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5月26日~6月2日 第9巻 『白い粉』

5月26日

新人さんの営業ロールプレイングを社内持ち回りでやっていて、僕の番になった。求人広告を出したい店主の役となった僕へ、新人さんが掲載提案を行なう練習。商材の説明をちゃんとしないままに、受注できそうと思ったらすぐに契約の話に持っていってたので、「目先の勝利が見えているからと言って、必要な情報を開示しないままにゲームを上がってはいけない」という話をした。ものすごくそれっぽい言い回しだが、単なるその場の思い付き。

最近ちょっとずつ高田マル編著『忘れらない絵の話』を読んでいるんだけど、今日読んだ「両親が離婚するか否かのときに描いた絵の話」が異様な質感ですごかった。

5月27日

文学フリマ東京へのテンションがじわじわ高まってきていて、既刊は持っているから買わなくていいかなと思っていた「よりぬきのん記」が、別冊に加え、アクリルキーホルダーまで発売するというものだから、慌てて購入リストに追加。こうやって買うものばかりがどんどん増えていく。

夜、アメリカに住んでいる神玖さんが帰省と旅行を兼ねて日本に来ているというので、仕事後に上野へ行って合流。神玖さんと、アメリカ人の夫さんと3人で美味しいマグロが売りの居酒屋に入る。夫さんはマグロが好きなんだけど、アメリカの内陸地に住んでいるとなかなか美味しいマグロを食べられないらしい。
神玖さんが通訳的に間に入ってくれながら、映画の話などをして、夫さんと僕は映画の好みが近いらしかった。リチャード・アイオアディの話になって、夫さんはテレビのコメディでよく知っているらしく、僕は「日本にはそういうコメディがあんまり入ってこないんだけど、アイオアディが監督した映画はとても好きだった」と伝えて『サブマリン』をオススメした。『アイアン・スカイ』や『スイス・アーミー・マン』の話もした。
神玖さん夫婦は文学フリマにも来てくれるとのこと。「また明後日」と言って解散した。シー・ユー・デイ・アフター・トゥモロー。

5月28日

今日は本屋を回遊しようと思い、代官山蔦屋書店を覗いてから歩いて渋谷に行き、SPBSに立ち寄って、代々木八幡駅で乗車。下北沢のボーナストラックへ。B&Bに『雑談・オブ・ザ・デッド』が入荷したと聞き、様子を見に行く。新刊棚やインディーズ本が集まっているエリアではなく、映画関連の棚に置かれてあった。自分の関わった本が書店に置かれている、というのは感慨みたいなものはあまりなく、ただただ不思議な感じがした。
BOOK LOVER’S HOLIDAYが開催されていて、生活綴方のブースでたまたま手に取った『往復書簡 ふつうの書店員』のページをぱらっとめくったら、「柿内正午さんの本」という言葉が飛び込んできてびっくりした。文フリに向けて、何かの勘が冴えまくっている。

帰ってから、文フリの準備をして、最後の念押しで取り扱う本の宣伝ツイートをして、早めに眠る。

5月29日

早寝したのに早すぎる時間に目が覚めたからプラスマイナスゼロ。天気がめちゃくちゃ良いのでうれしい。

文学フリマの会場には早めについたので、外のベンチに座って柿内さんの到着を待つ。目の前をスーツケース・キャリーケースを引いている人がどんどん横切っている。出店側からしか見えない光景だ。
柿内さんと合流して、建物裏の坂を上って会場に入る。直接搬入だった『ぽてと元年』がブースに届いていて、とてもかわいい。ブース設営は思ったよりサクサク進んで、開場よりかなり前に準備が完了した。
開場前にブースへ武塙さんが来てくれて、僕の歌集を1冊買ってくれた。幸先がいい。

今年は動員数がコロナ前の水準に戻るのではないか、という予想がアナウンスされていたが、確かにお客さんはみるみるうちに増えていき、こんなに沢山の人がいるイベントってなんだか久しぶりだな、と思った。歌集は来てくれたフォロワーさんが買ってくれれば御の字だと思っていたが、意外とその場で手に取って買ってくれた通りすがりの人(もしくは事前に気になって来てくれた人?)も何人かいてありがたかった。
途中から山本さんが店番に来てくれたのでバトンタッチ。さーっと事前にチェックしていたブースを回ってサクサク買っていく。スズキロクさんのところで別冊のん記とアクリルキーホルダーを買って「600円です」と言われ、満を持して小銭を掴んだ手を開いたら、手のひらに乗っていたのは100円玉2枚だった。焦りすぎ。
あれこれ買って回ってブースに戻ってきたらフォロワーさんが何人か来てくれて、直接会うのは初めての方もいた。神玖さん夫妻もやってきて、夫さんが僕の歌集に「サインを書いてほしい」と言う。ボールペンで筆名の「蜂谷希一」と日付を記入。僕の唯一のサイン入り歌集は遠く離れたアメリカの地に持ち帰られるのだ、と思うと面白かった。
山本さんは先に帰って、ふたたびブースに座る。時間ギリギリまで買いに来てくれる方はいて、『ぽてと元年』がやはり人気。終了間際の時間に武塙さんが来てくれたので、「『ぽてと元年』を買ってください!絶対好きだと思うので!」とオススメして買ってもらう。
lighthouseの関口さんが「めっちゃ面白いんですが、売れそうにないですね!」と言ってたと柿内さんから報告あり。売れそうにない物をわざわざ作って、それがちゃんと面白い。自主制作物として、最高なのでは。

終了後の撤収作業。『ぽてと元年』の郵送搬出の梱包をバタバタやってるうちに、柿内さんが片付けをてきぱき進めてくれて、搬出を終えて戻ってきたころには、僕の荷物以外はおおよそ片付いていた。

そのまま代わりに読む人ブースの友田さん・二見さん、わかしょ文庫さん、PINFUさんと合流して、居酒屋で軽い文フリの打ち上げになる。話しているうちに、すでに文芸誌版「代わりに読む人」の面白そうな雰囲気が伝わってきて、早く読みたい。PINFUさんの日記の在庫2冊を友田さん・二見さんが購入して、完売の瞬間に立ち会ってから解散。PINFUさんの着ている服、どこかで見たことあるやつだなと思ったら、今日文フリに来ていたもりたと彼氏さんがペアルックで同じのを着ていたのだった。

帰ってTwitterを見たら、武塙さんから「『ぽてと元年』一番はじめの「実家の建付けが悪い」からもうものすごく好きです!」とリプライが来ていた。ふっふっふ、そうでしょうそうでしょう、と思う。
ヘロヘロに疲れたので、倒れるように寝る。

5月30日

まだ疲れは残っている。それなのに朝早く目が覚めてしまって、会社に行く前に、読みかけだった『往復書簡 ふつうの書店員』を読み切る。本を売るのは楽しいが、それ以外の雑務なども考えるとどうしてもモヤモヤしてしまう、その葛藤をお互いに分かち合うようなやりとり。柿内さんの『会社員の哲学』は思いのほか、重要な一冊として取り上げられていた。手紙の最後に毎回、相手の話を「もっと聞きたいです」というふうなことが書いてあって、そうか、往復書簡というのは書くことと同じくらい読むことが大事であり、それが記録されていく営みなのだ、と気づく。

暇な時間があったので、『雑談・オブ・ザ・デッド』から発言を抜き出して、まとめ画像を作ってみた。雑談・オブ・ザ・デッドはどうしても「ゾンビがテーマ」ということが障壁になってしまうし、試し読みをやるにしても長々とした会話は読んでもらえないだろうから、パンチラインをとりあえず抜き出して「こういう面白げな本ですよ~」とアピールできないかと思ったのだった。で、実際に画像を作ってみると、結構ちゃんと面白そうだ。

5月31日

発言まとめメーカーの使い方を覚えたので、西田さんとの与太トークのまとめ画像も作る。割とポップで面白そうなものに見えるな。

営業部の中でも一番話の分かる人が退職することが決まって、弊社、結構ヤバい局面なのでは、という気持ちになる。うーむ。

6月1日

「そろそろ武塙さんの日記に出てくる美味しいお店ガイド本が欲しい」というツイートに武塙さんが反応してくれた。映画の話は事前に名前くらいは知っている作品もあるので「あの映画そんな感じなのか~」と頭に残るんだけど、飲食店については「美味しそうだな~」というイメージだけが蓄積されて、どの店なのか分からずじまいなのがちょっと寂しい気がしていたのだった。制作を検討してくれるとのことなので、ゆるゆる楽しみにする。

今日あたり犬王を観ようかな、と思ったが、映画の日で混むだろうから明日のチケットを確保して帰宅。家でつくづくの別冊『おかしな雑誌の作り方』を読む。雑誌とは何かを自由研究しているうちに、どんどん雑誌じゃないものや他人の本を雑誌として言い張って販売していくようになる、その堂々とした詭弁っぷりに惚れ惚れする。言い張ることの大事さ。

6月2日

朝の通勤電車内で鬼平を読む。今回は平蔵の屋敷の料理番を任されている板前・勘助が主人公。妻とのあたたかい夫婦関係に心を癒されながらも、ギャンブル依存に陥った結果、平蔵の命を狙う賊に弱みを握られて、平蔵の料理に毒を盛るよう指示されてしまう。かつて身を崩した原因である博打に再びのめり込み足をすくわれたみじめさと、大切な妻を誘拐されてしまった不安・情けなさ、そして自分の料理の腕を信用してくれている平蔵に毒を盛る後ろめたさが混在して、全体的に緊迫感の高い一篇。短編でもサクサクと登場人物を追い込む手際のよさもこのシリーズの特徴だなぁ。その上で、基本的には平蔵が助けてくれるだろうという安心感もある。悪人が倒される痛快さの一方、助かったからこそ自分がよりみじめにかんじられる勘助のむなしさ。妻が勘助の行為について語る後日譚のおかげで、ちょっと救いはあるけども。

仕事帰りにレイトショーで『犬王』を観た。ストーリーは『どろろ』的でもあり、異なる立場の者が音楽を通じて絆を結んでいく様は『夜明け告げるルーのうた』っぽさもある。それでいて、独特の質感のアニメ表現と、ロックオペラ×パフォーマンスの見せ方が組み合わさって、思わぬ方向のカオスへ突っ込んでいって圧倒される。犬王は異形の姿で生まれつつも、自分の人生を呪うことが一切なく、表現することを純粋に楽しみ、ポップスター化しつつも一方で歴史に埋もれた平家の声を伝えるメディアに徹している。そんな彼が最後に無念を抱えながら生きていかなければならないという切なさ。打ちのめされてしまった。

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