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325.存在しない友だちについてのリミックス(シュゼー/平川/トーキョースケールダウン)

思い出の場所は僕らが勝手に思い入れているだけであり、いつだって簡単に潰される。それにはあらがえない。

シュゼー

シュゼーは写真サークルに所属していて、文化祭での展示を観に行ったことがある。展示には「記憶力」というタイトルがついていて、写っているのはどれも近いうちに取り壊されることが決まっている建物だった。
「俺、人より記憶力がいいからさぁ、みんな忘れてるのに自分だけ覚えてることがよくあるんだよ。『ああいうこと、あったじゃん』って言ったら、『えー、そんなことあったっけ?』って反応が返ってきたりして、それが悔しくてさ。だから、ちゃんと証拠に残しておきたいなって、写真に撮ってるんだよね。いつか無くなっても、この建物はここにあったんだよって、俺が証拠に残しておきたいなって。俺だけは覚えておきたいなって」
シュゼーはそう言ってた。

 平川  1

半径堂レコードは叔父が経営していたレコード店で、僕は時々店番を頼まれていた。通好みのレコードを揃えていることで一部の音楽ファンには有名な店だったが、経営は随分前から傾いていて、僕が店番をするようになったのも「給料が安くて誰も働いてくれないんだ……」と叔父に泣きつかれたからだった。当時の僕は実家暮らしだったのでそれほどお金にも困っていなかったし、叔父とも昔から仲がよかったので、二つ返事で引き受けた。
店番といっても、お客さん自体が少ないから、レジ横の椅子に腰かけてぼんやりと過ごす時間がほとんどだった。たまに来る常連客と雑談をするのは楽しかった。僕は音楽にそれほど詳しくなかったので、常連客との会話の中で、レコードについて教えてもらうことが多かった。

平川も常連の一人だった。とはいえ、店の中を歩き回り、黙々とレコードを物色しては何も買わずに帰っていくということが常だったのだが、自分と同世代の客自体が珍しかったので、「よく来る人だな」という程度には認識していた。パーマがかった髪を目元が隠れるくらい伸ばし放題にして、よれよれのTシャツに、おしゃれではない感じで穴のあいたジーンズという格好。なんだかよたよたした歩き方で、少し不気味な印象も抱いていた。
「ここにあったアレスター・マグラグレンって、もう売れちゃったんですか」
初めて平川が話しかけてきて、僕はちょっと驚いてしまった。彼の声が、思いのほか気さくで明るいトーンだったからだ。
「えっと、アレスター・マグラグレンっていうと、『The second Sunday this week』ですかね? 昨日購入された方がいたので……」
「そうなんですか。売れちゃったんですね」
「よろしければ、取り寄せましょうか?」
僕が尋ねると、平川は「あー、いやぁ……」と申し訳なさそうな声を出す。
「お店の人に言うのもなんなんですけど、買いたいっていうわけじゃなくて……。なんていうか、『アレスター・マグラグレンのレコードが置いてあるなんて、いいお店だなぁ』って思ってただけなので……」
そう言って、少し恥ずかしそうに微笑んだ。

大学2年生になり、サークル活動が忙しくなってきた僕は、店番を続けられなくなった。僕は叔父に、平川を新しい店番として雇うことを提案した。叔父も以前から平川のことを気に入っていたので、快諾してくれた。
働きはじめた平川は、まさに水を得た魚のように楽しそうで、他の常連客からも「若いのに、俺たちの数倍は詳しいなぁ」と信頼されていた。たまに店へ行くと、平川がレジ横の椅子にニコニコしながら腰かけていて、「僕なんかよりも断然、平川の方がこの店に似合ってるな」と思った。

トーキョースケールダウン

中古レコード店『半径堂レコード』が閉店したのは、2013年の春だった。手元に残っていたレシートによると(領収書やらレシートやらをどうしても捨てられない質なのだ)、最後に僕がその店で買い物をしたのは2010年の12月だ。アレスター・マグラグレン「The second Sunday this week」を買っている。名盤だ。翌年の春に僕は引っ越して、店から随分離れたところに住むことになったから、半径堂レコードが潰れたのを実際に知ったのは今年に入ってからだった。たまたま以前住んでいた街に用事があったので、久しぶりにレコードを漁ってから帰ろうと思ったら、店はもう跡形もなく、車が4台停められる程度のこじんまりとした駐車場になっていた。
思い出してみれば、当時、自分以外に客がいたのを見たことはなかったし、店内も目に見えて老朽化していたから、店に通っていながら「いつ潰れてもおかしくないな」と考えてはいたのだ。とはいえ、実際に店が無くなっている状態を目の当たりにすると、虚をつかれてしまった感じで、数分ばかり呆然と立ち尽くしてしまった。駐車しようとしたドライバーにクラクションを鳴らされて、僕はそそくさとその場を立ち去った。それ以来、あそこには行っていない。

平川  2

営業最終日、僕も閉店の作業を手伝うため、半径堂レコードに顔を出した。閉店を惜しむ常連客がたくさん来ていて、中には涙ながらに平川や叔父と熱い握手をかわす客もいた。平川もちょっと泣いていた。
営業が終わり、少し片付けをしてから、店内でささやかな打ち上げをした。といっても、僕と叔父、平川の3人で缶チューハイを飲んだだけだったが。
大して客も来ず、暇な時間のほうが多かったはずなのに、こんなにしゃべることがあるのかというくらい、この店の思い出話が次々と口をついて出てきた。
「せっかくだし、レコードかけるかぁ。平川、何が聴きたい?」叔父はすっかり酔っぱらって、顔が真っ赤になっている。
「そうですねぇ、じゃあアレスター・マグラグレン、聴きたいです」
「いいねぇ」と叔父はニヤリとして、「The second Sunday this week」のレコードに針を落とした。
静かな店内が、軽やかで、しかしどこか悲しげなピアノの音色に満たされていく。僕らはそれに耳を傾けながら、ただ黙って缶チューハイを飲んでいた。アレスター・マグラグレンがこんな風に歌いはじめる。

「失くしたものを数えるために今日は会社を休んだんだ」

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