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曖昧な悪魔のテーゼ

 聖書に登場する「悪魔」は、クリスチャンの信仰生活においてどう考えるべきでしょうか。何に気をつけるべきでしょうか。今回はズバリ悪魔について書きます(悪魔について詳しく知るための記事ではありません)。

目次
①たぶん悪魔より有害なもの
  信仰か強迫神経症か……

②悪魔のせいにしすぎ
  人間は悪くないのでしょうか……

③何でもかんでも悪魔崇拝にしすぎ
  いたずらに怯えているだけでは……

①たぶん悪魔より有害なもの

「悪魔が好むのは人間が悪魔崇拝することでなく、無宗教のままでいることだ」
「悪魔は自分の存在を隠そうとする」
「悪魔は自分で手を下すのでなく、人を背後から巧妙に操ろうとする」

 キリスト教の一部の教派ではそういう「悪魔談」が時々聞かれますが、わたしはいつも不思議に思います。それ、悪魔から直接聞いてきたのですか? と。
 海外の有名聖職者たちがそういう話をするのは知っていますが、まさかそれを鵜呑みにしているのでは……と心配になります。

 クリスチャンをやっていると、(教派によっては)悪魔についていろいろ話を聞く機会があります。冒頭にあげたのはその一例です。
 しかし聖書を読んだり神学を学んだりする限り、悪魔の存在については「よく分からない」というのが正確なところのはずです。前述のように「悪魔は○○だ」とはっきり説明できることは、現実的にはごく限られています。

 にもかかわらず一部の教派にいると、前述の通り悪魔談だけはいろいろ耳に入ってきます。

 「悪魔に取り憑かれた女性が、男性の低い声で話しだした!」(←このパターンが多い)
 「ほんの子どもなのに、暴れ回って複数の大人を投げ飛ばした!」
 「悪霊追い出しの祈りをしたら、悪魔に憑かれた人がスウッと元に戻った!」

 まるっきり「エクソシスト」や「コンスタンティン」などの映画の世界ですが。
(ちなみに「エクソシスト」でも「コンスタンティン」でも、若い女性が悪魔に取り憑かれていました。若い女性が悪魔に狙われやすい、というステレオタイプなイメージが影響しているように思われます。女性蔑視も絡んでいるのではないでしょうか。)

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