おばあちゃんが亡くなりました

5月のはじめに、かわいいかわいいおばあちゃんが、天国へ旅立ちました。

おばあちゃんが私の名前を思い出せなくなったのはいつだったのか、今ではもう思い出せない。「私のことわかる?」なんて、わからなくなることがわからなかった当時の私は聞こうとも思わなかったけど、いつも「ふみえが帰ってきたよ、わかる?」と話しかけていた母が、あるとき「誰が帰ってきたか、わかる?」と聞き方を変えたのはよく覚えている。

そもそも、風邪をひいたのがきっかけだったか、その診察で病院に行くときに転んだのがきっかけだったか。寝床にいることが増え、会話がかみ合わないことが増え、家族が世話を焼き、目を離せない時間が増える。そんな、ふつうといえばごくふつうの、老いの中におばあちゃんはいた。

2月に脳梗塞で入院して、身体に負担がかかるような積極的な治療をしないことにしたと母から聞いたとき、電話を切って少し泣いたけど、夫が、死を迎える準備をさせてくれるのは、遺される人にとってはありがたいことなのかもしれない、と言ってくれて、とても救われた。

2月、3月、4月。こちらの声が少しずつ届かなくなり、握り返す手の力は少しずつ弱くなった。そして5月。ゴールデンウィークの、私がずっと楽しみにしていたふたつの予定を終えた5日の朝、おばあちゃんは逝った。

おばあちゃんは四人姉妹の末っ子で、父親と姉たちの寵愛を受けて育って、星名家に来てからもおばば(養母)にかわいがられ、始終おじいちゃんに愛され、老いては子どもと孫に世話を焼かれ、すばらしく愛され続けた人生だと思うのだけど、結局それはおばあちゃんが愛されるだけの人間性をもっていた、ということに尽きると思う。

怒った姿を思い出せないし、頑固なはずなのに人の悪口なんかも言わないし、いつもにこにこしていて、穏やかで、優しくて、楽しそうにしていて、それはそれはかわいい、かわいい人。私の名前を思い出せなくても、私のはいている靴下を見て「かわいやんだねぇ」とほめてくれたり、そっと手を握って「あんたの手は気持ちいいねぇ」となでてくれたり、そういうところは全然変わらなかった。

戒名には、圓という字(円の旧字)が使われていて、これは「角のない、まあるい、穏やかな」という意味があるそう。それはあまりにおばあちゃんにぴったりで、意味を聞いた私たちはおばあちゃんを思い浮かべてとても泣いたけど、振り返ればあれはおばあちゃんへの愛と称賛に満ちた、幸福の瞬間だったな。

ああ、おばあちゃんがいなくなって、私の孫という人生は終わりを迎えてしまった。でも、さみしいけど、天国にはおじいちゃんがいるので安心。ふたりで仲良く、こたつにあたってお茶を飲んでいるとしたら、それはもうめちゃくちゃ愛しい。

私の心の原風景のひとつは、幼い頃の茶の間の、こたつにあたりながら見える世界で、そこには必ずおじいちゃんとおばあちゃんがいるので、いつかどうにかしてそこに行きたい。

おばあちゃんの作った煮菜と、おじいちゃんの好きな豆大福を、3人で食べたい。相撲か時代劇か昭和の歌謡ショーをテレビで見て、新聞の番付に星をつけたり声をそろえて時代劇の決め台詞を言ったり藤山一郎の丘を越えてを歌ったりしたい。したいなぁ。

それぞれ、人生に生きる智恵と、生活に生きる知恵を私にくれた、おじいちゃんと、おばあちゃん。ふたりは私の中に生きている、見えなくてもそばにいると、きっとこれから幾度となく思うはず。私はずっと、いつかおばあちゃんになっても、ふたりの孫だよ。また会おうね。

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