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060.存在しない友だち名鑑 平川

平川。平川鈴司。平川とは同じ大学に通っていたが、彼と最初に出会った場所は僕のアルバイト先だった。

半径堂レコードは叔父が経営していたレコード店で、僕は時々店番を頼まれていた。通好みのレコードを揃えていることで一部の音楽ファンには有名な店だったが、経営は随分前から傾いていて、僕が店番をするようになったのも「給料が安くて誰も働いてくれないんだ……」と叔父に泣きつかれたからだった。当時の僕は実家暮らしだったのでそれほどお金にも困っていなかったし、叔父とも昔から仲がよかったので、二つ返事で引き受けた。
店番といっても、お客さん自体が少ないから、レジ横の椅子に腰かけてぼんやりと過ごす時間がほとんどだった。たまに来る常連客と雑談をするのは楽しかった。僕は音楽にそれほど詳しくなかったので、常連客との会話の中で、レコードについて教えてもらうことが多かった。

平川も常連の一人だった。とはいえ、店の中を歩き回り、黙々とレコードを物色しては何も買わずに帰っていくということが常だったのだが、自分と同世代の客自体が珍しかったので、「よく来る人だな」という程度には認識していた。パーマがかった髪を目元が隠れるくらい伸ばし放題にして、よれよれのTシャツに、おしゃれではない感じで穴のあいたジーンズという格好。なんだかよたよたした歩き方で、少し不気味な印象も抱いていた。
「ここにあったアレスター・マグラグレンって、もう売れちゃったんですか」
初めて平川が話しかけてきて、僕はちょっと驚いてしまった。彼の声が、思いのほか気さくで明るいトーンだったからだ。
「えっと、アレスター・マグラグレンっていうと、『The second Sunday this week』ですかね? 昨日購入された方がいたので……」
「そうなんですか。売れちゃったんですね」
「よろしければ、取り寄せましょうか?」
僕が尋ねると、平川は「あー、いやぁ……」と申し訳なさそうな声を出す。
「お店の人に言うのもなんなんですけど、買いたいっていうわけじゃなくて……。なんていうか、『アレスター・マグラグレンのレコードが置いてあるなんて、いいお店だなぁ』って思ってただけなので……」
そう言って、少し恥ずかしそうに微笑んだ。

平川は大学入学を機に上京。安アパートでひとり暮らしをしていた。父親の影響で古い洋楽は好きだったが、アパートの壁が薄くて音楽を流すのが憚られるため、店頭でレコードのジャケットを眺めるだけで我慢しているという。
「それに、うちも家計が厳しいからさ。趣味はちょっと我慢して、バイトした金は学費とかに充ててるんだよね。あんまり、親に負担かけたくないからさぁ」
そうした会話の流れで、僕と平川が同じ大学で、学年も一緒だということが判明。学校でもよく会うようになった。
半径堂レコードでも、平川といろんな話をした。平川は本当に音楽が好きで、店の商品の中からオススメの楽曲を教えてくれた。以前の、黙々とレコードを物色していた姿からは考えられないくらい明るい語り口だ。「だって同世代でこういう話できる人、いないからさぁ」と、平川は照れくさそうに言った。

2年生になり、サークル活動が忙しくなってきた僕は、店番を続けられなくなった。僕は叔父に、平川を新しい店番として雇うことを提案した。叔父も以前から平川のことを気に入っていたので、快諾してくれた。
働きはじめた平川は、まさに水を得た魚のように楽しそうで、他の常連客からも「若いのに、俺たちの数倍は詳しいなぁ」と信頼されていた。たまに店へ行くと、平川がレジ横の椅子にニコニコしながら腰かけていて、「僕なんかよりも断然、平川の方がこの店に似合ってるな」と思った。

しかし、経営は不調が続き、2013年の春、とうとう閉店することになった。営業最終日、僕も閉店の作業を手伝うため、半径堂レコードに顔を出した。閉店を惜しむ常連客がたくさん来ていて、中には涙ながらに平川や叔父と熱い握手をかわす客もいた。平川もちょっと泣いていた。
営業が終わり、少し片付けをしてから、店内でささやかな打ち上げをした。といっても、僕と叔父、平川の3人で缶チューハイを飲んだだけだったが。
大して客も来ず、暇な時間のほうが多かったはずなのに、こんなにしゃべることがあるのかというくらい、この店の思い出話が次々と口をついて出てきた。
「せっかくだし、レコードかけるかぁ。平川、何が聴きたい?」叔父はすっかり酔っぱらって、顔が真っ赤になっている。
「そうですねぇ、じゃあアレスター・マグラグレン、聴きたいです」
「いいねぇ」と叔父はニヤリとして、「The second Sunday this week」のレコードに針を落とした。
静かな店内が、軽やかで、しかしどこか悲しげなピアノの音色に満たされていく。僕らはそれに耳を傾けながら、ただ黙って缶チューハイを飲んでいた。アレスター・マグラグレンがこんな風に歌いはじめる。
「失くしたものを数えるために今日は会社を休んだんだ」

半径堂レコードの閉店後、平川は常連客のひとりから誘われて、彼が経営する楽器店でアルバイトをするようになった。大学卒業後もそのまま社員として働いている。先日、久しぶりに会ったときには「この前、ギターを買いに来てくれたお客さんが、あの店のことを知ってたんだよ」と嬉しそうに話してくれた。
半径堂レコードは建物も取り壊されてしまい、店があった場所は、車が4台停められる程度の小さな駐車場になっている。

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