パイオニアとしての新たな軌跡。松井大輔新天地へ

横浜FC、松井大輔のベトナム1部リーグ移籍が発表された。多くのサッカーファンは、若くして日本を飛び出し、海外を主戦場にしてきた松井らしい選択とも捉えられるのではないだろうか。

2004年、京都サンガからフランス2部のルマンへ移ったのが初の移籍だった。日本人選手の欧州移籍が増えていった当時、海外クラブの2部からキャリアを積み上げるというのは稀なパターンだったように記憶している。若手でありながら、それでもすでに「ファンタジスタ」というニックネーム通りの素質を発揮していただけに、そのニュースだけでも期待で心が躍った。

映像などでプレーを観たことはなかったものの、数年に渡りフランスリーグに所属していたことも含め、現在でもJリーグでのプレーがどこか似合わないように思えていた。サイト等で経歴を振り返ってみても、かつての在籍クラブ名はその殆どが外国旗とともに表記されている。リーグアン以降も、欧州主要国ではなくブルガリアやポーランドなど、今でも日本人にとって未知とも言える国でのプレーも経験している。今回のベトナムリーグ移籍という決断もどこか、納得できるのは自分だけではないはずだ。

今季はJ1リーグで公式戦3試合に出場し、9月23日の対川崎フロンターレ戦ではカズ、中村俊輔とともにスタメンに名を連ねている。若手の台頭により、ピッチに立つ機会が減ってはいるものの、やはりそのプレーは観ている人々を惹きつける。ワクワクする動きと共に、敵となると本当に嫌な存在でもある。磐田所属時代には、デンカビッグスワンスタジアムのSスタンドから悲鳴を上げさせられたこともあった。横浜FCでは「レジェンド」としての匂いも感じられたが、39歳という年齢、そしてこれまで蓄積されたさまざまな経験を考えると、伝説に名を刻むのはまだまだ先であることは間違いない。

移籍先であるベトナムリーグは数年前まで「日本人不毛の地」とも呼ばれていた(らしい)。現在でも、同じ東南アジアであり多くの日本人プレーヤーが在籍しているタイやインドといった国のプロリーグに比べると極めて情報が少ない。だが近年、代表チームは近隣国とのカップ戦や世代別での実績を残していて、アジア内でもその存在感は急速に増してきている。

今回の松井の移籍により、自身のプレーは当然のことながらベトナムリーグの内容やクラブ・プレーヤーの他、ベトナムという国の魅力が伝えられることも大いに期待している。プロキャリア20年、今でも松井大輔には「先駆者」という言葉がよく似合う。(佐藤文孝)

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