27クラブ脱退ヘッダ

008.存在しない友だち名鑑 藤枝さん

藤枝さん。藤枝衣理さん。スタイリストの父親と高校の物理教師の母親が、それぞれ専門分野にちなんだ文字をひとつずつ選んで「衣理」と名付けた(彼女のFacebookに書いてあった情報)。

藤枝さんと初めて話したのは大学2年生の時。秋学期の演習のグループワークで、同じ班になったのがきっかけだった。演習のお題は「グループごとに映画監督を一人選び、そのフィルモグラフィーをさまざまな角度から検証することで、『作家性』と呼ぶべき特徴について発表せよ」。俳優やら技術スタッフやら多くの人間が関わって作り上げられる映画において、監督の「作家性」というものは本当に存在するのか、存在するとしたらそれはどのようなものなのかを考察するのが、この演習の目的だった。
僕らのグループはエルマン・バトン監督を扱うことになった。ちょうど『スロープ』が公開中のタイミングだったのと、寡作だから発表する上での手間が少ないだろうという安易な理由だった。
「エルマン・バトンの映画って、何か観たことある?」と、グループの中でも一番の映画オタクだった4年生・戸田さんが、他のメンバーに聞いた。「あー、『バイザウェイ』は観たけど、あんまり面白くなかったな」とか、「『スロープ』はもう観に行ったけど、今までの作品で一番好き」と、先輩たちが口々に話し始める。
ちょっと焦った。僕が映画を熱心に見始めたのは大学に入ってからのことで、エルマン・バトンについても名前は聞いたことあるけど…、という状態。メンバーで唯一同じ学年だった藤枝さんが「私は『衛星とダンス』が一番好きでしたね」と言ったことで、エルマン・バトン作品を一作も観ていないのは僕だけだということが確定した。
「あー、すみません、僕、一本も観てなくて」と正直に話すと、戸田さんが「大丈夫、大丈夫。僕らの発表はまだ先だから、今から観ても全然間に合うよ」と言ってくれた。

それから僕は、慌ててエルマン・バトン監督作を観た。『スロープ』を四谷シネマで観てから、DVDで『バイザウェイ』『衛星とダンス』『7歳のフィルム』『夢の手応え』を鑑賞。ついでにエルマン・バトンが脚本のみ手がけた『荷札の束』までチェックした。特に、自分の夫が人工衛星の中に居るという妄想(実際の夫はすでに無くなっていて、衛星は無人)を抱えた老婆が主人公の『衛星とダンス』は、終盤の展開が感動的でボロボロ泣いてしまった。
グループ発表前の打ち合わせの時、藤枝さんにその話をした。『衛星とダンス』が一番好きだと言っていたのでさぞかし共感してくれるだろうと思いきや、淡々とした反応で「あー、良かったよね」と言ったきり、あまり話は膨らまなかった。
発表は特に問題なく終えることができた。同じグループのメンバーとはそれ以来、校舎内で会った時に軽く立ち話をしたり、同じ講義を受ける時に隣り合って座ったりするくらいには仲良くなった。

3年生になった春、そのメンバーで花見をすることになった。発案者は一つ上の学年の浦部さんで、「発表が終わったあと、打ち上げしたいねって話してたのに、結局去年は集まれなかったからさー」と言っていた。花見会場である公園の一番近くに住んでいた僕が場所取り担当に任命され、その他のメンバーは各自飲食物を持参して現地集合、ということになった。
早朝、レジャーシートを持って公園へ。ちょうど大きな桜の木の下が空いていたのでそこを陣取ったはいいものの、途端に手持ちぶさたになった。スマホでTwitterやらネットニュースを覗いたりしたものの、「このまま時間をつぶすのはなかなかにつらいぞ」という気分はどんどん大きくなっていく。
もうやることがないからいっそ誰か来るまで寝てしまおうかと、レジャーシートの上でごろりと横になった僕の目の前に、グレーのスニーカーを履いた足が現れた。藤枝さんだ。
「一番乗り?」藤枝さんは黒いジーンズに水色のパーカーで、手に提げているコンビニ袋の中に缶ビールが数本入っているのが透けて見えていた。
「待ってた~! 暇すぎて疲れてきたところだった~」と寝ころんだまま呻く僕に、藤枝さんが缶ビールを差し出してくれる。
先輩たちが来るまで先に飲もう、ということになり、2人で乾杯。藤枝さんは飲むペースが早くて、「四月になっても朝は寒いな~」などと言いながら2缶めに突入していた。
「そういえばさ、私、ちょっと言っておきたいというか、謝っておきたいことがあって」と藤枝さん。
「え、何?」
「演習でグループ組んだ時、私さ、『衛星とダンス』が好きとか言ってたじゃん。あの時本当はね、エルマン・バトン、一作も観てなかったんだよねぇ」
「はっ!?」缶ビールを落としそうになる僕。
2年生になって初めてグループワーク形式の演習を受講した藤枝さんは、他の先輩たちがエルマン・バトンの話で盛り上がる中、「一作も観たことが無い」と言う勇気がなかったらしく、唯一タイトルを知っていた『衛星とダンス』を「好きな作品だ」と口走ってしまったらしい。
「だから『僕、一本も観てなくて…』って言ってるのを見て、心の中ですごい謝ったからね、私!」と藤枝さん。口調は申し訳なさそうだが、そう言いながら3缶めのビールに手を伸ばしているのを見て、「全然申し訳なく思ってないでしょ!?」と思わずツッコむ僕。
「いやいや、本当、結構気にしてたよ私! なんなら澤井君が『衛星とダンス』を観てめちゃくちゃ感動した話をしてくれた時もまだ観てなかったから、めちゃくちゃ心の中で謝って…」
「あの時も観てなかったんだ!? 反応薄いなと思ってたんだよ!」
酔っぱらいながら話しているうちになんだかおかしくなってきて、2人してゲラゲラ笑っていたところに、「…えっ、どうしたの?」と戸惑いながら浦部さんが合流した。
説明がめんどくさくなって、僕と藤枝さんはニヤニヤしながら「いや、何でも無いです」「ほんと、何でも無いんで」と言った。

大学卒業後、藤枝さんはアパレルブランドの広報スタッフとしてしばらく働いていたが、現在は転職して、デザイナーズ家具のバイヤーをやっている。大学卒業以来、藤枝さんとは会っていないが、SNSでは時々やりとりをしている。映画とか展覧会など、趣味の情報交換が多い。

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