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藤井風”Feelin' Go(o)d”と『夢十夜』〜Fujii Kaze Stadium Live”Feelin' Good”の無事を祈って〜

 夏目漱石『夢十夜』第一夜。腕組みをして座っている自分の前にあお向きに寝ている女が、静かな声でもう死にますと言う。真っ白な頬、赤い唇、色沢(つや)のある黒い瞳…とうてい死にそうに見えないが、女の言葉を受け入れる自分。


 死んだら大きな真珠貝で穴を掘って、天から落ちてくる星の破片(かけ)を墓標に置いて、百年待ってください。きっと会いに来ますからと言い遺し、本当に死んでしまう。

 
 ここでいう「百年」というのは人間にとっての永遠ということ。自分は女の遺言に従い、途方もなく長い間待ち続け、ついに目の前に現れた百合に接吻したところ、遠い空に暁の星が瞬くのを見る。そこで百年の時が経ち、女が約束を果たしてくれたことを悟る。


 夜空の星を見上げて、この光は何万年前の光なのかななどと考えると、時空がバグるような不思議な気持ちになる。光っている星はもうそこにはないかもしれないし、その星が今放った光が地球に届くころには間違いなく自分はいない。自分の小ささを感じるとともに、悩みとかどうでもよくなるみたいな、ネガティブなのかポジティブなのか分からなくなる不思議な感覚。


 第一夜の「自分」は女が死んでからひたすら待つだけの一生を送る。百年待って目の前に現れたのが百合の花なんて、考えようによっては不満爆発、騙されたと憤慨するところかもしれないが、なんともいえない多幸感に包まれる。そもそもこれは夢。


 藤井風さんの ”Feelin' Go(o)d” のMVを観ていると、実は夢だったとしても心に多幸感が残る。まさに夢のようなひとときが味わえる。夢から覚めて現実に戻った時、それを楽しめるかどうかは自分の心次第だと思える。


 6日後の今ごろは地球上のあちこちで Fujii Kaze Stadium Live ”Feelin' Good” をみんなで楽しんでいるのも不思議。


 
 藤井風さん、スタッフさん、暑い中準備ありがとうございます。楽しい夢のような2日間が無事終わりますよう心からお祈りいたします。

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