僕のステラマリス #クリスマス金曜トワイライト

大昔、旅人は夜空に星を探して方角を知り、それを元に自分の進む道筋を決めたという。
いつも真北にあるポラリス、北極星。そう、迷子の僕はいつだって、あなたという星に導かれて、ここまで走ってきたんだ。

***

歌、が聞こえる。

〽 いつくしみ深き友なるイエスは
 罪とが憂いを とり去りたもう

賛美歌、だ。パイプオルガンの伴奏に乗せて響く、人々の歌声。

〽こころの嘆きを包まず述べて
 などかは下ろさぬ 負える重荷を

毎週日曜に訪れている教会。壁一面、天井まで届くステンドグラスがきらめいている。

なんだって今、こんなことを思い出す?目の前にあるのはライバル達の背中、自転車ロードレースの最終局面だろう?耳に届いているのは、自分の呼吸音だけのはずなのに。

ハンドルに取り付けた小型メーターは「心拍数198 時速56km」を示している。なあ、もっと上がってくれ。こんなに必死にペダルを踏んでるのに、なんでだよ。

『次の坂を越えればゴールだ』

イヤホンに飛んでくる指示、そんなの自分が一番わかってる。自転車ロードレース、最終戦。僕だけじゃない、チームの仲間たちの願いがこもっているんだ。

『ゴール直前にエースを送り出せ。そうすればチーム優勝だ』

もう少し。あともう少しなのに。脚力はとっくに臨界点を迎えている。

必死にもがいてきた。仕事もプライベートも全部犠牲にしてきた。

あなたのことも…

万全を尽くしてきたのに、今回こそいけると思ったのに、結局こんなもんなのか。

〽いつくしみ深き友なるイエスは
 われらの弱きを 知りて憐れむ

僕の賭けてきた全てが、この瞬間に懸かっているのに。

〽悩みかなしみに 沈めるときも
 祈りにこたえて 慰めたもう

限界ギリギリ、いやそれ以上に伸ばした手は、夢の端に指先が触れたけど、それだけであっけなく終わった。

***

温かい。

手が。

別の誰かの手が、僕の手を包み込んでいるようだ。柔らかく、優しく。

夢?幻?なんだか胸が苦しい。

真っ暗闇の中、温かい手の感覚だけがハッキリとしてきた。

再び手が握られ、思わず跳ね起きる。

いつもの教会、だ。

ああ僕は、レース中に教会を思い出したんじゃない。教会でうたた寝した挙げ句、あの日を夢に見ていたんだ。

ひと呼吸おいて横を向くと、あなたが優しく微笑んでいる。さっきまで人がたくさんいたはずだけど、礼拝堂には僕ら2人だけ。周囲には静寂が鎮座していた。

あなたはハンカチを取り出して、僕の口元のよだれをそっと拭った。カッコ悪い僕。静かに微笑むあなた。目をこすると聖母様が見えた。

***

「あなたならできる」

CMやキャンペーンに振り回され、上司にもクライアントにも振り回されていた僕。賞もなかなか取れなかった僕。

ある日、僕が自転車ロードレースに出るって話したら、応援すると言ってくれたあなた。猪突猛進で向こう見ずな僕を、いつも穏やかに見つめてくれたあなた。ダメな僕をいつも励ましてくれたあなた。

「あなたが決めた道を行けばいい」

終わりが見えない時代。希望が信じられない時代。

僕はあなたに優しくなれただろうか? 

僕にはあなたに伝えたいことがある。今日こそと思っていたのに、また寝落ちしてしまった。ああ、そうこうしてるうちに今年も終わる。

ダメな僕。どこまでもダメな僕。このままでいいのか?

***

スタンドコーヒー屋さんで出会った。赤い自転車に乗っていたあなたに恋をした。それから何年経ったか、2度目に会った時、あなたは痩せ細っていた。だから僕は一生懸命ご飯を作ってあげた。そして仕事に戻った。そんな日が続いて一緒に住むようになった。

数学が得意で設計図も書けるあなた。インテリアを選ぶセンスは抜群だった。

図面を読むのが上手なあなた。家具の組立て説明書を持つあなたの指示に従って、僕は電動ドリルでボルトをとめた。

いつもニコニコしているあなた。仕事が大変な時も、毎朝早くに起きてコーヒーを淹れてくれた。いつの間にかそれが「普通」になっていった。

あなたが僕に何かを求めることはなかった。怒ることも拗ねることもせず、ただ穏やかで…あどけない寝顔をみて守ってあげたくなった。

葛藤する。果たせない想いと、願いが叶わない時代が。わかち合う想いと、抱きしめたいエゴが。

限りある時間や希望が信じられない時代。
僕はあなたへ何と言えばいい? 

あなたは僕の北極星。人生の航海に必要なステラマリス。

今年。前を向かせてくれたアナタに、溢れる想いを伝えたい。

今年。チカラをくれたあなたに、言葉にならない想いを伝えたい。

今年。もっと大スキになれたアナタに、どこまでも届くほどの熱い想いを伝えたい。
 
僕は静かにペンを置いた。

***

教会を出ると頭上には夕焼け雲が広がっていて、歩道には2人の影が長く伸びた。ゆっくり、ゆっくり、足を進める。このままあなたと、どこまでも、どこまででも行きたい。実際、川沿いの道はどこまでも続いている。

「今日もいい日だったね。ありがとう」

 あなたが僕の目を見つめて静かに言う。

「今年もいい年だったね。ありがとう」

あなたの茶色くて青い淵の瞳に、僕は吸い込まれる。

見上げれば、空に一番星が輝いていた。

***

僕たちは通りに面したバルに入り、窓際に座った。

「乾杯」

自転車ロードレースを今年で辞めることを話した。あの日の最終レースの結果は2位。来年はチームのスポンサーが降りるから、やむなくチームは解散となった。メンバーの動向は様々。転勤する奴、転職をする奴、ロードレース本場のフランスに渡る奴……みんなバラバラに世界へ散っていく。

僕は姿勢を正した。そして礼拝に寝坊した時のこと。いつも仕事で疲れ切って寝落ちすること。たくさんのワガママや、いつも生活がだらしないことを謝った。

驚いた顔のあなた。多分、これからもっと驚くと思う。

僕はポケットから指輪の入った青い箱をそっと取り出した。メッセージカードを添えて、あなたの前に置く。

「…結婚してくれるかな」

あなたの瞳が潤んだ。かと思うと、星の雫が一筋、頬を流れた。どこまでも透明で、美しい流れ星。

気づいたら、片手が温かかった。握る手は柔らかく優しい。

胸が苦しい。夢?幻?いや、どちらでもない。現実だ。僕は覚悟を決めた。

「約束する。この気持ちが永遠だと」

ダメな僕に、さよなら。あなたに支えられてばかりの僕に、さよなら。

「結婚、してください」

一世一代の、心を込めた一言。僕は言い切った。

彼女はほんの少し、間をおいて、ゆっくりと口の端を上げた。

「…はい」

ああ、なんて美しい微笑み。

僕はいま生きている。あなたと一緒に生きている。人生で一番、今が輝いている。

こころから愛しているひとよ。
こころから愛しいひとよ。

〽いつくしみ深き 友なるイエスは
 かわらぬ愛もて 導きたもう

僕の愛の真ん中にはいつもあなたがいる。

どんな時も。どんな場所でも。これから2人に何が起ころうとも。

〽世の友われらを 棄て去るときも
 祈りにこたえて 労りたまわん

永久(とわ)の星よ。愛しい星よ。

今度は僕が、あなたを照らす星になりたい。

***

追記

こちらの企画に参加しました。

リライトした小説はこちら。

「なぜその作品をリライトに選んだのか?」

タイトルがいいなと思ったので。星とか空とか好きなんです。

「どこにフォーカスしてリライトしたのか?」

主人公のダメっぷりを増幅させました。その分、プロポーズが成長の大きな一歩に見えてくれたらと思います。。

個人的にやってみたかったのは賛美歌の挿入です。映像的な描写が上手ではないので、聴覚的な表現を工夫したつもりです。2人の今までとこれからに賛美歌の歌詞を重ねました。

また、ロードレースの回想部分を敢えて広げてみました。2人の回想部分を書く人は多いだろうからという、人と違いを出したい打算的な考えです。ちょっとすみません。

文体は、自分ならこう書くという、感覚的なものです。自分が読んでいて心地良いリズムにしたつもりです。

こういう形の書き方は初めてなので、いろんなご感想もらえたら嬉しいです。

追記の追記

すみません…締切を午後6時と勘違いして投稿しちゃいました…うわー恥ずかしい。すみません。でもせっかく書いたので記事は消さずに残させてください🙇