奨学金の話

このあいだ奨学金の支払い記録の葉書が届いて、あと3年で完済とわかり、感慨深い気持ちになったので、少し書いておく。

私の奨学金は、日本学生支援機構の、貸与型第2種。つまり利子付きで返済しなくてはならない奨学金。給付型でも無利息でもないので、奨学金のレベルとしては低いというか、他に比べて審査通りやすそうなやつである。

どんな申請をしたかもはや覚えてないけど無事に審査を通り、大学4年間、月50,000円の貸与がスタートした。私はこれをそのまままるっとひとり暮らしのアパートの家賃に充てていて、親からの仕送り月50,000円とバイト代をその他の生活費・娯楽費にしていたわけだけど、これはわりとゆとりのある生活なのでは。たいしたバイトをしていなかったわりに、お金に困ることはまったくなかった。まあ、派手な遊びをしない学生だったとも言うか。

そもそもなんで奨学金をもらおうと決めたかというと、はっきりは覚えてないけどたぶん国公立に落ちたから。まあ、国公立受かるとも思えない学力でしたので、私立に行くことになりそうだなぁとは薄々思っていて、そしたらお金かかるなぁ、奨学金はほしいなぁという感じだったかな。親に言われたわけじゃないけど、家族多いし金銭的に裕福な家庭じゃないこともわかっていたし(別に貧しいとも思わなかったけど)、元々自分のことは自分でするものだと思っている節が強くて、そういう思考に至ったのだろうと今思う。
余談になるけどこの「自分のことは自分でする」ということに対して私はずっと無自覚だったんだけど、結婚式のあとに母から「自分のことはなんでも自分で決めて自分で進めてきたね」という内容の手紙をもらって、ああ、言われてみればそうかもしれないってそこでようやく気づいたんだよな。あまり親を頼る気のない子どもで、悪かったかな。

さて、そんなわけで、50,000円×48ヶ月=2,400,000円の借金を、私は社会人になると同時に背負うことになった。申請したときに返済のことを考えなかったわけじゃないけど、でもまあ月14,000円くらいなんとかなるべと楽観していたのだろうな。(ちなみに貸与中は返済のことなんてすっかり忘れてた。振り込まれたら即家賃にスライドしてたから、もらっている実感が薄かったのかもしれない。一度だけ、奨学金入っててよかった〜と思ったのは、中越地震で家がばたばたして仕送りが遅れたとき。そのときばかりはいろいろ差し迫ったので、奨学金がなければ借入とかしてたかもなと思う。)

話を戻して返済。利子は卒業した年から発生して、利率はえーと、「奨学金が振り込まれた月ごとの貸与利率を貸与額で加重平均した値が適用されます」だそうですどういう意味だろ。月額14,000円弱の返済を15年だから、利子総額7〜8万くらいかな。これは多いのか少ないのか、調べていないのでよくわからないな。

いざ返済を始めてみると、この微妙な金額設定ったらないなという感じ。都内にひとり暮らしをして、都内の小さな企業に勤めて、すごく困るということはなかった。けど、大きなお金のからむこと、つまり若者が若者的大きな決断をするときはだいたいいつでも、うっすら返済のことが頭にちらついた。思いきった小さな贅沢、たとえばいつもよりいいコスメを買うとか旅行で自分へのお土産にお金をかけるとか、自己投資と大きな声では言えないけど夢や目標の足がかりになりそうな行動、セミナーに参加してみるとか資格を受けるとか、性格にもよるかもしれないけど、そういうのになんとなくびびってしまうことが多かった。

14,000円って、今月厳しいなと思っても、慎ましい生活を意識すればカバーできる額というのが絶妙すぎる。絶妙な苦しめ方。貯金も、わたしには難しかったし、転職期間、無職になったときには当たり前だけど不安が大きくなった。

今は結婚して、与えられた住まいで暮らして、薄給だけど働いていれば生活に困ることはなくなって、出費が増えたなと思うこともあるけど返済に大きな影響はなく、淡々と返済している。30代になって、欲も落ち着いてきたっていうのもあるか。けど、私の支出、には組み込まれているし、仕事を辞めるときには返済が滞らないように気を使う。それがどういうことかというと、生活というより、思考が不自由なんだろうな。

奨学金なんて、借りなくてすむなら借りないほうがいいし、必要なら給付型をもらえるようにがんばったほうがいいと思う。

けどまあこの長期返済をなんとかコツコツ続けられたっていうのは、自信というにはおこがましいけどまじめに働いていることが肯定されたような気持ちにはなる。誰にもほめられないだろうけど、3年後、完済できたら自分にごほうびをあげたい。月の返済と同じ額の、何か形に残るものを。そして高校生だったあの頃の私に、完済したぞー!って伝えたいな。

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