不明瞭なまま記す意味

人並外れた言葉選びのセンスがある訳でもなく
重力から解放された様に筆のノリに身を任せる事も出来ない。

趣味関心に裏付けられた知識や経験は相応に詰んできたとは思っているが、それらを極めた上澄み部分に相当する人達の言葉の前では
自分の影響力など容器の底に沈殿する糟に等しい。

古くは個人ホームページ、ブログ、ツイッター等の媒体で
長らく言葉を形にしてきたがそこに何の意味があるのか
どんな答えを求めているのか未だに分からず仕舞いという有り様だ。

noteには目が眩む様な才が溢れている。
他の媒体でもそれは常々感じてはいたのだが
ここではそれをより強く実感するのは何故なのだろう。

他の媒体よりほんの少し始める為の敷居が高く
利用する人のリテラシーも高めな傾向にある為なのか
自身の持たない輝きに圧倒されたが故に抱いた主観でしかないのか
実際の所は分からないけど。

明瞭な意思や言葉が飛び交い優れた言い回しに翻弄されるこの場所で
一体自分は何がしたいのだろう。
足場さえも覚束かずに言葉を垂れ流しても
得られるものはあるのだろうか。

答えは出ないが書かなきゃ自信を持って
答えをでっち上げる事も出来ない。

恐らく今はそんな感情だけで
不毛かも知れない言葉を綴っている。


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