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341.ゴーストライターの不在

「特に読んでほしいところですか……? うーん、わかんないですね、僕もまだ読んでないんで」
若手俳優の砂川竜太朗は、自身初の著作であるエッセイ本について聞かれてそう答えた。自分が書いたことになっているのに、うっかり「まだ読んでない」と口走り、ゴーストライターの存在を明るみにしてしまったのだ。
砂川の「意外な文才」を売りにしていた書籍だけに、SNSでは大炎上が巻き起こった。

担当編集者が「あのエッセイは砂川さん自身が書いたものです」と弁明し、批判の的となった。編集者は困惑した。一体どうなってるんだ……?
編集者が言ったことは本当だった。ゴーストライターなんて存在しないのだ。彼は確かに、砂川自身が執筆したものとして原稿を受け取っていた。
「もしや、砂川の所属事務所が勝手にゴーストライターを雇っていたのでは……?」
疑念を抱いた編集者は、砂川のマネージャーに電話をかけた。
「どうなってるんですか! 事務所の方で勝手にライターを雇っていたなんて……」
「いや……、私にもわからないんです。うちの事務所でもゴーストライターなんて雇ってないんですよ。あの原稿は砂川が書いたもののはずで……。でも、砂川に聞くと『インタビューしてくれたライターさんが、文章にまとめてくれた』っていうんですよ」
「そのライターっていうのは誰なんですか?」
「わかりません。砂川自身も『ライターさんがどんな人だったか、全く思い出せない』って言うんです。『だけど、少なくともあの文章は僕が書いたものじゃない』って……」
「……じゃあ、あの原稿を書いたのは、いったい誰なんだ?」

◆ ◆ ◆

大学時代の先輩・戸田さんと久しぶりに飲むことになった。待ち合わせ場所である駅前の書店に行くと、先輩はすでに居て、何やら本をパラパラとめくっている。
「戸田さん」
「おー、久しぶり」
戸田さんが振り返ると、手に持っている本のタイトルが見えた。人気若手俳優のエッセイ本だ。ゴーストライターが書いたのではないかという疑惑があり、話題になっている。
「あれ、戸田さんって砂川竜太朗、好きでしたっけ?」
「いやぁ……、まぁね」
古い洋画オタクの戸田さんだが、最近の若手俳優には疎いイメージだったので少し意外だった。

結局、戸田さんは本を買わなかった。

書店の近所にある居酒屋で飲み始める。僕はビールで、戸田さんはレモンサワーだ。焼きとんも美味い。
戸田さんと飲む時は大体話題が決まっていて、近況報告的な雑談をした後、映画や本の話になる。最近見た邦画が面白かった、特に主演の若手俳優の演技が素晴らしかったと僕が言うと、戸田さんは「うーん、もう最近は新しく出てくる俳優が覚えられなくなってきてるなぁ……。ダメだなぁ……」と言いながら頭をかく。
「え、でもさっき、砂川竜太朗のエッセイ見てたじゃないですか」
「あー、あれはさぁ、まぁ、いろいろと事情があってね」
「なんですか、事情って」
「説明が難しいんだよなぁ。なんて言ったらいいか……」
そう言いながら、戸田さんは右手で両目を覆う。迷ってたり考え込んだりする時の、戸田さんの癖だ。
「……友達が、書いたんじゃないかと思って」
「えっと、戸田さんの友達が、砂川のゴーストライターだったんじゃないか、ってことですか?」
「前にその友達がさ、有名人のゴーストライターをやったって話してたんだよ。だから、これかもしれないなー、と思ってパラッと立ち読みしてみたけど……わかんなかった。そいつが書いた文章かどうか」
戸田さんはレモンサワーの残りを飲み干した。店員に「もう一杯、同じやつ」と頼む。
「その友達に聞いてみればいいじゃないですか。お前があの本を書いたのか、って」
戸田さんはまた、右手で両目を覆って、そのまま話し始める。
「……居なくなっちゃったんだよ、そいつ。もう誰も覚えてないんだ、そいつのこと。僕しか、そいつのことを覚えてないんだ。そいつが書いていた文章のことも、誰も覚えてない。僕しか覚えてないのに、もう、他の文章と見分けがつかないんだよ」
「それって……」
詳しい事情を聞こうとしたところに、店員がレモンサワーのおかわりを持ってきた。戸田さんはひと口飲むと別の話題を切り出してきて、もうゴーストライターについても友人についても語ることはなかった。

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