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死が常にそこにいる

年末にとあるお寺の和尚さんと雑談した
死ぬことについて
私は 元気でいて急にコロッと死にたいです
と言った
和尚さんは でも死ぬ時期とか考えない?
と言った
もう一人いっしょに話してた同僚は
せめて子供が成人するまでは死にたくない
と言った
見たいから 成長を
見たいと思わない?

それ言ったらさ
私は思うの
それ言ったらさ ずっと見たいよ
一瞬も逃さずずっと見たい
どんな仕事して誰と結婚するの?
しなくてもいいけどさ
何にもしなくてもいいけどさ
どんな人生歩んで何に笑って何に泣くの? 

えー冷たい〜 父親と母親の違いかなあ?
いつ死んでもいいの〜???
と和尚さまは不思議そう


私の一番大事なものは子供です
情が希薄だと思ってた自分が
こんなに何も見返りなしで守りたいものに
出会えると思ってなかった
産んだ時びっくりした
大事過ぎてびっくりした

それまで私は 自分が死ぬことばかり考えていた
いわゆる希死念慮というやつ
自分の命は枯葉より軽くて踏むとシャクッと良い音がしてなくなるといいなと思っていた
無かったことにしたい
私は存在しないことにしたい

でも子供が登場した瞬間
私自身の命の価値は爆上がりした
この子を守るために私は元気でいたいと思った
そしてこの子がもし命の危険に晒されたときに
引き換えにできるくらい価値のある命であろうと思った

それは究極の生きる希望だった

だから私は 自分を満たすことに専念できる
私の子育ては この世は楽しいところだよと見せること
この子が一人で自分を楽しませることができるスキルを得ることができたら
私の子育ては成功した ということになる

そう思って生きてる
そう思っていつ死んでもいいように
全力で楽しむ姿を見せているつもりだ

だから期限などない

いつまでも見ていたいのは
いついなくなってもいいと同じこと

いつまでも元気でいたいのは
常にそこに死があるのと同じこと

光と影のように
二つは同時にあって成り立っている

昨夜 私の宝物の5歳の娘が
「母ちゃんとぎゅーって抱き合って死にたいなあ」
と言った
旦那は なんて事言うんだ!死ぬな!
…と怒ったけど

私は それいいなあって思っちゃった
隕石衝突や災害などで世界が終わる日がくるなら
そうして幸せを感じて消えたいね

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