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132 夕立を繰り返して

これまで、あらゆる人々があらゆることばで「終わりは始まりである」と伝えてきました。
ストレートな表現で、あるいは、さまざまな比喩を駆使して。
短いシンプルなことばで、あるいは長編小説で。

「終わりは始まりである」
希望と絶望を同時に感じることばだと思います。

夕立が訪れたとき、私はたいてい屋内にいます。
仕事をしているときは、会社の建物の頑丈さのおかげで気がつかないときもありますが、自宅にいるときは必ず気がつきます。

夕立。
私は夕立がすきです。
その突然はじまる感じ、大胆さ、刹那的なところ。
思えば、なんだってはじまるときも終わるときも突然です。
心のどこかで予感をしていたとしても、いざそれに出くわしたら、多少なりともびっくりします。

夕立。
それまでぴかぴかに晴れていた空を一新する思い切りのよさも、気持ちのいいものです。

大粒の雨で、大きな音を立てて、街を洗ってくれている。
暑さに耐えていた植物たちも、かんかんになっている屋根も、水で癒されているように見えます。

夕立は夏の小休止です。

窓から見える白い空。ぼたぼたと音を立てて落ちてくる水水水。
うだるような暑さの日は、まさに恵みの雨です。

自宅で飼っている猫は、片目が見えないため音を非常にこわがるのですが、しばらくすると私の横で一緒に雨を眺めています。

姿勢よく(猫なのに!)、まっすぐに窓の外を見つめています。
猫の見える世界はいつも半分。おそらく、見えている方の目も弱視なので、どんなふうに雨を感じているのか、聞いてみたいものです。

そんな風に過ごしているうちに、さっと夕立は去っていきます。
そして、また夏ははじまります。みずみずしさと、ほんの少しの涼しさを携えて。

「終わり」はいつも少しさみしいです。
しかし、また「はじまる」ことは、ときに疲労を伴いますが、やはり清々しいものです。

こんな風に、これからも大小さまざまな終わりと始まりを繰り返していくのだな、と夕立あがりの空を見て思いました。


今回も、最後まで読んでくださって、ありがとうございました。


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