見出し画像

鶏たち

ラジオ「生活は踊る」のとある相談内容を聴いてから、ずっとそのお悩みのことが心にとどまっていて、ふとしたときに浮かんでくる。

相談内容はざっくりとこんな感じ。

30歳の会社員女性。4歳上の夫と仲良く暮らしているが、子を持つことに前向きになれないのが悩み。昔からいつかは子を持たなければならないというプレッシャーを感じてきたが、今は仕事が楽しく子がほしいと思えない。夫は子がほしい意思があり、たぶん育児にも積極的。お互いの両親も都内に健在で協力的。働いている会社も産休・育休は問題なくとれる。つまり条件は揃っていて、あとは正直自分次第。しかし自分がちゃんと妊娠・出産して子を育てられるのかわからない。でも、逆に子が産めなくなってから子を授かりたいと思うかもしれない。こんな気持ちで夫と生活するのは不誠実ですか。

ふー。今こうして文章にしてみても深呼吸をしてしまう。私はどちらかと言うと「子を授かれたらいいな」と思っているので、彼女の思いすべてを共有できるわけではないけど、大きい括りでのこのテーマに私もずっと向き合ってきて、noteにも何度も気持ちを書き殴ってきたから、答えの見つからなさや不確かさ、悩みそのものの行き場のなさは少しはわかるつもりだった。だからラジオを聴いた後、前に書いた文章を読み返してみた。以下抜粋。

既婚子なし3年目。
私には「当たり前」の感覚が人より少ないのかなと、もう幾度となくやってる自問自答だけど、最近また考えてる。とくに、女性の生き方、その中でも、妊娠、出産への考え方は、人それぞれに抱えているものがあることに、みんな思ったより鈍感で、私はその鈍感さに驚いたり傷ついたり気を遣ったり悩んだりしてしまう。

まず、結婚したら子どもをもつことが当たり前、の人は、意外かもしれないけど、私の世代でも思ったより多い。結婚して、(たぶん、スムーズに妊娠して)子どもがいる女の人はとくに、そう思ってる割合が多いと思う。
(中略)
誰もが子どもをほしいわけじゃないし。誰もが子どもを授かれるわけじゃないし。
ってこれこそ「当たり前」だと思うんだけど。そして、妊娠することも、妊娠して無事出産することも当たり前じゃないと思っているんだけど、これまた伝わらない。その当たり前じゃなさ、私は身をもって言えるし、周りを見ていても感じる。

私たち夫婦は、子どもを授かれたらなと思っているけどなかなかうまくいかない。地元の親しい友達は何年も不妊治療をしていたし、一方で「子どもは作らない」と早々に決めた友達もいる。もしかして妊娠したかも?と教えてくれたけど、少し経って「お空に帰ったよー」と報告をくれた友達もいる。そして私の母親も、私を産む前に流産を経験している。って、そんな事例、探さなくても言わなくても、いくつも目に留まるよね。

そういう繊細な話題で、あなたの当たり前を振りかざさないで、と、私はいつも思ってしまう。

たぶん相談者の女性も、周りの「当たり前」に囲まれているんだろうなあ、と思った。しかも、これはスーさんも言っていたけど、子を授かりたいのに授かれない人がクローズアップされがちな中、子をほしくない人は、余計に肩身が狭い思いをするだろうなあ、と。

私がこういうことを書いたnoteはほかにもいくつかある。あるけど、ちょっとつらくなるので、あとはここには書かない。ただ、過去を振り返って今思うのは、これもまたラジオでも話されていたことだけど、人は変わる、ということで。子はどっちでもいいやと思っていた私は、周りに影響を受けて子を授かりたいと思うようになった。それはつまり、子を授からない中で、パートナーとふたりって最高!と思う可能性もあった、ということだ。

とにかく、こんなふうにこのテーマは、複雑な気持ちをことあるごとに浮かばせ揺らせ、心の端を綿々と波打たせてきた。で、ファイナルアンサー的なものがまじでない。

ただ、時の流れに身を委ねていると、少しずつ折り合いがついていったり、いかないなりに距離をとれるようになったりする。だから、そのときどき、赦せることと赦せないことに気づくだけでもいいのかもしれない。たぶん、答えが見つかったと思ってもまた、私たちは揺れるし。ちなみに子を授かっている今、この今ですら、私の心は波打っている。まじかよ。

ぶじ産めるのか、まともに育てられるのか、私のこれからは?、夫との関係は?、選択しなかったほうの人生って?????

どの揺らぎも、答えはほぼないに等しくて。それでも、変わらない部分と変わる部分があるだろうことが、時が流れるのと同じくらいに救いだと思う。相談者さんも、そういう自分を受け入れて、執着しないで付き合っていけるといいな。そして、心晴れ渡るときが、少しでも多いといいね。あなたも私も。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?