343.間に合わなくても
東京カランコロンが解散することになった。最近の曲は聴いてなかったけど、インディーズ盤は何枚か買ってたしお気に入りの曲もある。何かの配信番組でバンドのキャッチコピー募集をする企画があって、僕が投稿したコピーをメンバーが気に入ってくれたのが嬉しかったなぁという思い出もある。解散と聞くとちょっと寂しい。
そのほかにも今までに好きなバンドが解散したり、あるいは好きな役者さんとか落語家さんが亡くなったりして、寂しくなることは時々ある。立川談志が亡くなった時は、大学の落研で一番よく落語を聴いていた時期でもあり、CDの音源を聴いてるうちに涙が出てきたこともあった。
ただ、一方で亡くなってから知る、というパターンもある。例えば名画座の追悼特集で初めて、「あの俳優さんは若い頃こんな活躍をしていたんだ」と知ったりとか。「その人が亡くなってからでも、教えてもらうことはある」というようなことを確か川勝正幸さんが書いていたような覚えがあるのだが、そういう感じだ。
落語ファンの間では生前にリアルタイムで口演を観れたことを「間に合った」という言い方をする。「俺は志ん朝に間に合った」とかそういう言い方。他の芸能でも、こういう言い方するんだろうか。面倒な落語ファンはその「間に合った」ことによってマウンティングしようとしてきたりするんだけど、正直どうでもいいな、と思う。リアルタイムで出会ってなくても、必要な時が来れば、後から知ることなんていくらでもできるのだ。変に焦んなくてもいいや、と思う。
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