27クラブ脱退ヘッダ

014.存在しない友だち名鑑 ハギホ

ハギホ。江東萩歩。ペンネームでは「エトウハギホ」という表記を使っていて、だから僕もここではハギホと表記する。

友人の中で唯一、ハギホとは高1から高3まで同じクラスだった。
小柄でタレ目の童顔。中学1年生と言い張っても十分通用しそうなルックスだったが、声だけは妙に低くて、それが彼の生真面目な性格とどことなくマッチしていた。

ハギホと仲良くなったきっかけは、高1の文化祭のとき。僕らのクラスはフランクフルトとたこ焼きの模擬店をやっていて、文化祭2日目に足りなくなった食材の買い出しを請け負ったのが僕とハギホだった。
「こういう急な買い出しとか、手伝えることはできるだけやりたいんだよね」
買い出しを終え、学校へ戻る途中でハギホが言った。演劇部だったハギホは公演が忙しく、クラスの模擬店にはあまり関わることができなかったのだ。
「まぁでも、部活とかがあって模擬店を手伝えてないやつなんて、他にもたくさんいるしさぁ、気にすんなよな」と僕。
「うーん……、そうだね、ありがとう」と返事をしたハギホが提げているレジ袋は、僕が持っているやつより小麦粉の袋がひとつ多く入っていて、少し重い。

それ以来、僕はハギホとよく話すようになり、放課後、一緒に帰ることも多くなった。
演劇部の公演も何度か観に行った。ハギホは初めから裏方志望だったので舞台に上がるのを嫌がったが、男子部員が少ない都合上、役者として度々駆り出されていた。正直、他の出演者と比べて演技はかなり下手だった。公演が終わったあとに会うといつも、「やっぱり僕は、小道具を作ったり、みんなに照明を当てたりするのが好きだな」と言っていた。

高校を卒業して、大学は別々になる。なかなか会うことはできなかったが、SNSでこまめに連絡は取りあっていたし、年に1回か2回は会って酒を飲んだり、他愛のない話をしたりした。
大学2年生のとき、ハギホはとある出版社でアルバイトをはじめた。ちょっとした手伝い程度だったはずが、そのうちに雑誌で文章を書くようになった。最初は映画のあらすじや、CDの商品紹介など、情報の要約に近い感じの文章だったけど、次第に受け持つ原稿の量は増えていって、大学卒業後もその雑誌の編集者兼ライターという形でしばらく働いた。
大学卒業から3年と少し経ったところで、雑誌が廃刊になる。他の編集部に異動もできたが、ハギホはフリーライターとして働くことにした。編集部時代に作ったコネを辿って原稿執筆やインタビュー記事の構成の仕事にありつき、それでもギリギリ食いつなげるかどうか、というレベルだった。

ある日、映画館でたまたまハギホと出くわした。同じ作品の同じ回の上映を観に来たというので、映画の後で飯でも行こう、という話になった。
上映後、近所の居酒屋に入って映画の感想などを話すも、可も無く不可も無くって感じの作品だったのでそれほど盛り上がらず、次第に話題は近況報告になっていく。
酔いが回って饒舌になったのか、ハギホは「本当は言っちゃダメなんだけどね」と前置きしてから、最近ある芸能人のゴーストライターをやったことを教えてくれた。
「えっ!? ゴーストライターって誰の!?」
「いや、名前とかは言えないんだけど、結構有名な人の自伝本のゴーストライター。って言っても、ゼロから僕が書いたわけじゃないよ。一応、本人にインタビューして、それを基にまるで本人が書いたかのような文章を作ったってだけ」
「へ~、ゴーストライターって本当にやることあるんだね」と相槌を打ちつつ、僕はその芸能人が誰なのかを聞き出そうとしたが、結局教えてはもらえなかった。
「……でもさぁ、せっかくだったら、僕の名前もどこかに入れて欲しかったけどね。『インタビュー構成』とか、そういうクレジットでいいから」
「そうだよなぁ、『この仕事は俺がやったんだぜ』って言いたいよなぁ」
「うん。だから、まぁ、戸田には知っててほしいなと思って、言った」
「おぉ、わかった。覚えとくよ」
「……ありがとう」
「だからさぁ、やっぱり誰のゴーストやったのか教えて?」
「絶対教えない」

ハギホとは駅で別れた。帰りの電車に揺られながら、僕はなんとなく、「やっぱり僕は、小道具を作ったり、みんなに照明を当てたりするのが好きだな」と語った高校時代のハギホのことを思い出した。

それ以来、ハギホとは会っていないが、雑誌やWEBに彼の文章が載っているのを見かけると必ず読むようにしている。特に、彼が気に入っている映画や音楽を勧める時の文章は、読むだけでも明るい気分になるので好きだ。

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