静かに礼拝させてほしいな……と思った話
実話です。
日曜日。
あるプロテスタント教会の礼拝に出席しました。
初めて訪れる教会です。新しい、立派な建物でした。玄関もロビーも礼拝堂もモダンな造り。たぶんお金のある教団なのでしょう。礼拝出席者は30名弱でした。
10時40分。
すでに賛美が始まっており、受付は無人。
わたしはまっすぐ会堂に入り、一番後ろの席に座りました。
しばらくすると、受付係らしき女性が聖書と讃美歌集と週報を持ってきてくれました。わたしはお礼を言って受け取ります。
続いて、一冊のノートが差し出されました。今日の日付のところに、いろいろな筆跡の名前がズラリと並んでいます。
「よろしければこちらにお名前を……」
またか、とわたしは思いました。
プロテスタント教会の多くは、新来者の名前と住所を聞いたり書かせたりします。礼拝後に立たせてマイクを持たせて自己紹介させ、みなで拍手して歓迎する、なんてところもあります。
「結構です」
わたしは即答しました。そう決めていたからです。
ただ、「名前を書いてくれ」と乞われて「結構です」と答えるのは文法的にちぐはぐですね。反省。
それはともかく、女性は引き下がってくれました。1回目。
さて賛美が終わり、説教が終わり、献金やら何やらが終わり、礼拝は閉じました。12時。全部で1時間半くらい。標準的です。
最後のアナウンスの時間になりました。部外者のわたしには関係ない話です。
本当は頌栄(しょうえい:締めの挨拶みたいなもの)が終わった時点で出るつもりでしたが、同じ長椅子に紳士淑女が何人かいましたから、遠慮して留まりました。
するといくつかのアナウンスのあと、例の女性が言います。
「今日は新しく来られた方がいらっしゃいます」
そして最後列のわたしの方に手を向けました。
「よろしければお名前を……」
「結構です」
また名前を聞かれて「結構です」と言ってしまいました。2回目。
というわけで会はお開き。わたしは帰り支度をして、早々に席を立ちました。あまり話しかけられたくなかったからです。そのあと用事もありましたし。
そしてロビーに出ると、玄関口に牧師さんが立っていました。帰る信徒を見送る習慣なのでしょう。
「今日はようこそいらっしゃいました」と牧師さん。
「ありがとうございました」とわたしは礼拝のお礼をしました。
「失礼ですがお名前は……」
3回目。本当は名前を教えても全然差し支えないのですが、わたしは大人げなく、意地になってしまいました。
「では失礼します」と言って、そのまま教会を出てしまったのです。
なぜ、そこまで名前を知りたがるのでしょう……。
名前がないと礼拝できないのでしょうか。そんなことないと思うのですが。
しかし話はまだ終わりません。
教会を出てしばらく歩いていると、後ろから足音がしました。
誰かが走ってきます。
気になって振り向くと、年配の男性でした。見た顔です。たしか同じ長椅子に座っていました。
まさか……。
そう思っているうちに、走ってきた男性に声を掛けられました。
「あの、すみません」
わたしは歩いたまま男性を見ました。
「はい」
「教会は初めてですか?」
「……」
失礼だとは思いましたが、わたしは絶句してしまいました。
何と答えたらいいかわからなかったのです。
なぜ新来者を放っておいてくれないのでしょう。
なぜ静かに礼拝させてくれないのでしょうね。
わたしはいろいろな教会の礼拝に参加させてもらっていますが、プロテスタント教会で、名前を聞かれず、話しかけられず、完全に放っておかれるところはまずありません。
それが悪いという話ではありません。歓迎されて嬉しい人もいるでしょう。ただ皆がそうではない、ということを少し気に留めてもらえたらな、と思わずにいられないわけです。わたしがわがままなのでしょうか。
プロテスタント教会の皆さんはどう考えるでしょうか。
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