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036.短歌が作れなくなった

昨日、ゴールデンウィークでやりたいことのメモを書いたときに、うっかり書き漏らしたことがある。それは「連休中に短歌を作る」ということだ。

僕が意識的に短歌を作り始めたのは中学生のとき。学校の授業で作った短歌が褒められて、調子にのった僕は新聞に自作の短歌を投稿。そしたら新聞に掲載された上、ある選者のその年のベスト10首の中に選ばれてしまった。掲載されたときの副賞は数枚の官製はがきだった。もっと送ってこいということだったのだろうか。
それから僕はちょこちょこと短歌を作るようになり、大学時代からはある短歌結社の選歌欄にも加入した。毎月10首の詠草も提出していた。
社会人になり、結構忙しい合間でも短歌は作っていた。そして極めつけが「恋人を喪った安田短歌」で、仕事の合間や寝る前などにガンガン作ってツイートした。
しかし、ここ最近は短歌が作れなくなった。忙しさは前の仕事よりマシで、自分の時間だって取れているというのに。どうやって作ってたんだっけ?と戸惑うくらい、作れなくなってしまった。

なぜ短歌が作れなくなったのか、自分の中でこういうことかな?と思う要因はある。

ひとつ目は「安田短歌で燃え尽きてしまった」ということ。確かに当時は持てる限りの全てを使い、異様なペースで短歌を作っていた。それによって、自分の中にある「短歌への熱」や「表現したい要素」を出しきってしまったような気がする。貯金を全部使い果たしたような感じ。

また、「短歌以外の創作もやりはじめた」というのもあると思う。自分の考えたものをアウトプットする形式にバリエーションが増えた分、短歌という表現形式が後退したのかも。

それから、「自分がアウトプットする事への興味が薄れた」ということ。逆に言えば「他の人が考えていることや、興味があることを知りたい」というのが最近のモードであることも大きい。他者の原稿の編集がメインであるクーチェキもどちらかと言えばそういう今の自分の感じから発しているものだと思う。

加えて、僕は短歌というもの自体がめちゃくちゃ好き、というわけではない。なんとなく褒められたものを続けてきた延長という感じなので、人の短歌を沢山読んだり、歌集を買ったりするわけでもないままでここまできた。だから「作らなきゃ!」みたいな切迫感もあまりない。

とはいえ、やはり短歌をバンバン作ってたのはとても楽しかったし、自分で「これは!」と思う作品を作れたときはかなりの高揚感があった。あの気分をもう一度味わえたらな。
ということで、ゴールデンウィークはまた少しずつでも短歌を作り始めようと思う。
やっぱり10連休でも、時間足りないんじゃないかな……。

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