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『UNDER STUDY/アンダースタディ』の記録



元々、8月がゼミと部活で忙しく、大阪公演のみの予定でしたが、(大阪公演、大丈夫…?)となり、東京公演を追加しました。


東京公演(8.25 マチソワ)


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マチネ
「本物じゃないですよ、でもリアルに見える」=芝居の核?

反響板のように設置された鏡。隠し事はできない?さらけ出されている?迷宮?

ドア。「変身」蟲になったグレーゴルと家族との境。境界線。

指の差し方、怒鳴り方、「自分にできる!」と焦る姿......嘉納火炉ォ......。(歌仙も櫂も希望も霧島もロキも普段スッとでてくることはないのに、嘉納火炉だけ、呪縛のように頭の中から消えてくれない)

バナナを食べたことやその他諸々をロクサーヌに咎められる2人。降参ポーズ。ひぇぇ……!とあわあわしているハリーと腰をふりふりしている余裕ありげなジェイク。

「カフカなら銃をこう構える」あの......それ......明治座で見ました.......
「まだ過去にしがみついているのか」私のことか?そうだよな?

「リンゴを投げた妹」投げたのは父親のはず?カフカの作品の核が「父親との確執」なのは有名な話。では何故?誤訳?原語のミス?リンゴ=リンゴではない、何かしらの比喩?グレーゴルは父によってリンゴをぶつけられた時の傷と妹がご飯をあげなくなったことで、衰弱死した。リンゴ=死のきっかけ?グレーゴルの妹は「いやらしい女」?それともかわいそうな女?妹はむしろ兄(男)の話しを「聞かない」側では?
「女がいてもいい」ってどういう意味?上層部の考えることはナンセンスだという批判?「私ならこうする」という俳優としてのロクサーヌの意見?

日替わり:★「あ゛ぁ......あ゛......アメリカにようこそ」★転がる。頭を打ったハリー。頭じゃなくて肩から!とジェイク。でも頭!(を打った)と主張するハリー。肩!(からいく)とジェイク。会話が噛み合っていない。

ラストのダンス。鏡とライト。迷宮ではない、万華鏡だ。美しい、幻想。舞台の上そのもの。

ふたりから差し出された手をすっとかわすロクサーヌ。「恋人関係にはならない」ってこと?(ハリーとジェイクが恋敵関係だから同時に出した?)

それぞれとは踊る&3人一緒に踊る=「これからも芝居で関わっていく」

名前を変えたハリーと着ることのないウェディングドレスが捨てられないロクサーヌ。「過去にしがみついている」のはどっち?

ジェイクの「人誑し」、琢磨さんに多い「人誑し」とちょっと違っておもしろい......嘉納・櫂・希望・ロキ等々(御幸もかな?半分ジェイク寄りかも)無自覚の人誑しが多い(知らないうちに人がついてくる)けれど、ジェイクは「ロクサーヌをオトす」ために人誑ししてる。対ロクサーヌ限定?ロクサーヌに「王子様」って言われるの嬉しいけれど、ファンに言われたり、芸能ゴシップでそう書かれたりするのは嫌ってそう......きらきら輝いているだけがスターじゃないから......


ソワレ
リアルってなに?日常を切り取った芝居がリアルなのか、非日常をあたかも日常であるかのように見せることがリアルなのか。『誰もが信じている僕のすべても本当は偽物なんだ』

「あれやってくださいよ!(トラックで逃げるぜ)」
「......ダン!、トラックで」「ふふっ!」「まだ全部言ってないんだけど」「ダン!......」「もう最高!」二人でゲラってる

ハリーはもしかして、普段から「道化」を演じている?アメリカっぽい(少し胡散臭い)動き方だからそう感じるだけ?本心が一番読みにくい。その道化が剥がれ始める終盤で、ハリーの顔が見えない(吊り天井に隠れる)

日替わり:
★「あ゛......あ゛ぁ......アンダースタディの方ですか......?」「(ジ)......冗談だよ」「(ハ)そんな一面あったんだ......」やっぱりソワレ若干ゲラ
★ムーンウォーク

寺山修司『さらば、映画よ』「みんな誰かの代理人」
ハリーはジェイクの、ジェイクはブルースの、ロクサーヌはカフカの代理人
唯一なんて無い。コピーしてしまえばみんな同じで替えがきく、はず......それでも、コピー元のルールにない「何か」に引き寄せられる(ジェイクの演じる役人に惹かれたハリー、ロクサーヌの判事に感激したジェイク)。

大阪公演(9.11 マチソワ)


松下IMPホール。スタッキングチェア3列(最前潰しのため実質2列だったかも)+A〜F列まで、フラットで千鳥配列”ではない”。なんだこのホール。後ろの席の方が人権ある。芸劇と比べて響かない分声がスッと聞こえる。音がこもらないため、科白がはっきり聞き取れる。ここは好みが分かれるかも。


マチネ
ハリー「本物じゃないですよ。やだなぁ......でもーーーー(プロットガンを見つめ、なにか考えているような間。東京こんなに長かった?)本物に見える。」

ジェイクの「ロクサーヌをオトしてやる」の気合い入ってんなぁ.......。ハリーが代役として来たことの抗議をしようと、ちょいちょい、とでも言わんばかりにロクサーヌの肩を抱こうとするの、「大人の色男(ガチ)」って感じが致しましたわよ。でも、その後、「あなた方役者に代役どうこうを決める権利はありません!(意訳)」って言われて、文字通りロクサーヌに振り回されたから、ジェイクがロクサーヌを手の内にすることはできない、というか、ロクサーヌには一生敵わないんだろうなぁ。

稽古開始。宿屋のシーン。ジェイクの「酒を飲め」という忠告を自分の演技プランと異なるから無視しているというよりも、そもそもハリーの眼にジェイクが映っていない?「独りよがりな芝居」に感じる。自分が演じること、頭の中でイメージしているモノを、身体を使ってアウトプットすることだけに(悪い意味で)集中してしまっている。吹奏楽で、自分の楽譜を吹くのに精一杯で、周りとのバランスやハーモニーに、眼が向かないのと似てる(すぐ吹奏楽に例える......)。

ジェイクもロクサーヌも独りよがりな部分あったよね......。ジェイクはカフカに対する、脚本に対する、芸術的な、詩的な、解釈を持ち合わせいても、それを他人と共有せず、言葉として一方的に吐き出すだけ。ロクサーヌは、「演劇業界はこうだから」「決まりだから」「自分たちにはどうすることもできない」という諦めの気持ちを頑固に持ち続けているところ。「なんで男は女に何も言わないの!?」って科白があったけれど、この作品が大切にしているもの一つに『対話』がある気がする。だからこそ、お互いをよくわかっていないとできない、相手のいるダンスで、物語を締めくくる。

ロクサーヌの印象が、過去の辛い記憶をハリーによって掘り起こされて、傷つきやすくなった結果、ヒステリック気味に苛立っているのでは?と東京公演(8.25マチソワ)では感じたけれど、大阪公演では、ハリーの行動にも、エンターテイメントとしての演劇業界の体質にも、ある種の諦めを抱いているように感じた。言葉が上手く出てこないのも、東京:焦り、苛立ち。大阪:ひとつ、ひとつ言葉を選んで、噛みしめて、話しているように感じた。

「世界の王子様」「万物の王」「ただの兵隊」も、ハリーに理解させるため、というよりは、自分に言い聞かせているような......

(東京公演もしてたと思うけれど、「舞台監督ってあんなにキレやすいの?」と呟いたハリーに対して、「ロクサーヌを悪く言うな」と釘を刺した後、「カッコいいとこ見せれたかな」とでも言わんばかりにドヤ顔するジェイク、「残念なイケメン」臭がして、とても、良い)

ジェイクの気合い入れ。捌けていくときに「よーし、よし......ウヘヘッ」ってウヘヘッってなんですか......ウヘヘッ......(困惑)。

捜査官K(ハリー)と役人クラム(ジェイク)のシーンその1。クラムの「さわるんじゃぁなぁぁああい!!!」の一発目で「手......手ぇ、折れた......」みたいに舞台袖のロクサーヌに見せに行くハリー。かわいいね。

「『思い出せない一人』って誰?」とロクサーヌとジェイクに確認するハリー。「酒を飲む仕草は不必要だ」という我を通し抜くやり方ではなく、相手の考えを聞き、受け入れ、自分の芝居の解像度を高めていく。目の前にいる相手と同化していく。ジェイクに乗せられ、凄みが増していくハリーの芝居。琢磨さんが写真集イベで仰ってた「最後の(鈴木)拡樹とのシーンはラップみたいなもの(意訳)」ってこういうことかな......(突然のPPVV)(癖なんです、PPVVの話するの......)。

「役者なんて大きな赤ちゃん!」とハリーとジェイクを叱咤するロクサーヌ。顔を見合わせ、互いに(こいつが赤ちゃん?デケェな.....)という表情をする二人(マチネのみだからアドリブ?偶然?)。

ロクサーヌと芝居について語るジェイク。ロクサーヌの芝居の隠し味「性欲」。カフカが求め、また恐怖したもの。ジェイク......というよりもKの「私はあなたが思っているような男ではない」という科白は、ジェイクからロクサーヌに向けられた言葉?ロクサーヌはジェイクを映画スター、世界の王子様だって言って、(言葉の表面だけかもしれないけれど)持ち上げている。そんな清廉潔白な「王子様幻想」ではなくて、ジェイク自身は、有名になりたい野心もあるし、ロクサーヌに恋愛感情(≒性欲)を抱いて、近づいている。

ジェイクの「有名になりたい」って気持ち。「クソみたいな映画でもいいからちやほやされたい」ではなくて、「自分のやりたい芸術性のある詩的な芝居ができる環境を得るためには金=力がいる。そのためにちやほやされてのし上がっていくしかない」ってことなのかな?

ハリーとロクサーヌのキス。ロクサーヌからハリーへの『痛み』の応酬。ハリーがロクサーヌから離れていた6年間、地に足が着いていないような孤独を味わったのは、痛み(=ロクサーヌ)から逃げたから。孤独じゃない、誰かと関わりを持つことは『痛み』を生むこともある(SLANGだ!!)。

ハリーの独白。「役者なんてロクでもない人間しかいない(意訳)」福田さん泣きそうになってた?独白を聞いていたジェイクの反応も、「お前、やっちまったな......(呆れ)」とどちらかと言えばロクサーヌに同情していた東京公演と、「わかるよ......ろくでもない奴しか生き残れないこの業界の理不尽さ」とハリーに同情していた大阪公演のイメージ(特に大阪マチネ)。ハリーに「(ロクサーヌのところに)行けよ......」って言ったのは、ジェイク自身、ロクサーヌへの想いを捨てる・諦めることはしないけれど、ハリーには敵わないって思ってそう。

日替わり:★「アラスカ行きのバスは(ありますか?)(どこですか?)(こっちですか?)」ゲラるハリー。「無ェよ、冗談だよ」★懐中電灯で撃ち合い。ピュンピュン。肩から入る。

カテコで捌けるときに、ぴょこぴょこ駆け足の琢磨さん。かわいいね。



ソワレ(特徴的なところのみ)

初めての代役稽古。「その顔は......肉と骨だk「待った!」「肉と骨...「待った!」いつもの倍くらいやってた気がする。

「トラックで逃げるぜ」再現。ジェイクが、イスに足をどん!と置いただけで笑っちゃうハリー。マチソワともに「あっはっはっは......フゴッ!」と鼻になにか詰まったような笑い方になるハリー。そ、それでいいのか......?

バナナをもぐもぐしすぎて、ロクサーヌに問いつめられたときに「ふぁっふぇ、ふぇいふふぁ、ふぁいほーふふぁっふぇ(だって、ジェイクが「大丈夫だ」って)」とほぼ聞き取れないハリー。大慌てでハリーを引き戻しに行くジェイク。

バナナのスジ(めっちゃ長い。鎖骨下〜胸くらいまであった気がする)が口の端からびろ〜んとはみ出てるハリー。会場、大爆笑(福田さんはそれで気づかれたのかしら?)。笑いをこらえられないロクサーヌ......というより谷村さん。びろびろさせたまま、床に捨ててあった皮を拾い、ジェイクに(これ、1つ貸しね)みたいなドヤ顔で捌けていく。びろびろさせたまま。吐き捨てるようにジェイクが一言「汚ねぇ」。

日替わり:★「アトランタオリンピックのこと覚えていますか?」「えっ......?」「96年の......」BTTHの、ノダさん「1996年に生きてたやつのこと、なめんなよってとこ見せてやりますよ」カワモトさん「96年、みんな生きてたけどねぇ......」思いだしちゃった。美優さん、96年知らないです。「機動戦艦ナデシコ」の放送が96年ですね。主題歌だけ知ってるのでいつか履修したいです(脱線)。★振り付けの確認「肩から入る」「肩を(どこに)入れる......?」「その入れるじゃない!」

天板に顔が隠れたまま芝居を続けるハリーとそれをにこにこと楽しそうに見つめるジェイク。シャツの背中の汗染がすごい。顔が見えずとも、表舞台に立てなくても、「演じること」そのものを楽しむハリー。ハリーだけでなく、ジェイクも、ロクサーヌも、クソだ何だと業界に失望したり、怒りを抱いたりしても、頑なに「芝居」から離れようとしないのは、その楽しさを理解しているから、無意識のうちに欲しているからかなぁ......。私もイヤだ、イヤだ、向いていない、才能無い言いながら、吹奏楽楽しんでるからなぁ......。


大千秋楽カテコ挨拶


はじめにスタッフへの方々への感謝の言葉。舞台袖に向かい、やったね!という達成感の表情をされるお三方。


東京楽のハトの糞の話をまた続ける琢磨さん。「この立派な肩幅に、狙い定めて......」的なこと仰ってた。そうだね、好きだよ、琢磨さんの肩幅。「何のお話だろう......?」と興味深そうに聞いていたお客さんは今日が初見の福田さんのファンかな?オチを聞いた会場爆笑。衣装さんに洗っていただいて、着てきた時よりもシャツが見違えるようにきれいになって返ってきたとのこと。ホールとホテルが直結していたため、大阪ではハトに出会うことができず、「ウン」を付けてもらえないことへの不安があったそう。池袋での木に止まっているハトの大群を「青リンゴが生ってるみたい」と秀逸な例えを披露する谷村さん。「あれ(そこを注意せずに歩いて)でウンつかない方がおかしい」と少々辛辣。3人のなかでは割とツッコミ役だったのでしょうか......。「Show must go on!」と拳を掲げて、挨拶を締める琢磨さん、粋ですね。「SHOW BOY」最前センブロで観たエピソード、面白すぎるんだよな......。


年上の男性陣(お二人とも86年生まれ)に引っ張ってもらってばかりだったと仰る谷村さん(91年生まれ)。同世代だと衝突して思うように進まないこともあるけれど、今回はそういうことがなかったそう。我々、オタクは3人とも「同世代」で括っていたのですが......。「この人、1人だけ靴履いちゃって!(最後のダンスで)踏まれる心配がないの!(意訳)」と(確か)福田さん。踏まれそうなことがちょっとだけヒヤヒヤしたとIKKOの真似をしながら話す琢磨さん。そこからオネェ口調になりだす二人。「なかなか一緒にお芝居するメンバーではない」旨をお話しする谷村さん。「もう会いません」と言われたように感じたのか、「この人もう次の舞台のこと考えてるの!ジャニーズとやるのよ!」「お兄ちゃん、寂しいよぉ〜!」泣き真似をする二人。と言いつつも、次は朗読劇、コンサート等々......今後の予定を列挙する福田さん(寂しくないもん!アピール?)。(解禁情報が無いため)一人だけ何も言えない琢磨さん(「ペアキュン」の話は?放送日覚えていなかった可能性大)。目配せして「あなたもあるでしょ」とささやく福田さん。福田さんは琢磨さんの次のお仕事ご存じでいらっしゃるご様子。


座長の福田さんは演出の深作さんへの感謝の言葉から。谷村さんからのバトンタッチの時に謎のモノマネ(『相棒』の右京さん。VV2のみこちゃん思いだしちゃった)をしている福田さん。「ハリーをやるために産まれてきたのではないか」と仰ってじーんとさせた直後に「次の『手紙』でもそう言います」と笑いを誘う。当て書きではないキャラクターでも、福田さんのものにしてしまうから、そう感じることが多いのかなぁ、とハリーしか見たことがないけれど思いました。「あまり長すぎると『アンダースタディ』が薄れてしまいますので......」と少々強引に締める福田さん。




公演を通しての個人的な感想(戯れ言)
8月の東京公演と9月の大阪公演で、自分自身に大きな出来事があって、作品から受け取るものが少し変わりました。
東北大会の大学の部がホールでの演奏審査ではなく、県大会の録音を流用した音源審査になると言われたのが8月30日の夜。県大会の自分たちでも全力が出し切れていない、納得のいかなかった演奏を東北大会で挽回してやろうと、がむしゃらに練習した8月がなかったことにされた。公演中止が決まり元々あまり大きくなかった稽古の意味が皆無になった作中の出来事がそれに重なって見えた。
稽古が意味のないものになったとしても、ハリー達は最後のダンスの稽古をして、代役稽古を締める。録音審査が決まって、大会に向けた練習の必要がなくなり、その瞬間から、楽器が吹けなくなった(岩手県は現在、公式大会出場に向けた練習以外の部活動が全面禁止)私は、納得のいくところまで、稽古をやりきることができた3人が羨ましい。
県大会以降の練習で学んだことがこれからの演奏で生きるように、日の目を浴びることが無い稽古でも、「対話」の必要性や痛みの共有等々、新しく糧となったものはある。

それでも、「役者は最高だ。”役さえあれば”」という科白のように、私たち奏者も、楽器が吹けなければ、意味がない。あーあ。

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