読書感想文「行為の経営学の新展開」①
以下は、「行為の経営学の新展開」(加藤俊彦・佐々木将人著、2023年、白桃書房)の私的なレジュメである。つまり筆者のオリジナルの論考ではなく、多分に同書を反映した内容である。但し、引用については明記し、部分的にオリジナルの解釈や例を足してまとめている。
はじめに:行為の経営学の新展開
本書は、沼上幹氏(一橋大→早大)の教え子らが、氏の退職を記念して編纂した本である。要は退職記念本だ。またテーマとして、2000年に沼上が著した「行為の経営学」を進展させるという目的を掲げている。
行為の経営学は、経営学者が方法「論」に深く切り込んだ稀少な文献である(それが稀少であることはまた、残念でもある。また余談だが沼上は2021年に紫綬褒章を受章しており、その名目が「経営学における新たな手法の確立」なので、行為の経営学が特に評価されていると思われる)。
方法論が後回しになりがちな経営学において(やはり現場と実務中心の分野であることは無関係でないだろう)、これほど直接的かつクリアに方法論を扱った文献はほとんどなく(注 翻訳書はいくつか出ており、また「方法」に関する優れた本は多々あるものの、「方法論」に立ち返る議論はほとんどなされなかったように思われる)、かつ2000年以降議論が進展したとも言い難い状況はあった。
本書は、その行為の経営学の新展開をめざした注目すべき一冊である。
変数システムと行為システム
まず、沼上(2000a)の議論を振り返っておこう。端的にまとめると、沼上は変数システムのみならず行為システムに注目する必要性を主張している。
変数システムとは、特定の変数間の因果関係を同定し、それらを以て現実世界を捉えようとする知的なパラダイムである。現在の科学界において最も支配的であり、深く根付いているため、変数システムのみが唯一かつ絶対的なアプローチだとみる向きも少なくはない。
実際のところ、変数システムに関する知見の発展や応用、進化のスピードは凄まじく、覇権を得るに相応しい説得性を備えた方法論であることに疑いはない。
しかし、それは変数システムが欠点をもたない無謬のシステムであることを、まったく意味していない。沼上らは、変数システムの最たる問題点とは、個人の主体性(agency)を過小評価している点であると指摘する。変数システムに比して、個人の行為を重視し、①意図をもった行為主体、②相互依存関係、③意図せざる結果、を含んだパラダイムを、行為システムとよぶ。
変数システムは一般的に、法則定立を伴う価値観と強く結びついている。つまり、変数システム下において観測された妥当な因果関係を、一般法則であるとみなす姿勢である。
意図と行為の存在
沼上は、「読みと洞察」という概念を用いて行為システムの重要性を主張する。変数システムにおいては、環境である独立変数が変動すると、従属変数が影響を受けて変動するという共変関係が前提とされる。しかし現実の社会では、それをふまえて他の行為主体がどう思考し行動するかという「読み」、そしてそれらがどういった結果をもたらすのかという「洞察」を経て、個人や企業は行動を決定している。
たとえばこういう例を考えよう。M&Aに関する研究によって、「M&Aはおしなべて高値掴みで、コストに見合うパフォーマンスが発揮できない」という法則が見出されたとしよう。この知見を得た経営者らは、M&Aに対して躊躇するようになるかもしれない。
ところが結果として企業がM&Aを控える傾向がうまれた場合、敢えてM&Aに踏み切る企業にとっては、競合が減ったことで「買い手市場」に移行し、従来よりも低コストで買収できる、というケースがうまれるかもしれない。これはつまり、変数システムからうまれた一般的な法則を基にした行為の連鎖が、法則に反する結果を導いた例だといえる。
重要なのは、法則を無視して(法則が間違っているので)例外がうまれたのではないことだ。法則があるからこそ例外がうまれることがあり、それは行為主体の意図を起点とする現象なのだ。
この例は机上の空論のようにも読めるかもしれない。ただ、類似の事象は現実に起きている。たとえばJungらの研究では、「多角化のパフォーマンスは平均的に低い」という知見がビジネススクールを中心に教育で紹介され続けた結果、米国企業は多角化をしなくなっているという現象を報告している(※)。
一般法則とみなされた知見が行為の連鎖を経て、現実世界に影響を及ぼすのである。ただこの場合は法則に反する結果ではなく、むしろ法則を強化するように行為が作用したといえる。
サステナブル投資とよばれるような、環境配慮や社会貢献を重視する企業に投資する現象がある。「環境意識の高い企業は株価が上昇する」という命題が法則としてある、と誰かが言ったとき(特にトップジャーナルとかに載ったとき)、それがどれだけ堅牢で妥当な一般法則かによらず、投資家がそれを信じて環境意識の高い企業を選好するということが起きる。
このとき、「嘘から出た実」といえば失礼だろうけども、似たことが起きる。つまり、ある法則が、法則として提唱されたがゆえに経験的に強化されるのである。
社会科学特有の事情
以上の例からもわかるように、変数システムと行為システムは、便宜上対置されているものの、排反する関係にはなく、むしろ相互に補うような関係ですらある。ただ、現代ではあまりに変数システムが支配的であるがゆえに、行為システムの示唆が過少視され、変数システムが一般法則を定立する「最強の方法」だという誤解が支配的になりかねない状況であるとはいえる。
また、行為システムが問題となるのは、社会事象を扱う経営学だという事情もある。たとえば重力の大きさ(W)は、質量(m)と重力加速度(g)の積で表される。これはW=mgという式で表現可能で、この法則は、個々人の意図や行為で揺らぐようなものではない。アイツはW=mgだから俺はW=2mgでいこうとか、今日は調子が悪いから3mgだとか、そういうものではない。個体の意図が影響しうる法則ではないのである。
自然科学(の一部)では、そういった意図が影響しえない分野があり、特に「王様」たる物理学ではそうでなかった(と思われていた)ので、そういった思想を社会科学にも同値に反映させてしまうならば、行為や意図など介入すべくもないだろう。
対話不可能状態へ
経営学の歴史からみると、実は行為システムは決してマイナーであり続けたわけでも、無視されてきたわけでもない。古くはマートンやセルズニックといった学者は、意図と行為の存在を意識して論を展開していた。著名な、マートンの「逆機能」概念など、まさに意図せざる結果を論じたものだと解釈できる。
変数システムの影響が鮮明になるのは70年代で、コンティンジェンシー理論が象徴的である。環境の不確実性とそれへの適応度という少数でシンプルな独立変数のみで、組織のパフォーマンスという重要な従属変数を説明しようとしたモデルだ。大枠としては相応の説得力があり、浸透しきった金字塔の研究である。ただ同時に、現代基準でみると雑駁にすぎ、「何も言えていないに等しい」ともいえる。
著名なポーターの5フォースモデルにおいても、主たるアプローチは定性的であるものの、5つの脅威という独立変数が競争優位という従属変数に影響を及ぼすという構図はまさしく変数システムに立脚したものである。
変数システムに比して、主体性を強く反映させたのが主観主義・解釈主義であり、代表的論者がワイクである。ワイクの主張はたしかにアイデアフルで高い独自性があり、今なお世界で多くの研究者が興味深く向き合ってはいる。しかし日本(語)の経営学においては、「ちょっとよくわからないアレ」みたいな扱いを受けることが多く、受容不可能な知見として異端視されてきたのが実情であろう。
行為システムは、こうした「対話不可能状態」を超克し、それらを止揚した方法論であることを目指す。
変数システムの問題点
行為システムの意義を主張するにあたっては、変数システムの問題点を改めて洗い出すことが先に必要である。端的には、(現状の経営学で支配的な)変数システムは、記述様式がきわめて単純化・退化している。しかし社会は意図が介在し、ゆえに組織や環境が複雑化し、経営学はそれらを対象とするにも関わらず、変数システム下ではときに、あまりに単純化された形式で世界が表現されている。
変数システムの背景にあるのが、カバー法則モデル(covering law model )である。①相関関係の存在、②原因となる独立変数の時間的先行性、③疑似相関の排除あるいは他の独立変数の統制、の条件を満たすことにより、因果関係が示されるという考え方である。ところがこれは、「なぜそうなっているのか」について明らかにできるアプローチではない。
ゆえに、ときに「統計的には因果関係が見出された」「ただ、なぜこうなるかは検討がつかない」という論文が発表される。それが何らかのメカニズム解明とセットになっていれば、より深耕された研究群になっていくものの、ときおり批判されるように、学界が変数システム偏重になることで「因果関係らしきものを統計的に有意という基準から導いた」知見のみが蓄積されていき、まさに「単純化された因果関係群」のみが溜まっていくという様相を呈するようになる(むろんこれは、全体最適を失った学界の問題であり、変数システムや定量アプローチが悪いわけではない)。
沼上(2000b)の例を引用すると、
変数システム偏重になると、トートロジーを経験的に確認するような研究が増えてしまう。ある種のリーダーシップ研究がそうであると、トゥーリッシュ(2022)などがやり玉に挙げている(たとえば、「倫理的リーダーシップを発揮するリーダーは、職場の倫理性を向上させる」など。そらそうやろ…)。
非常に危うく稚拙なレベルの「エビデンスベースドマネジメント」においては、こうした議論が平気でまかり通っている実情もある。
カバー法則モデルと対になるのが、メカニズム解明モデルである。経営学の質的研究の多くは、事象のメカニズムを解明することに主眼を置いている。企業買収がコストに比してパフォーマンスを発揮できないという法則が見出されたとして、なぜそのようになるのかについてメカニズムを解明するわけである。
本当にM&Aがコストに見合わないのなら、敢えてM&Aを選択する買い手企業は存在しないはずだ。ということは、そこには意図せざる結果や、想定しきれない変数の存在、時間の流れに伴った条件の変化などがあるはずで、そうしたメカニズムを解明するためには、たしかに質的研究は有効な手段である。
ただ、カバー法則モデルとメカニズム解明モデルの2つのアプローチが存在し共存しうるのは、それぞれ長所短所が異なっているというだけであって、一般法則の定立が困難であることの証左にはならない。法則定立という同じ目的に対して違うアプローチをとっているだけかもしれないからだ。
一般法則は成立するのか?
一般法則が成立しえない、少なくとも非常に限定的な状況でしか生まれない(もはやそれは一般法則ではないが…)論拠を、沼上はゲーム理論から導こうとした。端的には、自らの合理的な意思決定は、他者による「邪魔」つまり介入が生じないときにのみ成立する。これはまさに、意図と行為の存在が、一般法則を解体する因子であることを示している。
筆者(フナツ)が他の文献等から導いた論拠としては、バスカーの超越論的実在論が有力なカウンターになりえる(see 榊原, 2008)。存在論や認識論上の難解な議論を含み得るため詳細は割愛するが、超越論的実在論が提示する重要な命題のひとつは「社会活動は転態する」である。
大げさな表現ではあるものの、直感的に納得しやすいことでもある。つまり、M&Aの例でいうならば、M&Aという事象が初めて世に登場してからの10年と、ある程度飽和し普遍化されてからの10年では、そもそも個人や企業側の認識やスタンスが変化しているため、法則が一般的で足り得ないということが起きる。「時代と共に移り変わる」を、緻密(な代わりに難解に)論証したともいえるだろう。
「多様性」も「リーダー」も、時代や国によって解釈がかなり異なり、まったく同一の定義・意味内容で表現ができず、ゆえに構成概念妥当性にブレが生じる。
なお超越論的実在論は、その自身の性質ゆえに「超越論的実在論自身が一般法則足り得ないため、瑕疵のない論証が不可能である」という弱点をもつことを付記しておく(実はこれは、科学アプローチがもつ弱点とまったく同じである)。
もう一つ、「因果複雑性の経営学」が注目に値する。関口倫紀氏のブログが詳しいので、そちらもぜひご参照いただきたい。
ブログから引用すると、
むろん非線形を扱う変数システム的研究も存在するものの、たしかに既存の多くの(定量)研究は、線形代数を前提としたアプローチから、因果関係の解明をめざしてきた。
具体例を挙げよう。Cooperほか(2018)は、経営学の最高峰ジャーナルであるAMJにて、「上司がジョークを言う」ことをテーマに研究を発表している。
Cooperらの研究が示したのは、次のような変数間の因果関係だ。
つまり、リーダーがジョークを述べれば、部下との人間関係が改善され、結果として職場内の利他行動的なものが増える、という因果関係である。
敢えて雑に問おう。これ、ほんとだろうか。さらにいえば、これは、上司がジョークを「言えば言うほど」組織市民行動が活発化するという、まさに共変的な線形の関係であるだろうか。
違う、がマトモな回答であろう(もちろん、科学的知見が日常的な感覚に裏付けられる必要はないし、直感を裏切る結果であってもよいのだけど)。おそらく、日常感覚のレベルで思考するならば、上司のジョークの効果は「ジョークを言われる部下との良好な関係」「ジョークの質」「ジョークを使うTPO」「ジョークを言っていないときの振る舞い」などの条件に制約されるはずだ。
因果複雑性の経営学は、この「条件の重ね合わせ」に注目するアプローチである。つまり、少数の変数間の(因果)関係だけで説明できる事象は少なく、シンプルなX→Yで表現しようとすればするほど「現実に沿わない」「突飛な理論」がうまれてしまうことになる。
これを避けるために、複数の条件が重なったときに事象が顕現するという、集合論を応用した思考法に則るのが因果複雑性の経営学であり、変数システムの弱点を補強するものだといえるだろう。
参考文献
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