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(8)読んだ作品が芥川賞候補になる

純文学作品に与えられる賞として、最もネームバリューがあるのはやはり芥川賞だろう。あまり読書をしない人でも賞の名前ぐらいは知っているし、テレビのニュースで取り上げられることも多い。
日本文学振興会の公式サイトによれば、芥川賞は「雑誌(同人雑誌を含む)に発表された、新進作家による純文学の中・短編作品」から選出される。「雑誌(同人雑誌を含む)」と言っても、やはり五大文芸誌からの選出が多い。特に最近の群像は強く、石沢麻依『貝に続く場所にて』、砂川文次『ブラックボックス』、高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』、井戸川射子『この世の喜びよ』と、2020年代に入ってすでに4作品が受賞している(2023年11月現在)。

芥川賞の選考対象は、半年以内に文芸誌で発表された小説だ。候補が発表された時点では、まだ単行本化されていない作品もある。文芸誌を習慣的に読んでいる人でなければ、既読の作品が候補に入るのは稀なことだろう。例年であれば僕だって、芥川賞候補の一覧を見て、「あぁ、あの作家がまた選ばれてる」とか「この小説は話題になっていたな」くらいは思うものの、候補作を事前に読んでいたことは今まで無かったと思う。
しかし、今年は事情が違う。群像に掲載された作品を全て読んでいるのだから。

2023年上半期の芥川賞候補作が発表されたとき、その中に石田夏穂『我が手の太陽』のタイトルを見つけて、「おっ!」と声が出た。
『我が手の太陽』は群像2023年5月号に掲載された中篇小説だ。溶接というテーマ選びが面白い。溶接職人の主人公は、高温の火を扱う危険な作業をしていることにプロフェッショナルとしての誇りを持っている。しかし、アーク光を直視してはならず、自分の手元を見ることなく作業が完了してしまう溶接には、「この仕事をしたのは自分だ」と胸を張って言い難い不確かさがまとわりつく。スランプに陥った主人公のプライドが削られ、苦悩と焦燥に飲まれていく様を丹念に描いた筆致には読み応えがあった。
既に読んだ作品が芥川賞候補に選ばれている。ほのかに気分が高揚した。

候補を一作読んでいただけで、受賞発表までの期間が楽しくなる。SNSやWEBメディアで繰り広げられる受賞予想が目に入ると、「おっ、ここでは評価されてるな」「やっぱりあちらの作品が有力候補らしいな……」と思わず熟読してしまう。どんなスポーツでも応援する選手やチームを決めて観戦したほうが楽しいのと同じだ、と言いたいところだが、よく考えると僕はたまたま読んで知っている作品があったに過ぎず、それを応援とまで呼べるかは微妙なところだ。とはいえ、競い合っているのが全く知らないものか、少しは見知っているものかで、興味の持ち方は段違いに変わる。

結果として、23年上半期の芥川賞を受賞したのは市川沙央『ハンチバック』だった。
『我が手の太陽』は受賞しなかったとはいえ、この一年、群像で読んだ作品の中でも特に印象に残った作品のひとつだし、石田夏穂は他の作品ももっと読みたいな、と思っている。そう、芥川賞を取ろうが取るまいが、読者個人のレベルではあんまり関係がない。受賞を逃した作品が自分に刺さる場合もあるし、逆に受賞作をそれほど面白く感じないこともあるだろう(ちなみに『ハンチバック』は現時点で未読)。

ただ、これから読む本を選ぶ際に、何らかの賞を受賞しているかどうかが、指標になることはある。
もしも僕に群像が当たっていなかったら。書店に行った時、『我が手の太陽』の単行本より先に、「芥川賞を受賞して話題になっていたから」という理由で『ハンチバック』を手に取っていたかもしれない。『我が手の太陽』はそのまま読まずに終わっていた可能性さえある。
文学賞や、あるいは「○○で話題!」といった評判は、実際に読んで自分が面白く感じるか否かにはあまり関係ないが、何を読むかの選択には影響を及ぼしてくる。
その影響の外にある面白いものとたまたま出会うために、「この雑誌に載ったものはとりあえず全て読む」と決めてしまうのは、ひとつの方策としてアリだな、と思った。それはそれで大変なのだけど。

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