SC相模原、J2昇格 10年前の美しい空の記憶

サッカーJ3、SC相模原が来季からのJ2昇格を決めた。AC長野パルセイロ、FC岐阜とともに、最終節まで2位の座を激しく争った上で、念願の昇格を果たした。鮮やかな緑のユニフォームは、来季J2の舞台で躍動する。

指揮官の三浦文丈、富澤清太郎も所属、昨年現役を引退した成岡翔も在籍していたこともあり「元・アルビ」としての縁が何かと深い。特に三浦、富澤の「2017年組」により、悲願を達成したとあって新潟サポーターは感慨深く、来季は直接の敵になることにも脅威を抱いてしまう。

その存在を知ったのは10年前のシーズン開幕前。2010年、まさに「元・アルビ」船越優蔵の所属が、当時、神奈川県リーグ在籍のSC相模原に決まる。前年まで東京ヴェルディのユニフォームを着ていた船越が、カテゴリーでは数段下の設立から間もない新興チームに移籍したことで、強烈に名前を覚えることに。

その後、船越優蔵と相模原の応援のため、神奈川県に頻繁に足を運んだ。初めて観た試合は3月、確か公式戦だったはずだが、大きな川沿いのグラウンド。タッチの外に出たボールは選手自身が拾いに行っていた。船越優蔵以外にも、秋葉忠弘も相模原の一員だったことを、この時、知る(試合中、ピッチサイドで秋葉選手とすれ違いざまに、「秋葉さんおつかれっ」と、声をかけると「ウっす」という返事を頂いた)。また、ある試合後には、秋葉、船越両選手と直接会話する機会も得られた。

県リーグ公式戦や天皇杯予選など、春先から夏にかけ、頻繁に相模原のゲームを観戦に行った中で、相模原麻溝公園競技場(現・ギオンスタジアム)でのこの年、初のホームゲームでは運営スタッフボランティアとしても参加することになり、ゴール運びやグラウンド整備などを手伝わせてもらったことも素晴らしい経験だった。

当時はクラブ、選手、サポーターの「相模原ファミリー」がJリーグ入りという大きな未来へ向かい、力強く歩み始めた時期という印象が強く残っている。何度も訪れたスタジアムの上に広がる、青く大きな空の美しさと共に。

あの頃より、ピッチ上の顔触れが変わっていることはもちろん、様々な困難や試練も乗り超えて、成長を続けてきたSC相模原。来季、初のJ2での戦いは決して簡単にいかないことが多いだろうが、今もなおクラブ全体から発せられる、エネルギーは絶大だ。また、J3を長年に渡り戦い抜いたことで得られる地力も大きな武器、そして支えになるだろう。敵としては非常にしぶとく、厄介なクラブがまた一つ、増えたことになる。個人的には新潟との対戦の他、秋葉監督率いる水戸ホーリーホックとのゲームも今から楽しみでしょうがない。(佐藤文孝)

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