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「数学教師が夢だった」  鈴木健が鈴木健.txtへ

※これはライティングスクールの「インタビュー実習」という課題で書いた文章です。

 彼を知る上でのとっかかりとなるのは「鈴木健.txt」という、一風変わった名前の表記だろう。週刊プロレス編集部時代に担当したコラム『週プロ野郎』。そこへ入れる自身の名前に何かしらのインパクトを持たせるため“.txt”をつけたという。
「文章を書くのは、テキストだからって、ほんとにシャレでつけたようなもので」と軽くいうが、今ではしっかりと定着している。
 鈴木氏に対する第一印象は、大きな体とその醸し出す雰囲気はどう見てもプロレスラー。趣味から転じて、読者であった週刊プロレスに携わりたかったのだろうかと考えてしまうが、それは誰もが予想しないようなきっかけだった。
 高校時代の鈴木氏は数学が得意で、将来は教師を目指すべく理数系を選択。ところが2度の大学受験に挑戦するも受かることはなく、その道は閉ざされてしまった。
 そんなとき、たまたまいた御茶ノ水駅で「日本ジャーナリスト専門学校」(2010年3月閉校)の看板を目にする。「理数系やってたけど、受かんなかったってことは、たぶん向いてないんだろう。これは全く逆のことをやった方がいいよな」と、すんなり文系への方向転換。失意のどん底かと思いきや、かなりの吹っ切り方である。
 3年間かけて文章と写真の撮り方や編集、そしてレイアウトなどを学んだ。バランスの良さは、それら多角的な教育を受けたことにあるのではないだろうか。
 3年生の9月、その時はやってきた。好きで通っていたプロレスの試合会場で、当時の週刊プロレス編集長に「うちでアルバイトやらないか」と運よく声をかけられたのだ。
 そうして88年の9月から始まったアルバイト生活。その後社員となり2009年9月までの21年間、週刊プロレス一筋。直感を信じることや潔い発想の転換も、時には必要なのだという良い例である。
 退職後はフリーに転身した鈴木氏。誰に縛られることもない大海原に飛び出し、週刊プロレス記者という立場ではできなかったことを始めていく。例えば「鈴木健.txtの体感文法講座」。これまでの経験の中で得たものをエッセンスとして教えてもらえる貴重な機会は、私のような生徒にとってはとてもありがたいものだ。
 現在は他に、プロレス団体から依頼されるパンフレットの執筆と編集。また、雑誌のプロレスコーナー連載を2本など、これまでのライター経験を存分に発揮しての活躍だ。
 さらにはプロレスの枠を超え、ムード歌謡コーラスグループ「純烈」に関するノンフィクション連載を、WEBの日刊SPA!にて2年3カ月にわたり続けていた。それが書籍という形でも世に出ている。「え、意外…音楽までも!?」とどうしても思ってしまう。
 確かに、リーダーの酒井一圭がDDTプロレスリング内の別ブランド「マッスル」に参戦していた経緯もあり、その縁もあったようだが、実は音楽や演劇などにも幅広く造詣がある。プライベートでも小劇場のような、メジャーではない場所へ出かけることがあるという。
「それが半分で…」と鈴木氏。あとの半分とは?と、ついつい前のめりになってしまう。ネット番組のMCや、プロレスラーが出るトークイベントの司会、他にはプロレスの実況と解説の両方、そういったおしゃべりの分野だそうだ。二刀流と表現したくなる活躍ぶりだ。
「見ている人、聴いている人を意識した上でトークができるようになって。解説や実況、イベントの司会…とにかく場数を踏むうち、その習慣が身についたんです。しゃべりも文章も、受け手がいるっていうのは同じことですから。音声として発するか、文字で書き出すかの違いだけで、結局二つとも同じなんです。だからできているんだと思います」
 このように自身を謙虚に表現するが、それだけには収まらない。主催のトークイベントでは、前座として音楽演奏もやってのける。大きな体で小さな卓上電子ピアノを操る姿は、ギャップという言葉がぴったりだ。いったいどこに練習する時間があるのか、裏の努力を全く感じさせない。そこがまた新たに知る一面だ。
 しかし人間、ミステリアスな方が面白い。文章やトークに現れる多彩な表現は、こうやって普段いろいろな方面に向けているアンテナで拾ってきているのだろう。
 鈴木氏のこれまでの人生は、類まれなる働きをする直感力と、本能のままに向かう興味、そして行動力で造られたといっても過言ではない。愛するプロレス界や、それとはまた違った音楽や演劇などの幅広い世界とともに、これから先どのように活躍の場を変えていくのか。変幻自在な氏の活躍ぶりを今後も追いかけていきたい。

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