ミシェル・ゴンドリーについてのメモ その2

 ミシェル・ゴンドリーについて、まずは、彼が監督したThe White Stripesの『Hardest Button To Button』のミュージックビデオを参考にしたいと思います。

 音に合わせてドラムセットやギターアンプが増えていく、というシンプルなアイデアではありますが、実際にここまで徹底されると、見ているうちに、どんどん楽しくなってきますよね。

 このMVではCGが使われておらず、同じ形のドラムとアンプを32台ずつ用意し、一台ずつ運んでは撮影、というコマ撮りの手法で作られています。

 youtubeにメイキングがあったので貼っておきます。 

 このMVとメイキングを見ながら、僕はゴンドリー展のワークショップで感じたことを思い出します。一続きの時間の中に、記録される時間と、記録されない時間がある。シーンが切り替わるたびに、一瞬だけ、記録されなかった時間の印象が頭にちらつく、という感覚。
 メイキングを観たあとにMVを見直すと、例えば、ドラムがひとつ増えるたびに、微妙に日光の差し方が変わっていることに気づかされます。そうした細部にまで注目するうちに、ドラムがひとつ増えるその間に、確実に、スタッフがそのドラムを運んだ――しかし記録されなかった時間の痕跡を感じることができます。この「記録されないけど確かにあった時間」という点において、ワークショップでの僕の体験と、このMVは繋がって感じられます。

 ミシェル・ゴンドリーはアナログな手法を好む監督として知られています。確かに当時の技術であれば、CG合成によって同じような映像を作ることができたはずです。
 しかし、わざわざ実物のドラムを購入し、時間をかけて運ばせた彼を「アナログ趣味」とか「遊び心のあるやつ」と片付けてしまうのは勿体ないので、このアナログという言葉について少し考えてみたいと思います。

 アナログとデジタルの違いのひとつに、「所要時間」があると思います。例えば、一つの長大な計算式を人間とコンピュータがそれぞれ解くとします。人間は計算に一時間かかりました。しかし、コンピュータは同じ問題を一瞬で解いてしまう。人間が何時間もかけることを、コンピュータはあっという間に終えてしまいます。
 しかし、人間が解いてもコンピュータが解いても、(計算ミスさえなければ)答えは同じになるはずです。時間はかかっても、同じ結果にたどり着くのです。

 起点から終点に向かうとき、たどり着く場所は同じでも、人間は時間をかけて終点へ向かいます。ただ時が過ぎるわけではなく、その中には人間の試行錯誤や様々な感情が含まれている。しかしデジタルはまるで起点と終点がくっついていて、その間に何のプロセスも存在しないかのように処理してしまいます。そこに個々の思考や感情が体験的に付加されるような隙はありません。

 ゴンドリーを「アナログ的」と呼ぶならこういう意味じゃないかな、と僕は思います。たとえ同じ結果になるとしても、パソコンの画面上で簡単にドラムを貼り付けるのではなく、人の力を集め、その場で頭を悩ませ、工夫をして、会話をして、それぞれが様々な経験をして、時間をかけて撮る方を選ぶ。そうやって完成したものには、たとえ合成したものと見分けがつかないとしても、より良いものになっているはずだ。そちらにこそ価値があるはずだ。そんな確信をゴンドリーは持っているのではないでしょうか。

 『ミシェル・ゴンドリーの世界一周』展には、MV作品も展示されていました。彼のMVが壁沿いに並べて上映されていて、数秒ごとに、隣のスクリーンに映像が移動していくというユニークな展示形式でした。一つのMVを最初から最後まで通して観るには、数秒ごとに隣のスクリーンの前に移動しなければならないのです。一本見終わる頃には展示フロアを一周してしまいます。この展示方法はゴンドリー自らが提案したものと聞きました。
 僕は、ここにもゴンドリーの、前述した意味での「アナログ」性を感じます。それぞれのMVにはもちろん、(ドラムの移動のような)記録されなかった時間がある。それを観客にも感じさせるために、映像をただ見せるのではなく、いちいち移動しなければ見れないという形式を採ったのではないでしょうか。

 話がずいぶん突飛になってしまった気がします。あまりに深読みじゃないか、と思われるかもしれません。あくまでメモ書きで、しっかりした論考ではないので多目に見てください。

 さて、一つのMVで随分と話を広げてしまいました。次は、今回書いたことを、彼の監督した映画を通して再び考えてみたいと思います。

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