産して、初めて生きてる我が子を抱くことができました。
7月8日に帝王切開の予定が(子宮筋腫の手術歴があって帝王切開)1ヶ月以上前倒しに。前置胎盤で出血が止まらなくなったため、34週での早産になりました。
生児出産も、妊娠後期まで妊婦でいられたのも初めて。杉WCに通院しながらアスピリンを28週、ヘパリン自己注射を33週まで続けた、不育の治療が報われた形です。

私は過去2回の妊娠が2回とも子宮内胎児死亡、妊娠の先に悲しい結末しか経験してきませんでした。自分にとって死産はあまりにリアルで、今回の妊娠中はPTSDの状態だったのか、最後までトラウマに苦しみました。最初から最後まで死産の恐怖と隣り合わせ。「お腹の子が生きてるうちに腹切って出してあげたい」と、ずっと思っていました。産科医にも精神科の主治医にもそう訴えました。

あの子たちの心臓は2回とも静かに急に止まったから、私の子宮にいたら危ない。いつ心臓を止めてしまうか分からない。
胎動が弱くなってから病院に行っても間に合わないという恐怖から、「不安だから早めに管理入院させてほしい」と訴えたこともあります。(どの訴えも聞いてもらえませんでしたが)

妊娠中は自分の身体を疑い続けました。私も夫も。妊娠後期になっても、もう数週間私のお腹にいたら、せっかくここまで育ってくれた命をまた失ってしまうんじゃないかと恐怖が膨らみました。

病院が34週0日での緊急帝王切開を決めたのはあくまでも「前置胎盤」が理由であり「不育症」は一切考慮されていません。

今回の妊娠を初めて手放しで喜ぶことができたのは、翌日の緊急帝王切開が決まった前夜でした。面会に来た夫は「(お腹の子を)ここまで育ててくれてありがとう」とボロ泣き。ふたりで抱き合って泣きました。
何の涙かって、嬉し泣きです。
子宮が悪さをする前に赤ちゃんを出してあげられる。生きてるうちに産める。34週なら外の世界できっと生きられる。

「私は嬉しいけど“普通の”妊婦さんは早産って落ち込むものみたい。NICUが長引いて悲しませるかもしれない。そうなったらごめんね」と謝ったら、夫は私の言葉を遮って「どうでもいいよ」「生きてるだけでいい」と。同じ気持ちでいてくれました。

早産にリスクがあると分かっていても、私たちはそこで悩めるような次元にいなかったんです。赤ちゃんの心臓が動いてるうちに今度こそ助けたかった。生きていればいい。この感情、子宮内胎児死亡とかを経験した当事者なら分かってくれるかな。

前置胎盤による緊急帝王切開でしたが、我々夫婦は不育脳なので最適な救出劇に見えました。

息子はNICU、GCUで1か月以上お世話になり、ついに退院することができました。

娘を亡くした1年前は何の希望も見出せず、朝を迎える度に虚無感と希死念慮に襲われ、一生分泣きました。孤立していた時、天使ママとの交流で希望をもらいました。
皆さんの支えがあったからこそ出会えた命です。ありがとうございました。深い悲しみの渦中にいる誰かのために、少しでも役に立てたらと思い、最後に記録を残します。

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