日常

いつもと変わらない毎日 いつもと変わらない日常大抵の人間は学校や職場に行って何気なく一日をやり過ごしているように見える。実際はそれぞれの苦しみや葛藤があり何とか仮面を被りなんとか苦しさを耐え凌いで毎日を生きているのかもしれない。最近ではSNS特にインスタグラムでのキラキラした人を見る人を多くなりそう言う人を見る度にキラキラしていない自分と比較して辛くなる事は多々ある。実際は自分だけではなく多くの人間がキラキラした人や優れた人と比べて自己嫌悪に陥ったりした事のある人が大半だろう。最近ではSNS疲れと言う言葉を聞くぐらい人間と言う生き物は他者と比較して優越感を感じたいと言う感情が本能なのであろう。実際男と言う生き物はプライドの高い生き物でありどんな奴にでも何かで一番になりたいと言う欲望はあるだろう。実際学歴や地位 腕っぷしの強さなどあらゆる分野で負けたくないし負けを認めたくない。自分もそう言う人間だ。実際学力も運動も腕っぷしも恵まれてるわけではない。学力は小学生の頃は大して出来ないとは思った事はないが、中学生に入ってから途端に勉強についていけなくなった。運動能力だが元々生まれたときから身体が細くその上走るのも遅い。腕っぷしも勿論のこと身体小さいのでほぼ学校とかで喧嘩はしたことが無い。勿論兄弟喧嘩は沢山あるが学校の同級生とかと本気で殴り合いをしたとか過去を振り帰っても記憶が無い。小さい時からビビり屋で感受性が強い性格なのでそもそも危ない人には近づかない。そして絡まれてたり嫌やことをされても本気でキレる事は滅多に無い。殴る勇気がないからだ。もしも殴ると逆上されるのではないかと言う恐怖は多少あるがそれよりも元々人の痛みを感じ易い性格なので人を本気で殴ったり怒ったりする事がどうしても出来ない。実際に兄弟以外で本気でブチ切れて殴った記憶は一回か二回しか記憶がない。話を戻すが男と言う生き物はプライドが高い生き物だが、女性と言う生き物について僕は一切分からない。だから個人の推測で話すがおそらく女性と言う生き物は他者よりも可愛いと見られたいと思う感情が強く常に自分が一番可愛い又は美しいと見られたい生き物なのかもしれない。だからこそSNSで自分を可愛く魅せようとして友達と撮った写真でわざと友達がミスった顔を使用したり自分の顔を加工した写真を載せるのかもしれない。多分古代から強い遺伝子を惹きつけようとするために必死で美意識を磨くのかもしれない。だからこそ女性と言う生き物は激しくマウンティングをしたりするのかもしれない。実際女の友情は生ハムよりも薄いと言う言葉を聞いたこともあるが深く頷ける。
しかし比較して自分を卑下しても意味がない。しかし現状に不満が溜まっていたり上手くいってないときほど他者と比較して落ち込んでしまう。それを現在の自分は深く認識する。今の自分は20歳だが大学を目指している。世間的に見れば二浪だ。だが僕は純粋な二浪とは少し違う。高校卒業後社会人になっだが会社を四ヶ月で辞めてその後半年経った後に大学受験を決意して親を説得して塾に通う事になる。何故高校卒業後社会人になったかと言われると実際は楽な方に逃げたと言った方が正解かもしれない。そもそも昔から大学進学にそこまで乗り気ではなかった。今大学を目指してる自分を過去の自分が見れば危機感を感じて勉強に励んでいたかもしれない。そもそも中学二年生の時期まで本格的な将来の夢があった。小学二年生の頃に父親から教わった将棋だ。学校のクラスメイトには言ったことが無いので知らない人が多いが僕は将棋が好きで将棋のプロになる事を夢見ていた。最初教わったときは全く興味がなかった。寧ろ兄二人の方が食いつきが良かった。父親も一番上の兄に将棋をしてほしかったらしい。しかし一番上の兄はすぐに飽きて興味を失ってしまう。その時期に二番目の兄と僕はルールをうろ覚えながら少し指していた。その夜帰ってきた父親がこの光景を見て僕に将棋教室に行かないかと誘う。勿論自分は余り興味がないが行くと言っ

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