1月30日〜2月5日 第7巻 『泥鰌の和助始末』
1月30日
午前中はぼんやりして、午後からお出かけ。Titleで、ミズモトアキラ『武田百合子『富士日記』の4426日』の1巻・2巻を買う。何年か前、社員旅行で京都に行ったとき、自由行動で気になる本屋巡りをしたところ、どこかの店頭で第1巻を見かけて、気になるなと思いながら結局買わなかったのだった。今の僕は『プルーストを読む生活』や『『百年の孤独』を代わりに読む』を経たので、こういう切り口の本はどんどん読みたい、というモードだ。表紙のデザインもスタイリッシュで良い。
新宿へ移動してBOOKOFFなどを覗き、ふらふらと高田馬場まで歩く。古書ソオダ水にも立ち寄る。
で、そのまままっすぐ帰ろうかなと思ったが、家から2駅ほどの映画館に立ち寄ったら、ウェス・アンダーソンの新作が空いているっぽかったので、夜の回のチケットを買った。
上映までスタバで時間をつぶす。組んだ脚の上にスケッチブックを置いて、その上に置いたスマホの画面に映った写真を参考にしながら、絵を描いている人がいた。スケッチブックが落ちないようにバランスをとりつつ、両手に持った鉛筆を紙面に滑らせていく。はっきりとは見えなかったが、誰かの顔を描いているようだった。一見窮屈そうな姿勢なのだけど、この態勢でなければダメなのだと言わんばかりに絶妙なバランスを保っていて、それがすごくよかった。
『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』を観た。架空の雑誌の記事群をそのままページ順に映像化した、という設定の短編集。明確なストーリーの無い「地域案内」まで映像になっているのがいい。ウェス・アンダーソン作品ならではの美的感覚を貫きつつ、画面サイズやカラー・モノクロなど柔軟に切り替えつつ、映画のスクリーンという「限られた誌面」にいかにレイアウトしていくか、という遊び心が楽しい。個人的に好きだったのは3つめのエピソードで、記者が表に出してこなかった想いと、シェフが胸に秘めていた想いがじんわりと響き合うのが素敵。観終わってエンドロールを眺めているときに、後追いで切なさと共にあたたかい感情が込み上げてくる、不思議な映画だった。画面の情報量がものすごいので、ソフト化されたら字幕なしでもう一度観たい。
1月31日
ポイエティークRADIOの「雑談・オブ・ザ・デッド」第5回が配信された流れで、柿内さんが褒めツイートをしてくれていて嬉しかった。
Ryota さんの素敵なところは着眼点の精確さや解釈の面白さはもちろんなんですが、そうした高い言語化能力が基本的に「面白がる」ことに全振りされているところ。盲目的に褒めるでも貶すでもなく、一個の作品内に輝くところとモヤモヤするところを両方ちゃんと見つけて、そのどちらもを楽しそうに語る。
批評的な鑑賞の仕方というか、触れた作品について自分で解釈し言葉にするという最高の遊びは、どうしても駆け出しの頃は「正しさ」やトレンドといったものさしを一つだけ持ってきて断罪したりジャッジしたりというやり方に陥りがちです。でも、批評的態度というのは作品に託した自分語りでもありつつも自分よりももっと大きなものに遭遇した時の「なんかわかんないけどすげえ!」という興奮を、丁寧に点検し、共有可能な形に再構成することで、誰かと分け合うことができうるものでもあります。
「面白がる」に全振りする、というのは、確かに僕の基本スタンスだなと思う。対象を「自分よりももっと大きなもの」として捉える、というのも大切。対象を小さく見積もっている状態での「面白がる」は独善的になりがちなので、気をつけなければならない。「でっけぇなぁ」とか「わかんねぇ~」というところから始めてじわじわ面白がっていくのがいいな、と思う。
2月1日
歌集はもりたにレイアウト・デザイン面をお願いしていて、紙面のレイアウト流し込みと、表紙の仮デザインがくる。表紙は程よくインパクトがあってグッド。いくつか画面上で紙面の修正点をチェックする。選歌のときには「本当に本の形になるんかしら~」と言う感じだったが、デザインを目にすると急に「本当に本の形になりそう…」となる。
夜は久々にベーコンチーズホットサンドを作って食べたのでご機嫌。ラジオ英会話の録音データの整理とかしてたらもう寝る時間になってしまった。
2月2日
怪奇!YesどんぐりRPGの「ラジオばあちゃんの踊り場の間ん家のうさぎ」という名前が覚えられないラジオがPodcastになっていたので聴く。ギャグマシン3人組のラジオなのでどうなるのかと思ったらやはりボケまくりで、どんぐりたけしがノンストップでギャグをやるのにツッコミ入れたり、リスナーから届いた設定の長文メールにつっこんだりと終始ふざけていて楽しい。Yes!アキトのメール読みが上手い。
うたの日で作った短歌がちょうど今うっすら考えていた連作にはまりそうだったこともあり、10首の連作を仕上げてしまう。これは未来の月詠に出そう。こんなに早く月詠ができたのは久々で喜ばしい。今年はもっと短歌に注力したいなぁ。
2月3日
ねむみさんがオーブンレンジの取説を無くしてしまい、公式サイトを見たらねむみさんが持っている型番の取説データだけ無かった、というツイートを見てから、「実はその取説に国家機密が載っていて…」という妄想が広がり、僕の脳内で完全に映画化された。電源を入れたところにレザースーツを着た見るからにスパイの女性が現れて「えり、温めてしまったのね……(英語)」って言ったところにねむみさんが「……なんて?(Pardon?)」と返してタイトルが出てくる予告編が幻視された。スパイアクションコメディだな。
ランチ営業しているチェーンの居酒屋で唐揚げ定食を食べていたら、鉄板にのったハンバーグのランチを運んでいた店員さんがずっと、「熱っ、熱っ」と小声で言っていたのが妙に面白かった。
帰宅して「平家物語」4話を観た。みるみるうちに重盛が弱っていき、亡くなってしまう。展開が足早な感じは否めないが、平家壊滅に向かっている雰囲気が強まってきているし、早く続きが観たい。
2月4日
Twitterで『大怪獣のあとしまつ』の酷評が流れてきて、「あー、やっぱりそうなる感じだよなぁ」と思いながら眺めている。三木聡監督に怪獣特撮への特別な思い入れやリスペクトがあるとも思えないし、映画自体・宣伝の規模感とかもミスマッチな感じがしていたからなぁ。三木監督作品、最近の映画は個人的にも微妙な感じがあったので、『亀は意外と速く泳ぐ』とか『転々』とかのバランスに戻ってきてほしいんですよね。シュールな小ネタの積み重ねによって日常のへんてこさや豊かさを醸し出すライン。とはいえTwitterでの酷評っぷりを見ていると、好きだった作品も「今見直すとあんまりおもしろくねぇな」ってなったりするのだろうか、という一抹の不安もよぎる。
仕事は案件がめちゃくちゃ減っていてかなり暇。またもコロナの影響ががっちり出てきているんだろうか。会社のブログを書いて後はぼんやりしていた。
夜は柿内さんに誘われてgatherというサービスを使ったWEB飲み会。WEB上の仮想スペース上でやりとりができるサービスで、画面上に広々としたお店のような空間を、自分のアバターで動き回れる。アバター同士が近づいた時だけ会話が聞こえるシステムなので、多人数で集まってあちこちで少人数の会話が同時多発する、みたいなことがWEB上でできそう。まだシステムはβ版らしく安定しないところがまだまだ多いが、改善されればかなり面白い使い方ができそう。で、仮想空間に集まってする話は、「20代前半の人と共通の話題がない」という、アラサーど真ん中の話題だった。
2月5日
午前中、溜まっていたドラマの録画を消化して、昼から外へ出る。青山ブックセンターやら渋谷のTSUTAYAやら下北沢B&Bをめぐって、夕方から久々に末広亭へ行く。寄席の通常興行を観るのはかなり久しぶり。古典と新作が入り混じったバラエティーパックな回だったけど、トリの天どん師匠の「カキ食べ放題」が全てを掻っ攫っていくほどの大暴れっぷりだった。落語を長いこと見ているけど、車にはねられて吹っ飛ばされる描写(高座で本当に後ろへ吹っ飛ぶ)を見たの初めてだな。寄席での米粒写経の漫才を見れたのも嬉しかった。あんなマニアックさでなぜウケるんだ……となりながら笑う。
帰りの電車で鬼平を読み進める。職場でのいじめを苦に自殺した息子の仇を討つべく、息子が働いていた店へ盗みに入る和助。ドラマ版では財津一郎が和助を演じていて、渋くてカッコいいキャラクターだった。ドラマ版は和助メインの話だったが、加えて原作では、平蔵と剣客・松岡とのエピソードが大きな軸になっている。若き日の平蔵と左馬は危うく盗人の仲間入りするところを、松岡に止められた。しかし、松岡自身はその時すでに賊側の人間だったのだ。未来ある若者が自分と同じ悪の道に染まらぬよう、突き放した松岡。平蔵は盗賊改長官の立場で、松岡に再会する場面が切ない。ということで、こちらのストーリーもかなり分厚く、更に松岡・和助に協力するふりをして裏切る輩も現れて……と展開てんこ盛りで、他と比べてだいぶ長めのストーリーだった。これはたしかに1時間で全て描き切るのは難しいだろうから、ドラマは思い切って和助のエピソードに絞ったんだな。たしかアニメ版も和助の話が中心だったと思うので、原作から比べると非常に思い切った翻案をされてる回だったんだなとわかった。
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