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1月30日~2月4日 第16巻 『霜夜』

1月30日

仕事、細々とした作業が立て続けに入って、それを打ち返す。A社の別々の人から依頼が来るのがややこしい。

仕事帰りにひとりカラオケで一時間。びゃーっと大声を出して歌う。帰宅後、新しいパソコンの保証サービスを申し込むのに、購入時のレシートと保証書の画像が必要とのことで、コンビニへスキャンに行って、メールを送ったら、もうその作業をやっただけで今日のすべてをやり切った感じになり、あとはぐだぐだして、寝た。

1月31日

「#短歌を詠む上で気をつけていることをいいねの数だけ話す」というTwitterのタグ企画。11いいね付いたが、5つ書いたところで止まった。そんなに考えて短歌を作っていなかったし、書いた5つも本当にそんな意識の下で短歌を作ってきたのか、怪しい。無理やり逸れっぽい言葉を書いているだけでは。一応、記録として以下に5ツイート分書き残しておく。

縦書き・横書きで、それぞれどう見えるかをチェックするのはやっている。特に「うたの日」投稿分は、あとで結社誌の月詠にまわすことが多いので。横書きから縦書きにすると途端に印象が変わるし、縦書きだから/横書きだからできる仕掛けみたいなのもあるし。

いきなり文字にしない。思いついたフレーズをメモして後で使うことはあるけど、最初のとっかかりの段階では、頭の中+声を出せる場所であれば口に出す+時々指で音数をカウントで考え始めて、「下の句出ないなぁ~」とか詰まったところで文字にして考える。まずはイメージ・連想・音の感じから始める。

本来31音よりサイズのでかい着想を、31音にそぎ落とすのはもったいないので、基本的にはやらない。31音よりちょい小さいところから31音サイズに膨らますとちょうどいい気がする。

無理やり例えない。自然と連想して出てきたものであれば可。無理やり例えて「~のようだ」って全然思ってないのに書くのは、自分に嘘ついてる感じがある。虚構で嘘をつくときには、自分に嘘をついてはダメ。遠いものへ結びつけるときには「例え」にするより、そのものへ「変身」させてしまう方が好き。

頭だけで考えず、31文字の制限・リズムと仲良くする。文字数は縛りではなく手すり。「制限内に収めなければ…」とうんうん唸るのではなく、制限に引っ張ってもらう形で組み立てたほうが、思わぬところに出られる。そのためにも、口に出したり、リズムに重ねて脳内で唱えながら作るの大事。

月末は売上の締め計算が終わってから出ないと帰れないので、やることなくてボーっとしてても、帰りたい時間には帰れないのだった。最近始めたBondeeを見たら、”友達”のアバターもみんな、帰りたそうにしていた。

2月1日

『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』を読了。美味しいものを美味しいと言い合うだけの時間が、わざわざ文字に起こされているのは、とてもいいなと思う。自分の好きな酒の写真を使ったカレンダーを作りたいという企画が、「短い撮影期間で、いかに各シーズンの季節感がある写真を撮れるか」で四苦八苦する企画にするーっとシフトしていくのが可笑しかった。

仕事が暇だったので、読みそびれていた武塙さんの小説「ポイントカード」「蜘蛛を逃がす」を読んだ。ポイントカード、蜘蛛という小さなものをきっかけにして、誰かの人生へと思いを馳せていくような短編で、どちらも好きだった。そして、小説でも出てくる料理が美味しそう。立ち飲み屋で開口一番で頼むメニューが「ほうじ茶割りとヒラマサの刺身」なのが、飲み歩き解像度高い人のセレクトっぽくていい。

夜は『イニシェリン島の精霊』を観に行く。おじさん二人の絶交、というのはあくまできっかけなのかしら、と思ったら本当にそれを軸に引っ張っていくストーリーテリング。年齢や知性の差による世界観の違いを浮かび上がらせてくる意地悪さもありつつ、怒りが増幅した果てでそれでもひとかけらの良心を信じたい、というバランスにグッときた。

2月2日

仕事をたらたらとやって、帰宅後は録画していた『猫は逃げた』。同じく城定・今泉コンビ企画の『愛なのに』と比べると展開はこじんまりしているというか、四角関係がこんがらがりつつも軟着陸する、というテイストは今泉監督テイスト寄りだなと思う。オズワルド・伊藤の登場する賢げに見えてバカっぽいことをしゃべっている会話のくだりが可笑しい。

2月3日

群像2月号はちょっとずつ読み進めていて、今日は通勤電車内で三木那由他「言葉の展望台」を読む。シスジェンダー・ヘテロセクシャル前提の社会で生じるカミングアウトの口に出しづらさについて。首相の同性婚に否定的なあの発言が出た直後に読んだので、「タイムリーだな」とうっかり思ったが、今の社会のことなのだからいつだってタイムリーだ。

Twitter、アカウントの大量凍結が起こったらしく、フォロワーさんにも何人かアカウントが使えなくなったっぽい。「誰かが消えたことはわかるが、誰が消えたかはわからない」というSFっぽい状況。

夜は『仕掛人・藤枝梅安』。二部作のうちの一作目。鬼平シリーズは読んできたが梅安には原作含めて初めて触れる。開幕から最後まで、めちゃくちゃ池波感がみなぎっている。穏やかな感じでありながら、いざというときにはむわっと色気が出るトヨエツ。早くトヨエツの裸体を見せたいからなのか、初登場が水中なのが、ちょっと面白かった。天海祐希、早乙女太一のゲスト陣もいい。暗殺という特性上、派手な殺陣シーンが出しづらいところを、早乙女太一が大立ち回りで担っていた。あやのさんも同じ日に観て絶賛していたので、梅安ファンとしても満足度が高い出来らしい。

2月4日

鬼平を読む。かつての剣友・池田又四郎を見かけた平蔵。又四郎は二十年以上に失踪して以来、行方不明となっていた男だ。昔の又四郎と様子が違うことから、平蔵は声をかけずに尾行することにするが……。平蔵と義母との確執は過去にも描かれてきたが、まさか平蔵が一時期は「斬って捨ててくれよう」とまで思っていたとは。それに気づき、引き留めてくれた又四郎との再会は、悲劇となって訪れてしまう。ちょっとした心のすれ違いから平蔵が自分を避けるようになり、辛さのあまり江戸を離れたという、又四郎の失踪の理由があまりにも切ない。

東京都近代美術館に「大竹伸朗展」へ。朝早めの時間帯に行ったけど結構混んでいた。まず、その作品の物量に圧倒される。素材の劣化のために30年かかっていたり、写真を切り貼りした分厚いスクラップブックが並んでいたりと、それぞれの作品の中に集積された時間の果てしなさ。「継続は力なり」といえば簡単だけど、その継続の結果、一人の人間からこれだけのものが生み出されるのかぁ、と感嘆する。様々な紙を貼り合わせた作品の中に、エゴン・シーレ展の半券がまぎれていて、しかしそれは今まさに開催されているものではもちろんなく、過去のどこかの時点で開催されているエゴン・シーレ展なのだった。
小学校低学年くらいの女の子とその母親が会話していて、「これはスクラップっていって、いろんな写真を切り抜いて、ノートに貼り合わせているの。例えば、〇〇ちゃんはスカーフが好きでしょ?」「うん!」「きれいなスカーフの写真を、ノートに貼ったりするときっと楽しいよ」と話していた。
常設展も観る。掛け軸の中に宇宙を描き出した尾竹竹坡の作品が印象的だった。靉光の「眼のある風景」ともしっかり見つめあう。

東西線で中野。そこから中央・総武線で三鷹に行き、水中書店、りんてん舎を覗いてから、西荻窪のfuzkueへ。ドア横の一人掛けソファ席。群像2月号掲載の中編、湯浅真尋『ディスタンス』を一気読みする。WORKSIGHTのゾンビ特集も少し読んでから、店を出る。

最近、回転寿司の話題が目に入りまくって寿司を食べに行きたくなったので、家の最寄りの寿司屋に立ち寄る。回転じゃなくて、注文した分がレーンで滑ってくるやつ。

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