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デスノートを拾ったらどうする?

ねえ、道端でデスノートを拾ったらどうする?

いきなりごめんね。馬鹿げだ質問だよね。でもちょっとだけ真面目に考えてみてよ。拾ったらどうする?

デスノートってのはあれだよ。名前を書き込まれた人が死ぬっていう、死神のノート。しかも死因とかタイミングとかも書き込めるから、誰をいつどういうふうに殺したいか、自由自在に決められるんだ。拾ったらきっと神様気分だろうね。人類の生殺与奪を一手に引き受けちゃう感じだよ。

で、考えてみた? 拾ったらどうするか。

嫌いな人とか憎たらしい人とか、恨んでも恨みきれない人とか、そういう顔や名前がいくつか思い浮んだんじゃない? ううん、恥ずかしがることはないよ。誰だってそうだと思うから。ぼくだって殺したい奴の1人や2人はいるからね。

めちゃくちゃ憎たらしい奴に、残酷極まりない苦しい死に方を用意してあげたら、気分がいいかもしれない。
何がいいだろう。たとえば絶対に誰も来ない山の中で、穴にはまって出られなくなって、徐々に衰えて死んでいく、なんてどうだろう。途中で狼とかに顔を齧られたりしてさ。人を苦しめて平気な奴には、それくらい苦しんでもらわないと割に合わないんじゃないの。

ほら、そんなこと言ってる間に、きみも何か思いついただろう?
いいんだよ、それで。憎しみや怒りを隠すことなんかないんだよ。

でもぼくはね、憎たらしい奴らの名前なんて絶対書いてやらないんだ。生きてる方が死ぬより苦しいと思うから。
いや、死後のことは知らないよ。天国とか地獄とかキリスト教は言うけどさ、正直ぼくにはわからない。
でもぶっちゃけ、生きるって苦しいよね。もちろん楽しいこともあるけど。総じて困りごとや悩みごとの方が、生きてるうちに増えてく気がするよ。

だから憎たらしい連中にはできるだけ長生きしてもらって、晩年のいろいろを味わってほしいんだ。夜中に何回もトイレに起きるようになって、あちこち痛くて動けなくなって、あれこれ不便が増えて、家族に邪険にされて、お金があってもあんまり意味がなくて、そのうち大病を患って、人生いったい何だったんだろう、これなら早く死んでしまいたい、ってとこから更に10年20年生きながらえてほしいんだ。

そう、デスノートであっさり殺すなんて、優しすぎるんだよ。

ぼくはデスノートがあったらね、むしろ自分の名前を書きたい。
やり残したことをやって、いろいろ整理したら、自分の名前を書きたい。そして1ミリも苦しまない死に方を書き添えたい。嫌いな奴とか憎たらしい奴とかどうでもいい。気にしたり考えたりするだけ人生の無駄だから。

そうやって人生を早々に終わらせるのって、案外悪くない気がするよ。ぼくがデスノートがあったらいいなって思うのは、実はそこ。

と言っても物騒な自殺願望があるわけじゃないから、心配しないでね。ただ、デスノートがあったらそういう使い方が一番いいだろうなって思うだけ。
ぼくはいろいろあるけど今日も生きてる。たぶん明日も生きてる。きっと先はまだ長いんじゃないかな。断言できないけど。

もう1つ、もしデスノートがあったら、あの人の名前を書いてしまいたい。
もう会えないあの人の名前を。もちろん世界で一番苦しまない死に方を考えてからね。

もし死後の世界があって、死んだらまたどこかであの人に会えるなら、あれ、偶然だね、同じようなタイミングで死んじまったんだね、ってぼくはあの人に言うよ。笑いながら。
あの人はどう思うだろう。本当のことを言ったらどうなるだろう。実はぼくが殺したんだって言ったら、怒るかな。あるいは遠い思い出話に意外に花が咲くかもしれない。

座ったコンクリートの冷たさ。砂浜を横切る鳥の影。しわくちゃな映画の半券。花の蜜の香り。癖でやってしまう頬杖。

もう会えない分、死ぬタイミングが一緒だったらいいなって思うんだよね。もちろん馬鹿げだ妄想なんだけどんさ。

で、そこまで考えて気づいたんだ。あれ、ぼくはやっぱり一番憎たらしい奴の名前を書いてしまうのかもしれない。ってね。

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