そうだ、ご飯炊こう

 と思ったのは、去年の1月のある日。今日はお米が食べたい!と急に思い立って、スーパーで2kgのお米を買う。

 さあて、と開けた炊飯器。おや?と目に飛び込んだカラフルなもの。一瞬目を疑ったが、そう。ルンルンが。カビルンルンが。。息を止めてすぐに蓋を閉め、そのまま、私の一人暮らしの約10年を見守ってくれてきた、(いや、ほぼ放置、そして、きっと洗い残しがあったのだよね、ごめんよ。。)その炊飯器には、永遠の別れを告げたのでした。

 と、とっても自分の雑さが際立つエピソードを堂々と冒頭に持ってきてしまいましたが、、それでもその日は今日はお米!と決め込んでいたので、うーんと3秒ほど唸って、そうだ、鍋で炊けばいいじゃない!とYahoo先生にお鍋での炊き方を探していただく。と同時に、いつぞや引越していった友達が譲ってくれた土鍋があった。決して欲しいと思ったわけでなく、もらえるならばもらっておこう、どんなものでも、の精神で頂いたものだったが。ひょんなことから、その子の出番が来たのだ。

 どれどれ。まずはお米を研ぐ、、のはスキップ。ザ・ずぼら組代表な私はもちろん無洗米を買ってきたので、そのまま浸水させること約30分。そして、いよいよ火にかける。ふつふつと聞こえてきたらそこから15分。火を止めて、布巾をかぶせて蒸らしにまた15分。そして、おそるおそる蓋を開けたときのあの感動は、忘れられません。お米がつやつやしてる~ご飯の甘くてやさしい匂いがする~。涙が出そうでした。

 やれやれなんだか大げさだなあと書いて自分でも思ってしまいましたが、それ以前の自分は、それはそれは残念な食生活を送ってきたのです。だから、はじめて土鍋でご飯が炊けて、たいそう喜んでしまったのです。

 その日から、私の土鍋炊飯の日々ははじまりました。1週間に2~3回、3号ずつ炊く生活が、もう1年半近く続きますが、毎回蓋を開けるときの緊張と、つやつやのお米がみっしり炊けているのを見るのは、今でも至福の時間です。そして、とにかく雑でずぼらで適当な自分が、一度も「やっぱり炊飯器買おうかな」と思わない。不思議です。

 よく考えたら、一番食べ盛りで元気だった高校時代にその原点があるのかもしれません。運動部よりも忙しい文化部で、朝練のために家ではほとんど朝ごはんを食べず、代わりに母は毎日何個もおにぎりを持たせてくれました。「今日も3つでいい?」が毎朝の最初の会話。朝練の前にひとつ、朝練の後にひとつ。一限目が終わると、おにぎりの他に作ってもらったぎっしりご飯のお昼のお弁当をさっそく食べ始め、昼休みの練習が終わり、午後の授業の合間、夕方の練習までに最後のおにぎりを食べる。高校3年間で母は私に一体いくつのおにぎりを握ってくれたことでしょう。きっと、母と母のおにぎりのおかげで、私は風邪のひとつもひかずに高校三年間を皆勤賞で部活に(勉強じゃあないのね。。)勤しむことができたのだと思います。

 ずっとお米が大好きだし、おにぎりが大好きでした。よく考えたら、小さいころ、アンパンマンで好きなキャラクターは「釜飯マン」でした。なんでってだって、いつでも頭の上にずっしりご飯を携えてるなんて、ものすごく強い。って思ってました。笑

 そんなことを思い出しながら、三十路も半ばに入ったころに、やっと、私のお米生活は再開したのでした。

 決してお料理上手ではないし、炊飯も実は得意ではありません。その日の水加減や火加減で炊きあがりも味も変わるし。あまり学習しない性格なので、炊き方が上達してるなとは到底思えません。苦笑 それでも、おいしいご飯が幸せな気持ちを運んでくれるし、健やかな身体をつくってくれる。そして、土鍋は使い終わったらまるっときれいに洗ってしまうことができるのも、とても気持ちが良いので、続けられているのだと思います。

 そうしてはじまったお米生活で、その後、いろいろなことが少しずつ変わっていきました、とさ。今日はここで、おしまいです。



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