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11月16日〜22日 第6巻 『剣客』

11月16日

使う予定がなかったPayPayを、諸々のきっかけから使い始めた。諸々の説明を書き始めると長くなるので省くのだけど、ちょうどフェア中らしくてポイント還元率が高めっぽい。始めるまでは渋るけど始めるとノリノリで使い出す、というタイプなので、たぶんPayPayもどんどん使い始める予感。

11月17日

菅田将暉と小松菜奈が結婚した流れで、Vaundyの『踊り子』のMVがTwitterに流れてきて、小松菜奈の小松菜奈力が炸裂している映像がとてもよく、さらに曲がとても耳に残る感じで、ずっと口ずさんでいる。

仕事でへろ〜っとして、家に帰ってきて、なんとなくTVerでラヴィット観てたら、これが程よく疲れたところでポカーンと見るにはちょうど良いバラエティーで、どんどん時間が溶けていく。

夜はもりたとちょっとだけLINE通話していて、会社の帰路を歩きながら話しているもりたの声を聞いている僕はもうベッドの上で瞼が重くなっていて、「ねむい」「もうちょっと耐えて!」などと言い合っていた。

11月18日

ミルハウザーの短編に、アメリカのほら話に出てくる登場人物として有名らしい木こり「ポール・バニヤン」が登場した。「へー、アメリカでは有名なキャラクターなのね、知らなかったな」と思って検索したら、FGOで女の子キャラになっていた。

で、ミルハウザー『夜の声』を読み終えて、『ホームラン』と合わせて、原著収録順に短編を読み終えた。不思議な事象をきっかけに街に騒動が巻き起こるみたいなパターンや、物語のパロディパターンが複数収録されているのが面白い。「普通ちょっとこれ似た作りじゃないか?」みたいなのも、並べて読むとそのたびに似たケースの異なるバリエーションとして、それぞれの短編が響き合っている感触があった。

夜は久々に森田芳光監督作を観ようと思い、『(ハル)』。東京と盛岡に住む2人がメールを介して心の距離を縮めていく、というのは今では当たり前かもしれないが、96年当時はだいぶ早かったんだろうな。当時の観客にとってはどういう感触だったんだろうか。とてもわかる話なんだけど、絶妙に周辺のメディアが古いのが面白い。再会の目印はフロッピーディスクだし。また、2人のメールがあくまで過剰に相手の生活に影響するのではなく、ささやかな日々の支えになっているという淡々としたバランスなのも良かった。

11月19日

川柳川柳師匠が亡くなった。上京してすぐの頃、予定のない週末は末廣亭にこもって昼席の前座から夜のトリまで観て過ごしていた時期があったのだけど、その時期には何度か川柳師匠を観ていた。一度昼席のトリでも観た気がする。基本的にネタはいつも「ガーコン」だったけど、昼のトリでめちゃくちゃウケていた記憶があるんだよな。寄席の音圧がちょっと下がってしまって寂しい。これから新たに川柳師匠のようなポジションの落語家さんとか出てきたりするのかな。若手の人は結構みんなちゃんと落語をやろうとしている人が多い気がしていて、もちろんそれはすごくいいことなんだけど、一方で川柳師匠的な人も寄席には必要で、それってどうやったら新たに出てくるのだろう、とぼんやり考えた。

夜は先輩とLINE飲みで、最近の仕事の話とか、映画やラジオの話をしていたらもう日付が変わっていた。たくさん話して楽しい。

11月20日

夜更かし&アルコールの余韻で午前中は縦になれず。といっても昨日はほろよいひと缶飲んだだけだからどれほど酒に弱いのだという感じだが、ぼーんやりしていた。

ベッドに寝ころびながら『コリン』を観る。ものすごい制作費の安さが宣伝のウリだった映画で、映像の画質がどうにも家庭用ビデオなのとか、自主製作感丸出しではあるのだが、その分を工夫で乗り切ろうとする気概もバシバシ感じて結構面白く観た。大量のゾンビに人が飲み込まれていくような描写はちゃんと迫力があるし、いきなり上から人が降ってくるようなサプライズ描写もあるし。
主人公・コリンがゾンビ化することで、僕ら観客はゾンビ側の視点から人間の行いを観ることになる。ゾンビからスニーカーを盗んだり暴力をふるったりしてくる輩もいれば、最愛の息子がゾンビになって苦悩する家族もいる。とはいえゾンビになったコリンはもはや自我がほぼないので、観客が彼に同一化することもできない。コリンの守護霊のような立場から、彼の旅路を見守るしかないのだ。単に「ゾンビを主人公にしたら面白いのでは」というアイデア頼みに終わらせず、そうした歯がゆく切ない感触をちゃんと観る側に与えてくれる良作であった。
また、ゾンビの固有名詞問題で言えば、『死霊のえじき』の「バブちゃん」のように新たに授けられた名前ではなく、ゾンビになる前から彼は「コリン」だった、という点が重要。ポイエティークRADIOでも話した通り、僕らがなんとなく匿名の群れとして扱ってしまう「ゾンビ」には一人ひとり名前があり、その前の人生があったということ。それを忘却して(忘却したフリをして)、ゾンビを殺さなければ生き残れない、という点にゾンビ映画の恐ろしさはある。

昼寝をして、夜は久々に早稲田松竹へ行って『フリー・ガイ』を観た。久々にド派手な映像のエンタメをスクリーンで観たなぁ。決まった役割から抜け出していくゲームキャラたち、「悪いことで得点を稼ぐゲーム」で良い人間としてレベルアップしていくガイにを見てモブキャラのことを初めて考え始めるプレーヤーたち、そのきっかけには誰かとの出会いがある、という感動的な部分もありつつ、とにかく何でもありなゲームの世界のビジュアル的な楽しさもぶち込んできて、「わーい」となりながら観た。サングラスをかけるかけないというくだりや、異なる存在が自分たちと同じ姿で紛れ込んでいるのとかは、『ゼイリブ』が参照されているっぽいな。特に好きなのは終盤に出てくる続編収録キャラの造形で、あのめちゃくちゃ馬鹿馬鹿しいんだけど存在として不憫な感じが絶妙なバランスだし、最後にちゃんと居場所も用意されていて安心。スッキリした気分で帰宅する。

11月21日

朝から『燃えよ剣』を観にいく。幕末の情勢や新選組の歴史などそこまで予習復習せずに行ったのでちょっと流れを見失いかける瞬間はあったが、キャストのハマりっぷりが素晴らしかったので集中は途切れず見入った。ひょこひょこした歩き方の土方歳三が次第に武士の身のこなしになり最後は堂々とした貫録をまとうまでを体現した岡田准一、数年前まで西郷どんだったはずなのにもう近藤勇としか思えない鈴木亮平、沖田総司のかわいらしさと鋭さと儚さをちゃんと体現している山田涼介のメイン3人の座組の時点でかなり良いし、脇も見事。誰もが言っている気がするが、一見「吉本芸人枠」的な起用っぽいけどかなりハマっているはんにゃ金田・ウーマン村本が特に素晴らしい。金田はつるっとした顔立ちで目が大きいから顔が血まみれになる場面で映えるし、とにかく早口でまくし立てて不気味だがなんとなくかわいげもあるウーマン村本の山崎烝は時代劇史・映画史に残り得る名キャラクターだと思う。


帰ってポッドキャストを更新した。今回は兼好師匠の「浮世床」。古典落語のスタンダードネタ紹介の第2回でなかなかこの演目が来ることはないと思うんだけど、寄席ではよく聴くし、落語=オチに向かってストーリーがうまいこと展開する、みたいなイメージとはまた違うものにしよう、という狙いでのセレクト。

11月22日

ゆらゆら帝国の『空洞です』を口ずさんでいたつもりだったが、気づいたら「ぼくは牛丼 でかい牛丼」と歌っていた。ぎゅうどーーーん。

仕事の手が少し空いたので、文学フリマのWebカタログを眺めて気になる本をピックアップしてたら10冊くらいあって震える。とりあえずお金をおろしておく。給料日前なのに、こんなに散財するつもりなのか俺は。

夜は鬼平を読む。『剣客』はとある剣術師範の殺害事件と、賊たちによる盗みの企みが絡んでくる一編。師匠を殺された同心・沢田と、殺害犯の浪人者・石坂が対峙するシーンは緊迫感があり、その合間に別の場所での佐嶋たちによる捕物のシーンが挿入されるのが、映画でいうカットバックで盛り上げていく演出となっていて読み応えがある。チームワークが必要なのは火盗改も盗賊たちも同様なわけだが、そこに浪人者が自身のメンツとプライドを持ち込んでしまったために盗みの計画が瓦解してしまうのもよくできている話だ。


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