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山本文緒『無人島のふたり』を読んで息子の恩師を偲ぶ〜藤井風『帰ろう』を聴きながら〜

 山本文緒さんが2年前、膵臓がんで亡くなった。がんが発覚してから亡くなる直前までの約半年間にあったこと、思ったことを書き遺してある『無人島のふたり』。この本を読んで、長男が通園施設(就学前の障害児が通う療育施設)でお世話になった先生を思い出した。

 長男が小学生になった年、先生が病気療養中らしいと聞き、それから1年も経たないうちに亡くなったという知らせが届いた。膵臓がんだった。文緒さんと同じだ。でも、先生はまだ40代半ばで、中学生と小学生の娘さんがいた。葬儀には私一人で行こうかと思ったが、あれだけお世話になった長男を連れて行かないわけにはいかない。多動の長男がどんなことになるか、心配はあったが連れて行くことにした。式場の御配慮もあり、無事最後のお別れをすることができた。

 最近、その長男が通園施設で行われた卒園前の発表会のビデオを繰り返し繰り返し見ている。「北風と太陽」の劇で、長男は三人いる北風役の一人。実は、前日のリハーサルを見学させてもらったのだが、長男は妙にハイテンションで舞台から飛び出して走り回り、劇に参加しているとはとてもいえない状態だった。ところが、本番は他の北風さんたちと一緒に「北風小僧の寒太郎」に合わせて舞台を行き来し「かんたろー」のところでは顔に両手を当てて大声を出す仕草もしていた。コートを脱がそうと旅人役の子の周りをくるくる回って先生のところに戻り、太陽さんに負けちゃったけど仲直りして、最後は「手のひらを太陽に」をみんなで歌い踊った(長男は踊るだけ)。台詞はお話ができる子たちが言ってくれていたが、自分が今どこで何をしたらいいかが分かって動いているようだった。舞台袖ではその先生が長男にそっとついていて、ちょっとはしゃぎすぎそうになったら優しく腕を触るなど、必要最小限の補助をしてくれていた。先生は時折、画面の外を見てうなずきながら笑っている。他の先生から「(今日は長男の調子が)いいね」と言われ「でしょ」と言いたそうな表情だ。それを観ている18歳の長男も一緒に身振り手振りで再現しながら楽しんでいる。本当に上手やったね〜と言いながら私も何度も観る。本番当日は、テンションが上がりすぎないよう出番の少し前には別室で落ち着く時間を取ってくれるなど、細やかな配慮のお陰もあり、信じられないほどのパフォーマンスだった。出番が終わるとさっと自分の席に戻り、持っていた小道具を椅子の後ろに片付けていた。直後に先生が長男の頭を「よく頑張ったね」という感じでなでてくれた。長男にとってもこれは貴重な成功体験なのだろう。とても満足そうな顔で観ている。


 卒園から12年。今年、長男は特別支援学校の高等部を卒業した。先生の娘さんたちも20代になっただろう。もう社会人になっているだろうか。ふと、この嬉しそうなお母さんの顔を見てもらいたいと思った。長男にとってこの発表会が楽しい思い出として心に残り、12年経った今も嬉しそうにビデオを観ていられるのは先生のお陰だ。

 『無人島のふたり』を読むと、山本文緒さんも藤井風さんのファンだったことが分かる。藤井風さんの『帰ろう』には、「わたしのいない世界を上から眺めていても 何一つ変わらず回るから少し背中が軽くなった」という歌詞がある。先生は心残りだっただろうし、ご家族も大変だっただろうけれど、遺された側の立場で考えると、悲しんでばかりでは天国にいる側も困るだろうと思い奮起する時が来るのではないか。「変わらず回る」よう努めることが先に帰った人の「背中を軽く」し、お互いの幸せにつながる。近しい人や自分自身が亡くなったときにはなかなか難しいと思うけれど、そう思えるように今を生きていこうねというメッセージだと思う。

 文緒さんの小説も、多くの人の支えになっているし、これからもなるだろう。先生のお陰で長男が今でも幸せを感じられるように。私もそんな風に、誰かのちょっとした幸せに関わることができる生き方をしたいと思う。

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