自分の加害者性について考える

これまで、自身が日本社会におけるマイノリティのひとりとして、自分の属性から生じる被害者的側面を多く語ってきた。しかし、性のあり方以外の様々な課題に向き合う中で、自分の加害者としての側面を語らないのはフェアではないと思い直し、今回は改めて自分の加害者性について向き合うことにした。
 
 
「実は私も在日なんだよね」
大学生の時、バイト仲間にそう言われたことがある。僕が先にトランスジェンダーであることをカミングアウトしたからだろう。他のバイト仲間がいないタイミングを見計らって僕に話してくれたのだ。しかし、当時あまりにも無知だった僕は「そうなんだね!ってことはチョン校?」と、「チョン」という言葉が差別用語であることを知らないまま返してしまった。以前に誰かが「チョン校」と言っていたのを思い出し、なんの気なしに使ってしまったのだ。その瞬間、彼女が一瞬固まったような気がしたが、笑うことも怒ることもなく会話をそらすようにその場は終わった。その後、彼女とゆっくり話す機会もないまま、気づいた時には彼女はバイトを辞めていた。
 
 
フェンシングを始めたのは10歳のとき、僕は全国でもトップクラスに強いクラブチームに入門した。「俺がカラスが白だと言ったら白なんだ!わかったか!?」という強烈な師匠。僕には「はい」か「Yes」以外の選択肢はなく、この感覚は今でも体に染み付いている。「痛くても走れば治る!」「喉が乾くなんて根性が足りない!」心身ともに辛かったが、そんな中でも結果的に試合で勝ってしまうと、「あの苦しみを乗り越えられたから勝利することができた!」と、自分の中では一種の成功体験に置き換わっていた。その後、僕は何の疑いもなく後輩たちに「痛くても走れば治る!」「気合が足りない!」と指導にあたった。
 
 
職場でも同じく。「仕事が終わらないのはお前の要領が悪いからだ。寝ないで働け」と言われ、僕は文字通り寝ないで働いた。その後、独立して出店した店舗の経営が軌道にのると、寝ないで働いた当時の辛い経験がまた自分の中では成功体験にすり替わり、気づけば社員やスタッフに「寝ないで働け」と言うようになっていた。
 
 
「フミノにレイプされそうになった」
と言われたこともある。友人の紹介で出会った後お互いいい感じになり、一晩を共に過ごした女性がいた。僕はその次に会ったときも当然のように彼女にせまったが、その時は彼女に拒まれた。当時の僕には前回がよくて今回がダメな理由が理解できず、少し強引に彼女にせまったところ、おもいっきりぶん殴られハッとした。性別移行した僕には「男だったら多少強引に迫るくらいが必要なんだ」と、まるで先輩からのアドバイスのように言う男友達もおり、「嫌よいやよも好きのうち」そんな刷り込みもあったのだろう。また、頭のどこかではペニスのない自分が相手の女性に恐怖を与えるわけがない、そんなふうに勘違いしていたのかもしれない。しかし、性暴力は異性か同性かは関係ないし、ペニスの有無も関係ない。「嫌よいやよ」は本当に嫌なのだ。今となってはあの時ぶん殴られて本当によかったと思っている。そうでもしてもらわなければ、気づかないままそれ以上強引にせまっていたかもしれない。
 
 
「あの子レズらしいよ」
と本人のいないところで、他の友達に言ったこともある。学生時代、自分のセクシュアリティがバレないように必死だった僕は、そう言うことで自分を装った。しばらくその噂は流れ、気づけばまた違う噂話でかき消されていたが、ことあるごとに「オカマなんて気持ち悪い!」と、他の友人と一緒に笑い飛ばすことで、なんとか自分が当事者だとバレないようにと振る舞い続けていた。
 
 
トランスジェンダー同士で集まると「どこの病院で手術したの?」なんて会話になることも多い。トランスジェンダーに関する情報がまだまだ限られている中では貴重な意見交換の場でもあるが、その延長で初めて会ったトランス女性にも平気で「おっぱいは何CC入れたの?」なんて聞いていたこともあった。これは初めてお会いした女性に「何カップ?」と聞くようなものでセクハラ以外の何物でもないのに。「同じトランスジェンダーだからOK」というあまりにも浅はかすぎる考えだった。
他にも、当事者同士なんだから、という理由でわざとデッドネーム(トランスジェンダーやノンバイナリーの変更前の出生時の名前や公的機関に登録してある名前)で呼んで笑い合うなどということもあった。
 
 
数あるセクハラ、パワハラの中で最も僕が犯した罪は「酒ハラ」と言われるアルコールハラスメントだろう。学校の友達、部活の先輩後輩、職場の仲間たち。一気飲みの強要をされたこともしたことも数えきれない。幸か不幸か、僕はお酒が弱くなかったこともあり、とにかく飲んで飲ませた。単純に酒が好き、という以上に意地になって飲んでいた。何故なら酒だと勝てるから、特に男性に対しては「お前より強いんだぞ」とマウントが取れるからだった。自分がトランスジェンダーだということで、いつも自分に自信が持てず、どこか見下されているのではないかという不安……そんな後ろめたさを打ち消し、小さな自尊心を保つために。「もう勘弁してよ。フミノにはかなわないよ」そんな言葉に優越感を見出している自分がいた。
 
 
ハラスメントのように直接的なものでないこともたくさんある。
例えば食品でも衣類でも、安くていいもの(と思われるもの)がたくさん手に入る時代。子どもも二人生まれ、今後のことも考えれば贅沢などしていられない。できるだけ安いものを、と手に取る瞬間、「これだけ安いということは、それだけ安い賃金で労働させられ、搾取されている人がいるのかもしれない……」そう頭をよぎるのに、ちゃんと調べもせず、安さに負けてそのままレジに向かう自分がいる。
 
 
数え上げればきりがない。思いあたるだけでもこんなにあるのだから、思いつかないところも含めればどれだけ多くの人を傷つけてきたのだろうか。それに気づくたびに自分では改善してきたつもりではあるが、一度刷り込まれたバイアスを自分で改善するのは難しくもあり、改善しきれていないところのほうが多いのではないか。

人は(少なくとも僕は)自分の被害者的側面には敏感だが、自分の加害者的側面には驚くほど鈍感だ。マイノリティとマジョリティ、当事者と非当事者、被害者と加害者などは常に表裏一体であり、どちらかだけしか経験していないという人はいない。僕も性のあり方と言う側面で切り取れば少数派であり、たくさん傷ついてきたのは事実であるが、このように僕自身も誰かを傷つけてきたこともまた紛れもない事実なのだ。
 
時には無知なために、時にはその場に流されて、時には自分の身を守るために、誰かを傷つける。そしてそれは今現在も進行形なのかもしれない。
 
 
今回は何かがバレる前に先に言っておこうとか、ここで懺悔してスッキリしようなどと言う話ではない。
 
どの話だって1ミリの悪気もなかったんだから許しておくれよ、と思うズルい自分もゼロではないが、悪気のない言葉でたくさん傷ついてきた自分が何より、自分自身を許せないのだ。特にこれだけ情報が溢れる今、知らなかったは言い訳にならなず、申し訳ない気持ちで溢れている。

どちらの傷が大きくて、どちらが小さいということを言いたいのではなく、みんなが傷ついている現状で何ができるのかを考えたい。
被害者を生み出さないためには加害者を生み出さないための意識の改善やルール作りが必要だろう。
自分も社会も過ちを繰り返さない社会の実現につとめることが唯一、これまで僕が傷つけてしまった数えきれない方々への償いになるのではないか。
間違いや過ちを改善するためには、その過ちを認めるところからしか始められない。
 
僕は自分が犯してきた(また現在も犯しているかもしれない)過ちに目を背けず、これからも自分の加害者性に真摯に向き合って改善していきたい。
 
 


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