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063.さがせ!

一見するとウォーリーに似ているが、これはどちらかというと楳図かずおだな、と思った。赤白ボーダーのシャツに青のジーパンという服装だが、メガネはかけておらず、ウォーリーよりもかなり年上のように見える。その楳図かずお風の人物は、縦33cm・横52cmの紙に描かれた渋谷のスクランブル交差点で、渋谷駅側からTSUTAYAの方へ向かって歩いている。その他にも数えきれないほどの人間が、紙面を埋め尽くすようにして描き込まれている。
事情を知らない人が見れば『ウォーリーをさがせ!』に現代の東京の風景を描いたものがあったのか、と驚くかもしれないが、これは絵のタッチをそっくりに似せたパロディだ。作者は大路みのり。彼女が大学時代に、所属していた美術・イラスト研究会の展示のために描いたものだ。その際、作品の傍らには大路自身が書いた、このようなキャプションが添えられていた。

『ウォーリーをさがせ!』はイギリス人イラストレーターのマーティン・ハンドフォードによって描かれた絵本シリーズです。細密に描かれた人ごみの中から、ウォーリーやその仲間たちを探し出すというコンセプトの作品で、誰もが一度くらいは遊んだことがあるんじゃないかな、と思います。私も小さなころからこの絵本が好きでした。しかし、私の興味はいつも、ウォーリーではなく、彼を隠すために描き込まれた群衆の方へ向けられていました。彼ら・彼女らは名前を与えられていないにも関わらず、みんな個性的で、チャーミングに見えたのです。ここに描き込まれている人は何をしているんだろう。何を考えているんだろう。どんな食べ物が、どんな本が、どんな音楽が好きで、誰を愛しているんだろう。ウォーリーのことなんてそっちのけで、私は群衆ひとりひとりに想いを馳せていました。むしろ、ウォーリーがいることで、これらの人々が「その他大勢」扱いされることに憤りすら感じていたかもしれません。

初めて渋谷のスクランブル交差点にやってきたとき、行き交う大勢の人々を見ながら、私は『ウォーリーをさがせ!』のことを思い出しました。そして、幼いころにやっていたように、道行く人たちひとりひとりのことを想像しました。あの人は、どんな仕事をしているのか、どこから来て、どこへ向かうのか……。それだけで、単なる風景の一部にしか見えなかった人の群れに、幾分かの愛着を感じられました。

そうした経験を基に、この作品を制作しました。ひとりひとりについて想像を膨らませながら、すべて自分の手で描きました。だから私は――まさか、と疑われるかもしれませんが――ここに描かれた全員の名前を、出身地を、生い立ちを、好きなものと嫌いなものを、どんな目的で渋谷に来たのかを、交差点を歩きながら何を考えているのかをすべて覚えていて、あなたに伝えることができます。
そして、こんなにも親しみを感じている彼ら・彼女らが、この紙面以外、どこにも存在していないことだけがただ寂しいのです。

僕が大路と初めて出会ったのも、この展示会だった。出展していた別の友人の作品を見に来たのだが、僕は大路の作品を――解説文込みで――とびきり気に入ってしまい、ついつい在廊していた大路に声をかけてしまった。
「あの、ここに描かれている、この人って、どんな人なんですか?」
僕は絵の左上、センター街に入ろうとしている、スーツ姿の男性を指さした。
僕にいきなり話しかけられて大路は驚いた様子だったが、どうやら自分の絵を好ましく思っているらしいと察すると、満面の笑みを見せた。
「ミノワさんです」
「え?」
「ミノワヨシアキさんです。彼は『自販機を設置しませんか?』と、企業や商業施設に提案してまわる営業マンで、成績は優秀なのですが、結構サボり癖がひどいんです。今日は新しくできる商業施設に自販機の設置についての打ち合わせをするため、渋谷に来ています。打ち合わせは一時間程度で終わる予定ですが、会社には遅くなるのでノーリターンと連絡済み。空いた時間でパチンコに行こうかなと考えています」
あまりにすらすらと話すので、驚いてしまった。
「それ、今、適当に考えて言ってます?」
「いや、描いているうちにそういう人なんだろうなって思い浮かんできまして……、すみません、変な奴で」と、大路はなんだか恥ずかしそうに頭をかく。
「えっと、じゃあこの人は?」
「アガサタダシさんです。数年前に別れたっきりの元カノと、ハチ公前で待ち合わせています」
「この人は?」
「フジエダイリさんです。今日はお洋服の買い物をしてから、友人に勧められた映画を観る予定」
この調子で10人ばかり。大路は自分が描いた人物のプロフィールを流暢に説明してくれる。
「すごいな、本当にいる人の話を聞いているみたいだ」
「私も、こういう風に話していると、実在するんじゃないかって思います。ミノワさんも、アガサさんも、フジエダさんも」
大路は自分が作り上げた人物の名を、まるで幼い頃から長い時間を共に過ごしてきた親友を呼ぶかのように、優しい口調で言って、それから、寂しげな表情になって目を伏せた。
「でも、いないんですよね」

それをきっかけにして、僕らはたまに会うようになった。大路から、新しく構想している作品の話や、彼女の妄想の中に住む架空の――しかし、妙な実在感のある――人々の話を聞くのは、本当に楽しかった。

そう、大路みのりは実在する。

いや、これを書いている現時点では、「大路みのりは実在した」というのが正しい。しかもそれは僕の中だけの話だ。

3月の下旬ごろから、大路と連絡がとれなくなった。心配になって、共通の友人に連絡してみたところ、「大路みのりという人は知らない」という。彼女が所属していた美術・イラスト研究会のメンバーも、彼女を指導していたゼミの講師も、大路みのりという人物を知らない。大路がささやかな個展を行なったアートギャラリーのウェブサイトでも、彼女の展示の記録だけが跡形もなく消えていた。問い合わせてみると、「この期間は何の催しもありませんでした」とだけ告げられた。

大路みのりが存在したことを証明する、唯一の証拠が、僕の手元にあるスクランブル交差点の絵だ。あの展示会のあと、「そんなに気に入ってくれたなら」と大路が僕に譲ってくれたのだ。これだけを残して、大路は世界から跡形もなく消えてしまった。

そして今、僕が何をしているかといえば、自室のテーブルにその絵を広げて、スクランブル交差点のどこかに大路みのりがいないかと、必死に探しているのである。

どこかに大路の姿が描き込まれていればいい。でも、もしこの絵の中にさえいなかったら。そのときは。


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