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旧山手通り 代官山から渋谷(神泉)

旧山手通りは、ざっくり言うと東横線代官山駅(あたり)から井の頭線神泉駅(あたり)まで通る道だ。

小学生の頃、旧山手通りの先生の家に毎週稽古事に通っていた。

先生のお宅は鉢山町にあった。
旧山手通りから見て、東はポール・ボーキューズのフレンチ・レストラン、西はマレーシア大使館。その二つにはさまれた、通りの北側が鉢山町だ。
旧山手通りのちょうど真ん中くらいのところに先生のお宅はあった。

小学生の私は、最初は代官山の家から、のちに永福町に越した後は京王井の頭線の神泉駅から、旧山手通りをテクテク歩いて先生のもとに通った。

代官山からも神泉駅からも先生のお宅までは1kmもない。
それが子供の私にはひどく長く感じられた。

当時は、今のように洒落た店やレストランが並ぶわけでもなく、いくつかの大使館や教会が目立つ、静かな大通り、という感があった。

神泉駅からは、玉川通りをくぐる地下道を通って旧山手通りに出た。
その地下道で、金髪の外人に後ろからお下げを引っ張られたことがある。
音符の書かれた横長のリュックを背負って楽器を下げて一人で歩く小さな女の子をからかう体だったと思うが、今だったら母親が「地下道で!外人に!ちょっかい出された!」とヒステリーを起こす出来事だったかも。
呑気な時代だった。

先生のお宅の隣のビルにはギャラリーが入っていた。
早く着いてしまったら、そこで絵を見て時間を潰すことがままあった。
小学生が、一人でギャラリーで絵を見て回るのを、ギャラリーの人はどう思っていただろう?

旧山手通りを渋谷方面に歩くと、小さな外人御用達(的)スーパーがあった。
そこの冷凍ピザが、私の人生初!のピザだったと思う。

通りに植えられた街路樹から落ちた葉っぱ。
ほぼ葉脈だけになった網あみの葉っぱに丸い皺々の実がいくつもついている。(上写真)
精巧なアクセサリーのように見えた葉っぱをよく家に持ち帰った。
よく考えたら、なぜ葉に実がつく?
あれは花弁と種だったのだ、とずいぶん後に思い当たった。

その木の名前を知ったのは、本当に最近のこと。
アオギリの木だった。

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