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ありがとうと伝えたくて伝えられなかった話

※吃音症のぶっちゃけ話です。当事者の方には少々キツい内容かもしれません。

1 ありがとうって伝えたくて

 吃音者にはそれぞれ「言いづらい言葉」があります。絶対に言えないわけではないけれど、言えない(ちゃんと発声できない)ことが多い、という言葉です。
 わたしの場合は「ありがとう」でした。

 ですからお礼を言う時はいつも葛藤しました。お礼がしたい。ありがとうとスッと言いたい。でも言えない。頑張って言おうとすると「あ、あ、あ、あ、あ、……」と意味不明な音になってしまうことが多い。という葛藤です。
 そういう時はいきものがかりの「ありがとうーって伝えたくてー♫」がよく嫌味っぽく脳内に響いたものです。いえ、あの歌は嫌いではありませんが。

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 吃音者の十八番は「言い換え」です。言えない言葉を咄嗟に別の言葉に言い換えるのです。
 たとえば「〜しなければならない」という言葉が出ない時は「〜する必要がある」と言ったりします。吃音者はボキャブラリーが豊富かもしれません。

 ですが、「ありがとう」はどう言い換えたらいいでしょう。
 「どうもー」だと軽いです。「サンキュー」も軽いです。「感謝します」はキリスト教関連ではアリですが、日常使いには適しません。「シェイシェイ」だとふざけてるのか? と怒られそうです。「カムサハムニダ」も同様。

 つまり、「ありがとう」はなかなか言い換えが利かない、厄介な言葉なのです。これは困ったものです。

2 キャラが先か、吃音が先か

 苦肉の策として、わたしが「ありがとう」の代わりに採用したのが「すみません」でした。お礼の気持ちより謝意が強くなってしまいますが、仕方ありません。「ありがとう」だと結局(発声できなくて)言えずじまいになってしまうリスクがありますが、「すみません」だとスッと出てくるので、とりあえず気持ちを伝えることはできます。

 それがダメだと言われたら、

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 というポルナレフのような心境になってしまいます。

 真面目な話、「ありがとう」と言うべきところを「すみません」と言い換えてばかりいると、性格が卑屈になっていく気がします。
「(ありがとうと言えないこんなわたしで)すみません」と日に何度も言うわけですから、当然かもしれません。自己肯定感が低くなり、口数が少なくなります。できるだけ発言しなくていいような行動、立ち位置、キャラを優先するようになります。

 つまり「わたし」というキャラクターは、吃音症と不可分に入り混じっているのです。「吃音症のないわたし」がどんなキャラなのか、全然分かりません。幼い頃は(吃音を意識するまでは)よく喋る子だったようですから、本当は社交的で騒々しいキャラなのかもしれません。しかし現実のわたしは非社交的な陰キャです(ここ、笑うところです)。

 ただこれは吃音症に限らず、いろいろなことに言えるでしょう。
 たとえば身体に障害があると、外出が物理的にも精神的にも大変になりますから、どうしても出不精になります。もともとアウトドア派だった人がインドア派になる(ならざるを得ない)ことも多いです。
 同様にパニック障害のある人は、電車やバスなどの公共交通機関をなるべく避けようとします。ADHDの人は日常生活の様々な場面で工夫や手間が必要です。

 自分の身体・精神・環境その他の状態によって、行動が制限され、それによって自分のキャラも変容していくわけです。

何らかの問題→行動の制限→キャラの制限→それらをひっくるめて形成される人格

 その意味で、「ありのままの自分」というのは実は存在しません。背負っているもの、全部含めて「自分」なのです。
 元々のキャラが先なのか、吃音が先なのか……? 卵が先か鶏が先かみたいな問です。

3 本当に「ありがとう」の気持ちがあるのか

 そんなわたしですが、ある時から、スッと「ありがとうございます」が出てくるようになりました。何故だか分かりません。特別に訓練したわけではありません(訓練でどうにかなるものではありません)。気づくと「ありがとう」と言えるようになっていたのです。

 もちろん、いつもではありません。今も言えない時はあります。ですが以前に比べて、格段に言いやすくなりました。

 そう言えばわたしの吃音症そのものが、昔に比べて軽くなった気がします。わたしと直接話したことがある方は、本当に吃音症なのかと思われたかもしれません(もちろん咄嗟に言い換えるとか、わざと間をとって言葉が出てくるのを待つとか、そういうカモフラージュは日常的に行っています)。

 それはさておき、「ありがとう」が言えるようになって、気づいたことがあります。
 わたしは「ありがとう」という言葉をなんとか発声するのに夢中になっていて、相手に対する感謝の気持ちを疎かにしていた、ということです。
 つまり「ありがとう」という気持ちからでなく、「これは『ありがとう』と言うべき状況だ。あー困った。なんとか言わねば」みたいな気持ちから言おうとしていた、ということです。相手への誠意より、自分の保身です。

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(「本当に思ってる?」と本田翼さんに言われそう……。)

 なので正確なところは、「ありがとうと伝えたくても伝えられなかった」のでなく、「ありがとうと思うより先にシチュエーション的にありがとうと言わなければならない状況に困っていた」みたいな感じです。

 吃音者はそれだけ発声することに執着していて、当然抱くべき感情(感謝とか)がおざなりになってしまう、ということが少なくないように思います(わたしは、かもしれませんが)。
 それが「言いたいことが上手く言えない」障害が引き起こす弊害の一つではないかな、とわたしは当事者の一人として考えています。

 以上、吃音者のリアルについて書きました。
 吃音症の理解に繋がれば幸いです。また書きます。

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