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278.日記(12月21日〜12月23日)

12月21日

昼ごろから東京国立近代美術館へ。企画展は「窓展:窓をめぐるアートと建築の旅」。タイトル通り、窓を切り口にして芸術や建築について紹介していく展覧会だ。
四角く区切られたフレームによって、中と外が繋がっていて、しかしガラスによって隔てられている窓。それは映画のスクリーンの比喩としてもよく語られる。そういうわけで、大学時代に映画観客のついて卒論を書いた僕にとって、「窓」というのは興味津々なモチーフなのだ。僕の卒論にはヒッチコックの『裏窓』も出てきた。
『キートンの蒸気船』で、建物の壁が倒れてくるがキートンがたまたま窓の位置に立っていたので助かる、という有名なシーンに始まり、窓の内と外に分かれていることで生まれる他者との絶妙な距離、絵画というフレームの中で絵画内絵画として扱われる窓枠、現代の窓と言うべきテレビやインターネットなどのメディアといった、様々な視点が用意されていてとっても充実した展示だった。

常設展は分量が多いので、お気に入りの作品を再観してあとはさらっと回る程度。靉光『眼のある風景』は好きな作品なので、真正面から見つめ合う。
以前、東京ステーションギャラリー『生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。』でも観た紙芝居『おかあさんのはなし』が山下菊二、河原温といった不穏な作品と一緒のフロアにあって意外に思った。「前衛美術会」の文脈なのか、なるほど。そういやステーションギャラリーの展示で、いわさきちひろが共産党員で左翼系の新聞記者だったことを知って驚いたのだった。こういうふうに知識が繋がっていくのは楽しい。

そのままちょっと足を伸ばして、はじめて工芸館へ。Twitterのフォロワーさんがおすすめしていたのと、もうすぐ石川県に移転してしまうことを知ったのとで、一度は観ておきたいと思ったのだ。建物は近代美術館と異なり、赤レンガの洋館。
『パッション20 今みておきたい工芸の想い』と題された展示は、「工芸」という特性上、日常生活に溶け込んでしまい見えなくなってしまう、知恵や工夫、その情熱についてフォーカス。「花が咲き、時に風に吹かれ、時に雨露に濡れる、そういった時間全てをひとつのパターンに閉じ込めなければならない」というような工芸作家の言葉が掲げられていて、それにとても感動してしまった。

歩いて神保町へ向かう。少し書店を見て周ってから、神保町シアターで『・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・』を観る。なかなか思うような仕事をさせてもらえないキャリアウーマンと、弱小広告ディレクターのボーイ・ミーツ・ガール映画。2人の距離が縮まるきっかけが少年のバク転失敗からの入院、とか、変なところはたくさんあるんだけど、くっつきそうでくっつかず、何か起こりそうで起こらないバランスで終わっていくのがナイス。クライマックスかと思ったスクランブル交差点のシーンからが結構長くて、しかしそれがずっといいシーンなんだよなぁ。同じ夜を同じ部屋で過ごす男女のあの感じから、炊飯ジャーの音、タバコ乃煙、カフェオレの味、何も起こらず朝になり光が差す…という室内のふたりぼっちシークエンスが最高。
あと、鶴見信吾演じるコンビニ強盗に襲われるかと思ったら……のシーン、場内では笑いが起きていたが、個人的には『わにとかげぎす』を思い出したりした。幸せと不幸は地続きでどっちにも転びうる、という感覚。

12月22日

昼から早稲田松竹へ。フォロワーさんから勧められていた『永遠に僕のもの』を観る。僕のコンディションが悪くてウトウトしてしまったのが不覚。しかし、主人公の少年の文字通り天使的な美しさ、欲望を満たすためなら罪悪感なくなんでもやる恐ろしさと、その底のない欲深さによって縛られ暴走してしまう悲しみ……と見ごたえ十分。期待を抱いてバーナーを手にするも、金庫の中身はからっぽだったのだ……。また細部を確認するために観直したい。

その後、大学時代のサークル同期との飲み会へ。結婚する人もいれば昇進する人もいて、話す話題は筋トレやら銭湯やらで、すっかりアラサーだなぁという感じ。近況、変わったことが僕自身何もなさ過ぎて、あんまりしゃべることがなく、ずっと他の人の話にげらげら笑ったり突っ込んだりしていた。会社内政治を勝ち抜いた同期の「ファクトを作るためには、空気を作らなければならない」っていうのがこの日一番の名言。

帰宅後、録画していたM-1を見る。ミルクボーイも楽しかったが、ぺこぱのフォロー的なツッコミと「正面が変わったのか……?」に爆笑した。

12月23日

仕事は少なめでだらだらと過ごす。もうすぐ年末なので案件もなかなか増えず、手持ち無沙汰ぎみだ。
会社の代理店忘年会は可もなく不可もなく盛り上がり、とりあえず僕はタダ飯をひたすら食べることに徹した。お腹いっぱい。ここ数日作っていた動画もまぁまぁうまくいった。

仕事帰りの電車で北野勇作『カメリ』を読み終える。ほのぼのとした童話のようなテイストとバイオSF的な不可思議な生々しさが入り混じり、唯一無二な作品世界が生まれている。カメリたちは人間たちの感情を真似したニセモノであることを半ば自覚しながらも、しかし一生懸命だし、ガッツがあるし、とても楽しげで、それが胸を打つしキュートなのだ。北野作品読むのは4作目くらいだと思うんだけど、好きな作家さんだなぁ。

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