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346.存在しない友だちについてのリミックス(藤枝さん/ハギホ/ゴーストライターの不在)

でも、僕は、僕だけは覚えている。

ゴーストライターの不在 1

大学時代の先輩・戸田さんと久しぶりに飲むことになった。待ち合わせ場所である駅前の書店に行くと、先輩はすでに居て、何やら本をパラパラとめくっている。
「戸田さん」
「おー、久しぶり」
戸田さんが振り返ると、手に持っている本のタイトルが見えた。人気若手俳優のエッセイ本だ。ゴーストライターが書いたのではないかという疑惑があり、話題になっている。
「あれ、戸田さんって砂川竜太朗、好きでしたっけ?」
「いやぁ……、まぁね」
古い洋画オタクの戸田さんだが、最近の若手俳優には疎いイメージだったので少し意外だった。

結局、戸田さんは本を買わなかった。

藤枝さん 1

藤枝さんと初めて話したのは大学2年生の時。秋学期の演習のグループワークで、同じ班になったのがきっかけだった。演習のお題は「グループごとに映画監督を一人選び、そのフィルモグラフィーをさまざまな角度から検証することで、『作家性』と呼ぶべき特徴について発表せよ」。俳優やら技術スタッフやら多くの人間が関わって作り上げられる映画において、監督の「作家性」というものは本当に存在するのか、存在するとしたらそれはどのようなものなのかを考察するのが、この演習の目的だった。
僕らのグループはエルマン・バトン監督を扱うことになった。ちょうど『スロープ』が公開中のタイミングだったのと、寡作だから発表する上での手間が少ないだろうという安易な理由だった。
「エルマン・バトンの映画って、何か観たことある?」と、グループの中でも一番の映画オタクだった4年生・戸田さんが、他のメンバーに聞いた。「あー、『バイザウェイ』は観たけど、あんまり面白くなかったな」とか、「『スロープ』はもう観に行ったけど、今までの作品で一番好き」と、先輩たちが口々に話し始める。
ちょっと焦った。僕が映画を熱心に見始めたのは大学に入ってからのことで、エルマン・バトンについても名前は聞いたことあるけど…、という状態。メンバーで唯一同じ学年だった藤枝さんが「私は『衛星とダンス』が一番好きでしたね」と言ったことで、エルマン・バトン作品を一作も観ていないのは僕だけだということが確定した。
「あー、すみません、僕、一本も観てなくて」と正直に話すと、戸田さんが「大丈夫、大丈夫。僕らの発表はまだ先だから、今から観ても全然間に合うよ」と言ってくれた。

ゴーストライターの不在 2

書店の近所にある居酒屋で飲み始める。僕はビールで、戸田さんはレモンサワーだ。焼きとんも美味い。
戸田さんと飲む時は大体話題が決まっていて、近況報告的な雑談をした後、映画や本の話になる。最近見た邦画が面白かった、特に主演の若手俳優の演技が素晴らしかったと僕が言うと、戸田さんは「うーん、もう最近は新しく出てくる俳優が覚えられなくなってきてるなぁ……。ダメだなぁ……」と言いながら頭をかく。
「え、でもさっき、砂川竜太朗のエッセイ見てたじゃないですか」
「あー、あれはさぁ、まぁ、いろいろと事情があってね」
「なんですか、事情って」
「説明が難しいんだよなぁ。なんて言ったらいいか……」
そう言いながら、戸田さんは右手で両目を覆う。迷ってたり考え込んだりする時の、戸田さんの癖だ。
「……友達が、書いたんじゃないかと思って」
「えっと、戸田さんの友達が、砂川のゴーストライターだったんじゃないか、ってことですか?」
「前にその友達がさ、有名人のゴーストライターをやったって話してたんだよ。だから、これかもしれないなー、と思ってパラッと立ち読みしてみたけど……わかんなかった。そいつが書いた文章かどうか」
戸田さんはレモンサワーの残りを飲み干した。店員に「もう一杯、同じやつ」と頼む。
「その友達に聞いてみればいいじゃないですか。お前があの本を書いたのか、って」
戸田さんはまた、右手で両目を覆って、そのまま話し始める。
「……居なくなっちゃったんだよ、そいつ。もう誰も覚えてないんだ、そいつのこと。僕しか、そいつのことを覚えてないんだ。そいつが書いていた文章のことも、誰も覚えてない。僕しか覚えてないのに、もう、他の文章と見分けがつかないんだよ」

ハギホ

ある日、映画館でたまたまハギホと出くわした。同じ作品の同じ回の上映を観に来たというので、映画の後で飯でも行こう、という話になった。
上映後、近所の居酒屋に入って映画の感想などを話すも、可も無く不可も無くって感じの作品だったのでそれほど盛り上がらず、次第に話題は近況報告になっていく。
酔いが回って饒舌になったのか、ハギホは「本当は言っちゃダメなんだけどね」と前置きしてから、最近ある芸能人のゴーストライターをやったことを教えてくれた。
「えっ!? ゴーストライターって誰の!?」
「いや、名前とかは言えないんだけど、結構有名な人の自伝本のゴーストライター。って言っても、ゼロから僕が書いたわけじゃないよ。一応、本人にインタビューして、それを基にまるで本人が書いたかのような文章を作ったってだけ」
「へ~、ゴーストライターって本当にやることあるんだね」と相槌を打ちつつ、僕はその芸能人が誰なのかを聞き出そうとしたが、結局教えてはもらえなかった。
「……でもさぁ、せっかくだったら、僕の名前もどこかに入れて欲しかったけどね。『インタビュー構成』とか、そういうクレジットでいいから」
「そうだよなぁ、『この仕事は俺がやったんだぜ』って言いたいよなぁ」
「うん。だから、まぁ、戸田には知っててほしいなと思って、言った」
「おぉ、わかった。覚えとくよ」
「……ありがとう」
「だからさぁ、やっぱり誰のゴーストやったのか教えて?」
「絶対教えない」

ゴーストライターの不在 3

詳しい事情を聞こうとしたところに、店員がレモンサワーのおかわりを持ってきた。戸田さんはひと口飲むと別の話題を切り出してきて、もうゴーストライターについても友人についても語ることはなかった。
最近見た映画の話とか当たり障りのない話を少しして、店を出た。別の路線の電車で帰るから、戸田さんとは駅でお別れだ。

「戸田さん、ちょっと聞きたいんですけど……」
別れ際、僕はずっと聞きたかったことを口にする。もしかしたら戸田さんなら覚えているかもしれない、と思っていたことだ。
「……藤枝さんって、覚えてますか?」
「藤枝さん?」
「はい、大学の時、僕らと同じ発表グループにいた藤枝さん。藤枝衣理さんです。覚えてませんか?」
「んー、あの時のメンバーって澤井くんと浦部くんと、それから……」
戸田さんはしばし考えたあと、「ごめん、覚えてないや」と言った。
「……そうですか」
「えっと、その藤枝さんがどうかしたの?」
「いや……、何でもないです。じゃあ、僕、こっちから電車乗るんで」
「そうか、じゃあ、また飲もうね。おやすみ」
「おやすみなさい」
戸田さんと別れて、ホームに上がって電車を待つ。

近くに僕と同い年くらいの男女が立っていて、その会話が聞こえてくる。
「住吉はさぁ、今までの人生で『この人、一番好きだな』って思ったことないの」
「うーん……。昔を振り返ってみて『あー、私ってあの人のことが一番好きだったんだなぁ』って思うことはあるかな」
「え、そういう人いるんだ。一番好きだって思うんだったら、今からでも連絡とってみるっていうのは……?」
「……でも、もうその人、いなくなっちゃったから」

そうか、いなくなってしまったのか。

戸田さんの友人も、この“住吉”と呼ばれた女性の友人も、藤枝さんも、もう存在しないのか。

存在しないことに、なってしまったのか。

でも、僕は、僕だけは藤枝さんのことを覚えている。存在しない友だちのことを。

藤枝さん 2

早朝、レジャーシートを持って公園へ。ちょうど大きな桜の木の下が空いていたのでそこを陣取ったはいいものの、途端に手持ちぶさたになった。スマホでTwitterやらネットニュースを覗いたりしたものの、「このまま時間をつぶすのはなかなかにつらいぞ」という気分はどんどん大きくなっていく。
もうやることがないからいっそ誰か来るまで寝てしまおうかと、レジャーシートの上でごろりと横になった僕の目の前に、グレーのスニーカーを履いた足が現れた。藤枝さんだ。
「一番乗り?」藤枝さんは黒いジーンズに水色のパーカーで、手に提げているコンビニ袋の中に缶ビールが数本入っているのが透けて見えていた。
「待ってた~! 暇すぎて疲れてきたところだった~」と寝ころんだまま呻く僕に、藤枝さんが缶ビールを差し出してくれる。
先輩たちが来るまで先に飲もう、ということになり、2人で乾杯。藤枝さんは飲むペースが早くて、「四月になっても朝は寒いな~」などと言いながら2缶めに突入していた。
「そういえばさ、私、ちょっと言っておきたいというか、謝っておきたいことがあって」と藤枝さん。
「え、何?」
「演習でグループ組んだ時、私さ、『衛星とダンス』が好きとか言ってたじゃん。あの時本当はね、エルマン・バトン、一作も観てなかったんだよねぇ」
「はっ!?」缶ビールを落としそうになる僕。
2年生になって初めてグループワーク形式の演習を受講した藤枝さんは、他の先輩たちがエルマン・バトンの話で盛り上がる中、「一作も観たことが無い」と言う勇気がなかったらしく、唯一タイトルを知っていた『衛星とダンス』を「好きな作品だ」と口走ってしまったらしい。
「だから『僕、一本も観てなくて…』って言ってるのを見て、心の中ですごい謝ったからね、私!」と藤枝さん。口調は申し訳なさそうだが、そう言いながら3缶めのビールに手を伸ばしているのを見て、「全然申し訳なく思ってないでしょ!?」と思わずツッコむ僕。
「いやいや、本当、結構気にしてたよ私! なんなら澤井くんが『衛星とダンス』を観てめちゃくちゃ感動した話をしてくれた時もまだ観てなかったから、めちゃくちゃ心の中で謝って…」
「あの時も観てなかったんだ!? 反応薄いなと思ってたんだよ!」
酔っぱらいながら話しているうちになんだかおかしくなってきて、2人してゲラゲラ笑っていたところに、「…えっ、どうしたの?」と戸惑いながら浦部さんが合流した。
説明がめんどくさくなって、僕と藤枝さんはニヤニヤしながら「いや、何でも無いです」「ほんと、何でも無いんで」と言った。

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